平成8年4月14日
菅孝之進(元関脇高鉄山、前大鳴戸親方)午前4時45分重症肺炎及び心不全のため入院先の愛知県豊明市の藤田衛生大病院で死去。53歳。北海道出身。昭和32年3月朝日山部屋から初土俵を踏み、38年9月新入幕。最高位は関脇で通算661勝668敗の成績を残した。敢闘賞を1回、技能賞を1回獲得している。50年初場所で引退し、年寄大鳴戸を襲名。朝日山部屋から弟子2人を連れて大鳴戸部屋を興し、元小結板井、元十両維新力らを育てた。しかし、健康上の理由から平成7年1月に廃業した。菅さんは最近、糖尿病と脳梗塞を患い、入退院を繰り返していたという。今年の2月からは『週刊ポスト』誌上で大相撲の八百長、脱税疑惑などの暴露記事を「爆弾手記」として連載していた。また、手記に「証言者」として登場していた北の富士の後援会副会長であった橋本成一郎さんも同日午後7時48分、同病院で同じ肺炎でなくなっていることが明らかになった。
■この件については、「相撲の八百長」がふれているとおり、アメリカの経済学者のレヴィット氏の本「Freakonomics」の本でもとりあげられている〔『ヤバい経済学』東洋経済新報社,第1章〕。■「スポーツからみた日本社会2」でもとりあげたように、7勝7敗で千秋楽をむかえた力士の勝率が、勝ち越しがかかっているという士気だけでは到底説明つかないぐらい、不自然にたかすぎるのだ。
菅孝之進(元関脇高鉄山、前大鳴戸親方)午前4時45分重症肺炎及び心不全のため入院先の愛知県豊明市の藤田衛生大病院で死去。53歳。北海道出身。昭和32年3月朝日山部屋から初土俵を踏み、38年9月新入幕。最高位は関脇で通算661勝668敗の成績を残した。敢闘賞を1回、技能賞を1回獲得している。50年初場所で引退し、年寄大鳴戸を襲名。朝日山部屋から弟子2人を連れて大鳴戸部屋を興し、元小結板井、元十両維新力らを育てた。しかし、健康上の理由から平成7年1月に廃業した。菅さんは最近、糖尿病と脳梗塞を患い、入退院を繰り返していたという。今年の2月からは『週刊ポスト』誌上で大相撲の八百長、脱税疑惑などの暴露記事を「爆弾手記」として連載していた。また、手記に「証言者」として登場していた北の富士の後援会副会長であった橋本成一郎さんも同日午後7時48分、同病院で同じ肺炎でなくなっていることが明らかになった。
■この件については、「相撲の八百長」がふれているとおり、アメリカの経済学者のレヴィット氏の本「Freakonomics」の本でもとりあげられている〔『ヤバい経済学』東洋経済新報社,第1章〕。■「スポーツからみた日本社会2」でもとりあげたように、7勝7敗で千秋楽をむかえた力士の勝率が、勝ち越しがかかっているという士気だけでは到底説明つかないぐらい、不自然にたかすぎるのだ。
■レヴィット先生は、ハラナたちが、「士気だけでは到底説明つかないぐらい、不自然にたかすぎる」とのソボクな疑念を、相撲協会関係者が「おもいすごし」と一笑に付そうとするだろう姿勢を統計学的に、ほぼありえない、と論破する。■7勝7敗の力士が8勝6敗の力士にかつ確率が0.796、9勝5敗の力士にかつ確率が0.734もある。統計的には、それぞれ0.487,0.472なのにである。これは、さすがに不自然すぎる。■もちろん、これだけなら「士気」で説明づけようとするたちばを全否定はできない。ところがレヴィット先生、ほぼ完璧な「おいうち」をかける。
