■今回の靖国神社A級戦犯合祀についての昭和天皇ヒロヒトの見解(いわゆる「富田メモ」)がらみで、この日記もいくつか文章をかいたわけだが、今回あきれたのは、靖国参拝肯定派の「天皇を政治利用するな」という批判の論理だ。

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▼  バカ右翼反応その1  『天皇を政治利用するな!』

いやー、ホント馬鹿ちゃいますか? 保守ちゃん、ウヨちゃん。
そもそも、なんで左翼やリベラルが、天皇の政治利用なんかしなけりゃならんの?  天皇制なんて、打倒するためにあるものでしょ。せいぜい、京都御所にお引取りいただくのが、もっとも天皇家への暖かい対応ではないですか。 天皇を政治利用できるのは、あなた方のお仲間。「天皇の御心」を大事に思う方、すなわち保守・右翼しかありませんぜ。 左翼・リベラルな人々は、このようにキミたちに問いかけているだけです、靖国神社に行きたいなら、個人の勝手なんだから、好きに行けばよろしい、しかしそれは、お前らの思想信条と矛盾してはいないかね?、とね。キミたちは、今後2度と「戦後民主主義・個人主義が公を堕落させた」なんて言ってはいけません。もちろん、「個人主義」「自由主義」批判も、してはいけません。「天皇の大御心」という「公」に背き、「個人主義」に基づいて参拝するんだから。
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〔「バカ右翼たちの迷走」〕
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■ふきだすほど、図星(笑)。■日常的に つかえる政治的資源は最大限に利用しつくして
〔たとえば、リベラルや左派など、全否定したい思潮さえも、容認することで、「自由主義」「体制秩序の度量の証明作業」に利用する……〕、さんざん「政治」を実践しているのは、もちろん体制=政治経済権力がわであることは、周知の事実。■昭和天皇ヒロヒトが天皇機関説=大日本艇庫憲法による操作主義的な本道によろうと、ファシズムのなかでの究極の権力の源泉となろうと、それらすべてが政治的利用だし、戦後の象徴天皇制だって、アメリカ帝国主義の政治的手段の一種にすぎなかった〔まさか、保守派のみなさん、おわすれじゃないよね?〕。
■かんがえてみると、ときの権力というのは、みずからが権力行使を常時おこなっているにもかかわらず、それを公然とはみとめようとしない。あたかも、自然な秩序であるかのように演出(あるいは、本人たち自身がそう信じているフシもある。笑)してきた。古今東西普遍的に。■でもって、それと「せなかあわせ」というか、おそらく「うしろぐらさ」と「政治的奸智〔カンチ≒こずるさ〕」が わかちがたくユチャクしているんだろうが、体制批判は全部「政治的≒けしからん秩序破壊行為」よばわりしてきた。■単純にいえば、「オレにくちだしするな(でも、オレは きにらないことをゆるさない=当然くちだしする)」って、あまりに「ごつごう主義」的な二重の基準がふりまわされてきたんだ。

■これは、ホント普遍的なキタナイやりくちだ。■たとえば、学校現場で、入学式・卒業式で「日の丸・君が代は、カンベンだなぁ」とおもっている生徒・保護者・教員がいようと、「これはきまり(法律)だから」と、おしつける政治を実践していながら、それに反対するうごきがちょっとでもはっきりすると、威力業務妨害みたいに、処分したりする。「みんなの合意をとりつける」という、本来の意味での政治はおこなわず、「おしつける」という、あしき政治性は最大限に発揮しておきながら、その権力性はみとめない。■それへの批判は、ゆるさない。■「オマエのモノは、オレのもの。オレのモノは、オレのモノ」といった、「ドラエモン」の「ジャイアン」のような、わがまま放題なんだが、公式にとがめられることはない。
■企業・官庁だってそうだな。組合とかで、上部組織に異議もうしたてをすると、「反抗的」ってにらまれるし、実際に報復人事とか、あからさまなイヤがらせをうけたりする。■でも、うえからの権力行使は、「自然」「慣例」「伝統」ってことで、すまされる。
■オトコ(にかぎらんけど)の性的犯罪は、最大限に過小評価
〔ちょっと妙。笑〕されながら、それへの異議もうしたての正当性も、最大限に過小評価されるっていう、一方的な関係性。……

■なんとかならんかね?

■靖国神社参拝問題でいえば、政府要人の「私人としての参拝」問題なんてのもそうだ。■公用車や職員をともなったとか、玉ぐし料を私費でだしたかどうかなんて、くだらんことがらがとりざたされてきた。しかし、問題の本質はそんなところにはない。■「私人としての参拝は、個人の内面=思想信条の自由だ」という論理がもっともらしくきこえてしまう文脈そのものこそ、大問題なのだ。
■「差別論ノート13」で、「「差別・イジメにあたるかどうかの「文脈/状況」のなかには、?対面的かどうか、?複数で共有化され、公的空間にさらされる可能性があるかどうかに、かかっているとかんがえられる」……。■乱暴にいうなら、「むねに おさめるか、ごくごく うちわに とどめるかぎり、どんな ひどい侮蔑意識をかかえていようと、差別にあたらない」。しかし、「いったん、複数の人物にしれるような空間に表現してしまえば、それまでどんなに清廉な言動を維持してきた人物も差別者になりはてる」ということだ」とかいたことは、こと政治性にもあてはまる。■天皇や首相はもちろんのこと、国会議員やタレントなど、一定以上の有名人=影響力のある人物が、「むねに おさめるか、ごくごく うちわに とどめるかぎり、どんな ひどい政治信条をかかえていようと、政治性は表現されたことにならない」。しかし、「いったん、複数の人物にしれるような空間に表現してしまえば、それまでどんなに言動を自制してきた人物も政治的実践者に変貌する」ということだ

■大体、昭和天皇ヒロヒトが「1975年以降参拝しなくなった」からといって、それまでの参拝〔天皇のばあいは「親拝」っていうんだってさ〕の政治性は全然きえない。かりにA級戦犯BC級戦犯が合祀されていなくたって。旧厚生省が半世紀まえ靖国神社に積極的にかかわっていたという事実は、国家が認定した戦没者だけがまつられているという政治性を、一層証明したわけで、「「国に殉じた先人に、国民の代表者が感謝し、平和を誓うのは当然のこと」という意見」なんて理屈はとおらない。「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」の存在だって、政教分離原則にふれるのに、なんで靖国が政治的「真空」なわけ。それは、旧江戸城=「皇居」という空間が非政治性なんかを絶対にまとえないのとおなじ。■国事行為以外は、私的におとなしくしてようね(豊富な税金投入はするからさ)というのが、象徴天皇制の本旨なわけであって、天皇メッセージをはじめとして、ヒロヒト氏 違憲行為バリバリだったんだが(笑)。