■別処珠樹さんの『世界の環境ホット!ニュース』のバックナンバーから転載【リンクは、ハラナによる追加】。■シリーズ第10回。

【シリーズ記事】「転載:枯葉剤機密カルテル1」「」「」「」「」「」「」「」「


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世界の環境ホットニュース[GEN] 593号 05年07月11日
発行:別処珠樹【転載歓迎】意見・投稿 → ende23@msn.com     
枯葉剤機密カルテル(第10回)       
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枯葉剤機密カルテル            原田 和明
第10回 ハンガリーの農産物汚染

東欧で米軍向けに245Tを生産していたとの情報が得られたのはチェコのソポラナ社だけでしたが、同社は245Tの他にも、同類の様々な有機塩素系農薬を生産していました。1960年代に、その農薬被害ではないかと思われる汚染事件がチェコの隣国ハンガリーで起きています。

ソポラナ社の245Tが「枯葉剤」用途ならば、生産量も莫大であったでしょうから、それに比例して発生する大量の副生物をどう処分するかという問題にソポラナ社は直面せざるをえません。同社の様々な有機塩素系農薬の生産はその対策ではなかったかと思われます。なぜなら、有機塩素系農薬の多くは245Tの副産物を原料にすることができるからです。

英国のコアライト社が「東欧の大型除草剤工場プロジェクト」に参画していたのですから、副産物 処分にも「技術 指導」があったことでしょう。ソポラナ社は245Tの副産物を各種有機塩素系農薬に加工して、ハンガリーなどの同盟後進国に輸出していたものと考えられます。ハンガリーは西欧に農産物を輸出して外貨を稼いでいたため、農薬需要も旺盛でしたし、チェコスロバキアの隣国ですからソポラナ社にとって農薬を輸出しやすい条件は整っていました。ハンガリーでは245T生産に関する情報はありません。

ハンガリーの事件は「枯葉剤受注企業」が大量の副生物処分をどのように行なっていたかを知る手がかりとなるでしょう。不純物は原料となる245TCPの生産工程で多く発生するため、原料を輸入して245Tを生産する場合では「大量の不純物処分」の問題は発生しません。そのためかニュージーランドやオーストラリアの化学会社では枯葉作戦中止に伴って発生した大量の在庫を埋めたり、海に投棄したりと不適切な方法で処分していましたが、「様々な有機塩素系農薬生産」という「事業展開」は採用されていません。

ハンガリーの事件が明らかになったきっかけは、WHO(世界保健機構)が実施した世界各国の人体脂肪中のDDT濃度調査でした。(宇井純合本公害原論』1988亜紀書房)1960年代に数度の調査が行なわれていますが、ハンガリーはインドに次いでイスラエルとほぼ同等、世界第二位の汚染レベルであることがわかったのです。チェコも米国に次ぐ汚染状況で汚染レベルとしては西欧の数倍高い数値がでています。汚染の原因には当然、ハンガリー人の食糧が汚染されていると考えられ、食品中のDDTも調査も行なわれました。すると、食物連鎖の高いほど、つまり、植物より動物、ニワトリよりも卵に高濃度のDDTが検出されたのです。そのため、ハンガリーの農産物輸出はぱったりとまってしまいました。

ハンガリー国内ではDDTの毒性について大論争になりました。使ったら危ないという意見と、農家からは使わないと収量が減って困るという意見とが対立しました。この頃、ハンガリー南西部にある国内最大の淡水湖・バラトン湖で獲れるカワカマス、鯉が大量死するという事件も起きました。魚からは高濃度のDDT、BHCが検出されたのです。これらの魚もまた重要な輸出食品でしたからハンガリーにとっては大打撃でした。そうして、ハンガリーでは1968年にDDTなど有機塩素系農薬の使用が全面禁止となりました。

宇井は『公害原論』の中でハンガリーの決断の早さについて驚きをもって次のように記しています。

「1968年からDDTを止めたというのは世界で一番早いんです。69年から止めた国はずいぶんあります。アメリカのいくつかの州とか、スウェーデンとか、オランダとかありますが、68年というのはヨーロッパでもあるいは世界で一番早い禁止ではなかったかと思います。」

ハンガリーのこの早い英断も、流通していたDDTがソポラナ社製であったならば、別の事情がみえてきます。ソポラナ社の245T生産中止もまた1968年だからです。

チェコの環境保護団体 ARNIKA はソポラナ社の245T生産中止の原因を従業員の被害多数によるものとしています。しかし、ニュージーランド、オーストラリア、米国の枯葉剤生産工場、そして日本の「除草剤生産工場」のいずれも従業員の被災を理由に生産中止した工場はありません。ソポラナ社には別の重大な理由があったと考えるべきでしょう。ハンガリーのDDT禁止は農産物汚染を懸念しての決断ではなく、この年の夏にあったワルシャワ条約機構軍のチェコ制圧(チェコ事件)が影響しているのではないかと考えられます。