■つぎの場所のおなじとりくみの勝率(巨視的には相殺されて、勝率0.5前後になるはず)をしらべてみたのだ。そうしたら、勝率は0.4におちこんでいる。■しかも、そのつぎの場所の勝率は0.5前後なのだね。■これをレヴィット先生、7勝7敗のかりをかえし、それがすむと通常のガチンコにもどると解釈している。■これは、かなり説得力がある。千秋楽っていうのは、休場や優勝あらそいがからまないかぎりは、基本的に同列の東西力士同士を軸にとりくみにするわけで、長期的平均としては、ほぼ実力が拮抗する=勝率0.5に収束するのは、道理なのだ。それが、勝率8わりちかくと、4わりちかくという乱高下がおきるというのは、統計学的に有意にかたよりが推定できる。「士気」では到底説明不能なね。
■しかも、レヴィット先生の「おいうち」は周到にできている。
……たとえばA川部屋の力士が7勝7敗でB山部屋の力士に当たって勝ち、その後A川部屋の力士がB山部屋の7勝7敗の力士に当たったとする。この場合、A川部屋の力士の勝率はとても低い。
……
それでも、八百長が行われているという報道がときどき日本のマスコミに紛れ込むことがある。そういうマスコミの攻撃が起きるときも、相撲で八百長が行われている可能性を測るチャンスだ。つまり、もしも力士同士や部屋同士で本当に八百長が行われているなら、記者やテレビカメラが山ほど押しかけてくるときは用心するだろう。
……データによれば、八百長報道のすぐ後に開かれた本場所では、7勝7敗で千秋楽を迎えた力士の、8勝6敗の力士に対する勝率はいつもの80%ではなくただの50%だ。データをどういじっても出てくる答えはいつも同じだ:相撲に八百長なんかないとはとても言い張れない。
……
告発者たちが出した傍証を対戦成績のデータに加味するとどうなるだろう? 八百長と言われた力士同士の対戦では、7勝7敗の力士がだいたい80%の割合で勝っている。一方、公明正大だと言われた力士同士だと、7勝7敗の力士の勝率は過去の対戦成績どおりだ。さらに、告発者たちがクロともシロとも言わなかった力士と八百長と言われた力士が当たった場合の結果は、八百長力士同士が当たった場合と同じくらい偏っていた……〔pp.53-5〕
■この不自然さは、統計学的には反論不能だ。「たまたま」は絶対にありえないし、「士気」の差でも説明つかない。■とりわけ、その後のとりくみでの勝率との比較が不自然すぎる(笑)。というか、ここまで、ロコツにやるとという、あわれささえ感じる。
■「大相撲力士の実力 3」をふくめて、シリーズでバカ正直に実力差を数量化してみたが、かなりアホらしくなる(笑)。■もちろん、なざしされた「よごれたヒーロー」以外は、かなりの程度、勝率/勝利数で、格づけしていいとおもうし、実体としての実力差があったとおもうけどね。
■ま、ともかく、かちこしがかかる、ほか、なにか「士気」にかかわかるような一大事がからむときは、はなし半分にうけとらねばならないことは事実だろう。■ま、相撲協会に弁明はもとめないよ。そんな次元にないからね。ここまで、明解に統計数値をつきつけられれば。
●ウィキペディア「八百長」
■つぎの場所のおなじとりくみの勝率(巨視的には相殺されて、勝率0.5前後になるはず)をしらべてみたのだ。そうしたら、勝率は0.4におちこんでいる。■しかも、そのつぎの場所の勝率は0.5前後なのだね。■これをレヴィット先生、7勝7敗のかりをかえし、それがすむと通常のガチンコにもどると解釈している。■これは、かなり説得力がある。千秋楽っていうのは、休場や優勝あらそいがからまないかぎりは、基本的に同列の東西力士同士を軸にとりくみにするわけで、長期的平均としては、ほぼ実力が拮抗する=勝率0.5に収束するのは、道理なのだ。それが、勝率8わりちかくと、4わりちかくという乱高下がおきるというのは、統計学的に有意にかたよりが推定できる。「士気」では到底説明不能なね。
■しかも、レヴィット先生の「おいうち」は周到にできている。
