■一部で話題になっている問題。意外にふかい問題だとおもう。

人間の記者は不要?
―記事をコンピュータで生成する米金融データ会社

文:Greg Sandoval(CNET News.com)
翻訳校正:編集部

2006/08/24 20:16
……
 決算発表を迅速に記事にして提供するという要望に応えるために、Thomson Financialはロボットの記者を導入していたことが明らかになった。
 金融データ企業であるThomson Financialの関係者によれば、同社の経済記事の一部は、コンピュータが生成しているという。この動きの背景として同社では、金融ニュースでは株式売買のために迅速な情報提供が常に要求されていること、世界中の企業が自動化を志向していることを挙げている。そのため、企業の決算が発表されると、0.3秒後にはコンピュータが決算発表の記事を完成させるという。
 これだけの時間では、人間の記者では白紙のMicrosoft Word文書を作成することもできない。
 コンピュータは、企業の四半期における業績を判定するために、直近の四半期の財務指標を過去のものと自動的に比較する。さらに、Thomson FinancialがFinancial Times紙に語ったところによれば、コンピュータは、人間に比べて間違いがはるかに少ないという。


この記事は海外CNET Networks発のニュースを編集部が日本向けに編集したものです。
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■まず、かなり機械的に処理できる領域では?「コンピュータは、人間に比べて間違いがはるかに少ない」わけだし、?「0.3秒後にはコンピュータが決算発表の記事を完成させる」一方、「これだけの時間では、人間の記者では白紙のMicrosoft Word文書を作成することもできない」という速度問題もあって、ロボット化は、とめられないだろう。■ごく常識的な結論だけど、はやく・ただしくを実現し、かつ ならしたコストがひくければ、それはロボット化の宿命をさけられない。■で、もともと、機械にもできる単純な反復作業は、作業過程を分解・記録・再生=ロボット化し、ヒトはもっと複雑で創造的なしごとに専念する」ってのが、近現代の理念なんだから、モンクをつける方がおかしい。
■というか、記録・再生の量的負荷から解放されること=外部化という課題を人類はずっとおってきたのが、近現代に開花したのだから、これに抵抗するのは、近現代の理念自体を否定することになる。■まあ、こういった機械化=標準化の哲学は、般若心経を筆写して こころの平安をえようとする写経などと、対極にあるんだが(笑)。

■でもって、この記事に対する典型的な反応をいくつか。
 ●「人間の記者は不要?
 ●「記者がいなくなる日

■アメリカ映画だとおもったが、利用者の興味関心をデータ分析して、ニュースを配信するという設定があったはず。■あと、アマゾンなどの「おしらせ」とか「マイストア」などは、既存の購入記録から機械がかってに判断して記事やページをつくっているわけだよね。
■そのヘンの状況をふまえたうえで、「記者がいなくなる日」などは、つぎのように、痛烈。

……
Google Newsが出たときにも、「既存のメディアを妨害している」とかなんとかの騒ぎがあった訳で。結局のところ既存のメディアの強みって「情報を占有していた」ってとこだけだと思うんですけど。

ところが、インターネットの出現によって、極論を言ってしまえば、新聞社、テレビ局がなくたって、情報が回り始めてしまってる訳で。そういう現状を認識しないで、昔のままの広告ビジネス、昔のままのプッシュ型の情報配信。もう、そんなの古いんですよーだ。皆が知りたいのはセンセーショナルになるようにバイアスが掛かったニュースでもなければ、多くの人の目に触れているニュースでもないんですよーだ。って、口調がおかしくなっていますね。。

その人その人、それぞれが嗜好を持っていて、興味の範囲も違えば、視点も違う。だったら、それに即したニュースを手に入れられるのがハッピーですよね。それに答えつつあるのが、個人的にはConsumer Generated Media(CGM)だと思ってます。

どこぞのセミナーでも、「Google Newsによって、既存メディアの広告収入が減って、結果として良質なニュースがなくなるのでは」って質問が出てましたが。そもそも既存メディアのニュースが良質なんですか?と子一時間問いつめたくなったのは内緒です。記者クラブで聞いてきた事を映してるだけじゃんってのは言い過ぎですかね。
……