ソ連軍を中心とするワルシャワ条約機構軍が チェコに入ってきたのは、1968年5月でした。翌月の合同 軍事演習に備えての進駐でしたが、軍事演習が 終わってもチェコから撤退せず、8月20日にチェコ制圧、進駐軍は その後も 居座り続け、1989年の共産体制崩壊まで駐留し続けたのです。

チェコ侵攻の原因は「プラハの春」と呼ばれた共産主義の改革運動です。党第一書記に就任したドプチェクは「共産党独裁の是正、言論の自由、西側との経済関係強化」などを盛り込んだ行動綱領を 採択、これを契機に 改革が活発化すると共産党体制に対する疑問やソ連との同盟関係に対する批判も出始めました。その余波は国外にも波及、東欧諸国はチェコの改革に対する懸念を深めることとなり、ついには武力制圧となったのです。

ハンガリーにも同様の歴史があります。1956年に、ソ連の権威と支配に対する民衆による自然発生的な反乱が起きました。反乱は直ちにソ連軍により鎮圧されましたが、その過程で数千人の市民が殺害され、25万人近くの人々が難民となり国外へ逃亡したという事件があったのです。

侵攻してきたソ連軍兵士の多くはロシア語が話せない中央アジアの男たちで、彼らはベルリンにナチスの反乱を鎮圧しに来たのだと信じていたというから驚きです。(フリー百科事典『ウィキペディア』

ソ連の軍事介入を 正当化する論理は、後に「制限 主権論」あるいは「ブレジネフ・ドクトリン」と西側で呼ばれました。すなわち「1国の社会主義の危機は社会主義ブロック全体にとっての危機であり、他の社会主義諸国はそれに無関心ではいられず、全体の利益を守ることに、1国の主権は乗越えられる」というものです。主権尊重と内政不干渉の原則よりも社会主義の防衛が上位に置かれていたのです。

戦後の東欧諸国はどこの国もソ連を手本として工業化計画を進めていて、そもそも、ソポラナ社の枯葉剤生産がソ連の同意なしに実行できたとは考えにくいのですが、一般に漠然と想像されている状況とは異なり、東欧ではそれぞれの国が互いに長期の通商協定で結びつくことはあっても、原則として各国とも独立の経済体として運営されていた(藤村信『プラハの春・モスクワの冬』岩波書店1975)とのことです。従って、ソポラナ社の枯葉剤生産はソ連が黙認する形で始められていたのかもしれません。

国策である計画経済の破綻を取り繕うためなら、米軍向けの枯葉剤を生産することさえ認めるが、脱ソ連につながるような経済力・工業力強化は認めない。それがソ連指導部の意思だったのではないかと思われます。その結果、1968年の武力制圧により、チェコは西側との経済関係強化という政策の見直しを迫られ、経済立て直し、工業生産力強化の期待を担っていたであろう「枯葉剤生産」は急遽中止せざるをえなかったと考えられます。工場に原料、中間製品が残されたままという状況が、慌しく生産中止となったことを窺わせます。

チェコスロバキアでは長期政権だったアントニーン・ノヴォトニー(党第一書記兼大統領)が国民の信を失って退陣する直前に、ノヴォトニー政権の維持を図ったクーデター計画が発覚、首謀者でノヴォトニーの側近ヤン・シェイナ将軍が米国に亡命するという事件が起きています。(フリー百科事典『ウィキペデア』)従って、チェコスロバキアのノヴォトニー政権と米国には密接なつながりがあったことは間違いないでしょう。一方、チェコスロバキアは北ベトナムへの武器供与国でもありましたからベトナム戦争の当事国双方とビジネスをしていたことになります。

日本にとって朝鮮戦争以後の不況脱出にベトナム戦争が多いに貢献したように、チェコも経済の行き詰まり打破にベトナム戦争を利用したことでしょう。

ソポラナ社の枯葉剤245T生産開始は1965年でしたが、英国国税庁がいう「除草剤 大型工場 建設プロジェクトへの コアライト社の参加」が1964年ですから、「除草剤大型工場」=「枯葉剤生産のソポラナ社」でも時間的矛盾はありません。
その場合、疑問は2つ残ります。英国国税庁は なぜ工場の所在地を チェコではなく東ドイツとしているのか?(チェコはドイツの東ではある) コアライト社のプロジェクト参画から生産開始までの期間(設計・建設・試運転などの期間)が短かすぎないか? という点です。

実際、東ドイツに別の秘密工場があったのかもしれません。チェコの環境保護団体の一連のプレスリリースからは、東側陣営のチェコスロバキアで枯葉剤が生産されるようになったいきさつについて言及したものは見つかっていません。

ソ連からの独立・民族自立のために、東欧諸国は経済再生を計り、先進国チェコでは枯葉剤も作った。そしてその枯葉剤は米国の介入を拒否するベトナムの民衆の頭上にばらまかれたのです。

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■みかけ上の対立はあてにならない。■とりわけ、強力なちからをもったもの同士のはげしい抗争のばあいは、警戒しないと(笑)。