……たとえばA川部屋の力士が7勝7敗でB山部屋の力士に当たって勝ち、その後A川部屋の力士がB山部屋の7勝7敗の力士に当たったとする。この場合、A川部屋の力士の勝率はとても低い。
……
それでも、八百長が行われているという報道がときどき日本のマスコミに紛れ込むことがある。そういうマスコミの攻撃が起きるときも、相撲で八百長が行われている可能性を測るチャンスだ。つまり、もしも力士同士や部屋同士で本当に八百長が行われているなら、記者やテレビカメラが山ほど押しかけてくるときは用心するだろう。
……データによれば、八百長報道のすぐ後に開かれた本場所では、7勝7敗で千秋楽を迎えた力士の、8勝6敗の力士に対する勝率はいつもの80%ではなくただの50%だ。データをどういじっても出てくる答えはいつも同じだ:相撲に八百長なんかないとはとても言い張れない。
……
告発者たちが出した傍証を対戦成績のデータに加味するとどうなるだろう? 八百長と言われた力士同士の対戦では、7勝7敗の力士がだいたい80%の割合で勝っている。一方、公明正大だと言われた力士同士だと、7勝7敗の力士の勝率は過去の対戦成績どおりだ。さらに、告発者たちがクロともシロとも言わなかった力士と八百長と言われた力士が当たった場合の結果は、八百長力士同士が当たった場合と同じくらい偏っていた……〔pp.53-5〕
■この不自然さは、統計学的には反論不能だ。「たまたま」は絶対にありえないし、「士気」の差でも説明つかない。■とりわけ、その後のとりくみでの勝率との比較が不自然すぎる(笑)。というか、ここまで、ロコツにやるとという、あわれささえ感じる。
■「大相撲力士の実力 3」をふくめて、シリーズでバカ正直に実力差を数量化してみたが、かなりアホらしくなる(笑)。■もちろん、なざしされた「よごれたヒーロー」以外は、かなりの程度、勝率/勝利数で、格づけしていいとおもうし、実体としての実力差があったとおもうけどね。
■ま、ともかく、かちこしがかかる、ほか、なにか「士気」にかかわかるような一大事がからむときは、はなし半分にうけとらねばならないことは事実だろう。■ま、相撲協会に弁明はもとめないよ。そんな次元にないからね。ここまで、明解に統計数値をつきつけられれば。
●ウィキペディア「八百長」
■過分のおことば、ありがとうございます。
■基本的には、大関ポストというのは、互助会的であり、その土壌は興行としての大相撲を象徴しているようにおもえます。■しかも、巨漢化した現代力士がガチンコをくりかえせば、必然的に引退リスクが急増するわけで、「全力を発揮しない」姿勢は、興行継続のリスク分散からいっても、必然的な選択肢なんだとおもいます。■そして、こういった興行的な 「あそび」の部分をいっさいゆるさないのが、球技であり、過酷なテニスやサッカーの現役時代のみじかさ(一流選手にかぎっても)をみれば、それはあきらかです。■もともと、あいてを きずつけることを目的としないテニスはもちろん、サッカーだとて、肉弾戦は結果であって、打撃がボール以外に集中することは危険行為です。しかし、相撲などは、打撃を肉体に集中することを目的とする、行為自体は「暴行」以外のなにものでもないゲームであって、ケガをしない方が、むしろおかしいのですから〔「スポーツからみた日本社会11」〕。
■ちなみに、何度かかきましたが、ボクシングは、興行であり、ウラはいろいろありそうです。■それと、裁判は、本来ウラがあっては 絶対いけない空間のはずです(スポーツやら囲碁将棋等は、いのちには、かかわりませんから、イカサマがあったって、それほど問題じゃない)が、検察・判事がツーカーで有罪率が異様にたかいとか、政府よりの判決が異様におおかったとか、ウラがありすぎです(笑)。