■別処珠樹さんの『世界の環境ホット!ニュース』のバックナンバーから転載【リンクは、ハラナによる追加】。■シリーズ第14回。■いつもどおり、ハラナがかってにリンクをおぎなっている。

【シリーズ記事】「転載:枯葉剤機密カルテル1」「」「」「」「」「」「」「」「」「10」「11」「12」「13」「14



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世界の環境ホットニュース[GEN] 600号 05年08月17日
発行:別処珠樹【転載歓迎】意見・投稿 → ende23@msn.com     
枯葉剤機密カルテル(第15回)     
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枯葉剤機密カルテル              原田 和明

第15回 最も悪質な薬品

三光化学は 1963年9月に 三西化学と名称を換え、三井東圧化学の 下請けとして様々な有機塩素系農薬の生産を続けていますが、裁判記録の中に次の証言があります。

「昭和45(1970)年3月、ぴかりパーマ屋の表にあった二本のエノキ杉や 河内さん宅の松ノ木が枯れたそうです。そのことを話しに来られましたので「工場は何を製造しているのか?」と電話で尋ね、この数日間での木が枯れる様子などを話したところ、深町工場長代理は事務の大津さんを連れて説明がてらお詫びに来ました。(中略)深町工場長代理は「もうあなたにはウソはいえません。本当のことを言います。実は『本社命令で東南アジア向けに最も悪質の薬品』を再ねりして作っています。もうあと1週間で終わります。次回からは幹部全員土下座しても断ります。」と大変緊張した面持ちで話し、「実は私もいやでなりません。でも工員の給料等のため、やむを得ず承知しました。本当にすまないと思っています。」と深々と頭を下げて詫びました。大津さんは「そんなこと言っていいですか」と工場長代理のひざをそっと、つついていました。が、工場長代理は強い決意の面持ちで「自分が責任はとる」とはっきり言い切ってありました。」
「東南アジア向けに最も悪質の薬品」とは何でしょうか。この庭木枯れ死事件は、第1回でとりあげた、楢崎弥之助が 三井東圧化学の枯葉剤製造疑惑を告発してからまだ1年も 過ぎていません。「ベトナム向けの枯葉剤」以外にありうるでしょうか。ニクソン政権は枯葉剤の使用は毒ガス兵器の使用を禁じたジュネーブ条約には含まれないとの立場をとっていましたが、人体に有害であることが報告され、国際的非難や、米議会からも批判が強まっていました。米政府がベトナム戦争における 枯葉作戦は「段階的に 縮小し、来年春には 全面的に 廃止する計画である。」と発表したのは1970年12月26日のことでした。(1970.12.28朝日新聞)

厚生省の調査団として三光化学(後に三西化学と改称)に入った上田喜一は工場をどのように見ていたのでしょうか。94年2月10日・福岡高裁 第11回口頭弁論の議事録の中に、工場周辺住民で原告・清川正三子への本人尋問の記録があります。

弁護士・有馬 (1961年の三光化学創業以来、住民たちは福岡県に何度も抗議の申し入れをした。)その結果、昭和37(1962)年10月に上田喜一教授(東京歯科大)がきて、厚生省の調査がありましたね。

正三子 私をちょっと体をみて、清川さんはPCPに暴露されて、アレルギーになっているので病院に行ったら、これから先は真っ先にアレルギーであるということを言わないと、命にかかわりますからね、とおっしゃいました

有馬 その後上田教授と会ったことがありますか?

正三子 はい、3回ほど会いました。それで 一番最後の、東京に上京したときに、先生とお会いしましたら、大変だったなあ、自分があの時点でもう少し勇気を奮って工場を止めておけばよかったと、あなたには随分ご迷惑をかけたんだなあと、反省していると、そうおっしゃいました

有馬 それは昭和46年(1971年)頃、再び問題が大きくなって、東京に行ったときのことですね。

正三子 そうです。

有馬 工場のことについて何か言っておりましたか。

正三子 あそこは始まりから工場といえる代物ではないんだよって、そうおっしゃってました

有馬 工場を止めておけばよかったというふうな表現をされたわけですね。

正三子 そうです。

有馬 農薬のことについては何も言っていませんでしたか。

正三子 いや、PCPなどは大変なものだから、あの時点であなたが言っていたのはよくわかっていたんだけどということで、それで反省をされたわけで、こんなふうに結膜とかなんとかで、いろいろありましたと言ったら、いや結膜をやられるのは当たり前だとおっしゃいました。
昭和49(1974)年6月 上京の折、上田先生にお会いしましたら、先生は「あのような杜撰な工場は始めて見たなあ。工場に入ったとき私も卒倒しそうだったなあ」といいながら、14年の君の戦いには本当に済まないと思っているよと当時を話されました。

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■水俣病をひきおこしたチッソ昭和電工は、新興財閥として、「なりあがり」のムリがあったのかもしれないが、三井など 明治初期からの政商たちの関連企業でも、おどろくぐらい、ぞっとするような公害企業がある。■しかも、この件のばあいは、国策にからんで、組織的に有毒物質をつくっている。どういったものがつくられているか、はっきりわかっていてね。■というか、農林省まで、軍事同盟がらみで、企業に毒物をつくらせ、しかも周辺住民の被害をみてみぬふりをしていたことになる。
■これは、被害の深刻度がちがうとはいえ、水俣病に匹敵する権力犯罪といえるだろう。■あとからわかった厚生省と、充分予想がついた農林省という構図だから。
■アメリカも原子力開発などで、国内でかなり野蛮なことをくりかえしてきたし、枯葉剤ではそれこそ世界的な公害ネットワークというか戦争犯罪をやらかしたわけだが、どうしてこう、近代国家というのは、野蛮な性格をやめられないんだろう。