■映画の設定は、それが自覚されない管理社会だっていう、オチだったわけだけど、ウェブログのアンテナとか、ウェブ・クリップなどだって、利用者の既存の利用状況を前提に、ひっかかり=配信が限定されるわけで、これって、「みたい世界観のなかだけで自足したい」っていう、大衆の欲望に対応しているとおもうわけだ。■これは、よくかんがえると、エリートが管理社会を発案・設計・操作しているわけじゃないのに、事実上、ひとびとの関心が、タコツボ化して、思考・状況判断の柔軟性がうしなわれているということだ。■ヤバいね。
■この日記を警戒して監視するためにくる読者はともかく、それなりに同感しながらご来場のみなさんも、大体同質の思想傾向のあつまりであって、この日記にリンクされる外部記事も、批判にさらされるもの以外は、同類ばかりだよね(笑)。つまり「類はともをよぶ」で、ウェブ上のネットワークも、かなり思想傾向や生活様式などで、すみわけがすすんでしまっていて、よほど意識的に異質な空間に挑戦しないかぎり、この「類とも」空間の自足性に、まどろんでしまうことになる。
■記者の消滅ウンヌンよりも、こういった、一見客観的・機械的な配信というもの自体の危険性を一度かんがえておく必要がありそうだ。


■一方、大衆社会が権威主義を脱しないかぎりは、記者クラブ系の「大本営発表」のタレながし記事がなくならないとおもうわけ。■つまり、安倍官房長官の「地元」みたいに、東京の「わかさま」の「天下とりゲーム」が、刺激のすくない地方にとっての一大イベントであるかぎりは、「おかみ」への権威主義もふくめた、「中央」からの配信ってものがまちのぞまれるだろう。■なにも、東京がおちぶれたって、それがニューヨークとかパリ、ペキンにかわったっていいわけで、時代ごとの「天下びと」たちの動静を、アホみたいにタレながしてくるルートをたのしみに消費する層はなくなりそうにない。■甲子園やオリンピック・ワールドカップなどをみるかぎり、この人類の「いなか性」が克服できるとは到底おもえない。
■それがウェブ空間への適応で一定の修正はえられるかもしれないけど、「巨大なイナカ空間」の集積が人類社会だとすれば、「タレながしメディア」からの「卒業生」は人類の一部のはず。■ってことは、記者が減少することはあっても、「番記者」はいつまでものこりそうだ(笑)。

■もちろん、いわゆる突撃や密着取材など、あしでかせぐ記者の居場所がなくなるはずはない。

■それにしても、小泉首相の被爆地でのスピーチみたいに、官僚が原稿をしあげたとはいえ、コピー・ペーストみたいな声明文しかだされないとすると、ニュース・ソース自体が、「自動機械」化しつつあるんじゃないか(笑)。■ほぼ「同文」をよんで はじない主要の背後には、ほぼ「同文」をかいて はじない「ゴーストライター」がいて、その背後には、過去や外部からの複写文書と編集をこなすコンピューターがある。■この編集作業さえ、引用した記事みたいにロボット化されてしまえば、効率やコストだけではなく、作文するという行為自体が、SF的な悪夢となりつつあるってことだ。安田敏朗氏の『辞書の政治学』がとりあげる、星新一の『おせっかいな神々』の「ささやき」というショートショートのイメージは、なにからなにまで、「外部依存」=ロボット式情報配信の指示をあおぐ世界という悪夢だが、大衆が「自己責任」で「主体的判断」をくだすための素材のはずの「ニュース配信」がロボット化されることは、機械の取捨選択機能に全面的な信頼をおくという、ある種の人間不信の究極であやうい。■人物・組織のブランドへの権威主義もあやういけど、「機械が客観的に判断しているから、アホな人間の介入よりマシ」というのは、やっぱり一種の信仰だとおもう。「グーグル八分(はちぶ)」みたいな操作の介在もありえるしね。 


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