■おなじみ田中宇さんの『国際ニュース解説』からの転載。■今回も、時間がないので、補足リンクは割愛。

見放されたネパール国王
2006年8月29日  田中 宇
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 国際政治の概念図の中で、ネパールの「マオイスト」ほど、イメージと実態が食い違っている存在も珍しい。「マオイスト」は、日本語でいうと「毛沢東主義者」である。そして、ネパールは毛沢東を生んだ中国のすぐ南にある。このことから、マオイストはネパールの親中国勢力のことを指すと思われがちだ。たしかに、マオイストは、政党としては「ネパール共産党」を自称している。

 しかし、中国はマオイストを支援せず、逆に、マオイストと敵対してきたネパール王室を支援し続けてきた。マオイストは、王制と、封建的な土地制度が残っているネパールで、王制の廃止と農地解放を実現するためにゲリラ活動を行ってきたが、その思想は中国からの直輸入ではなく、ペルーの「輝ける道(センデロ・ルミノソ)」など中南米の左翼ゲリラが掲げてきたアンデスの農地解放の理想をお手本にしている。毛沢東思想は、中国から地球の反対側を一周して、ネパールのマオイストの思想になっている
。(関連記事

 ネパールでは1990年に前国王が政党政治を認め、国王の独裁制から立憲君主制へと移行する過程が始まったが、なかなかうまく機能せず、マオイストは1996年に政界を飛び出して山にこもり、武力で王制を倒そうとする武装ゲリラになった。マオイストが支配する山村地域はしだいに拡大したが、近年になるまで、マオイストが政権をとりそうな事態にはなっていなかった。
 中国政府は「共産主義」の看板を掲げているものの、実態は全く逆に「資本主義」に基づく中国の安定的な経済成長の実現を最も重視している。そのため中国は、近隣国のネパールに対しても、マオイストによる王制打倒の共産化の策動を助けることはなく、むしろ逆に、中国側に悪影響を及ぼしかねないネパールの政治の不安定化を嫌って積極的にネパール王制を支援し、国王の傘下にあったネパール国軍に定期的に武器などを輸出していた。
 2003年には、中国の駐ネパール大使が「ネパールのゲリラが『マオイスト』を自称することは、故・毛沢東主席のイメージを悪化させるものであり、許すべきではない」と発言
している。
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▼王制を不安定化させた殺害事件

 ネパールの政治状況が変化し、王制が「安定化」の象徴ではなくなったのは、2001年6月1日、ネパールの首都カトマンズの王宮で開かれた、主要な王族の大半が集まる宴会の席で機関銃が乱射され、ビレンドラ国王やディペンドラ皇太子を含む10人の主要な王族が殺害される事件が起きてからのことである。(関連記事
 
 この事件で国王と皇太子が死んだことで、王位は、ビレンドラ国王の弟であるギャネンドラに継承された。混乱の中で行われた政府の捜査の結論は二転三転し、最初は「ディペンドラ皇太子が銃を乱射した後に自殺した」というものだったが、その後は「王族たちの死は、銃の暴発によるもの」というものに変わった。

 ネパール国民の多くは、これらの結論をギャネンドラ新国王によるねつ造と考えて信用せず、むしろ事件現場に居合わせながら無傷で生き延びた数少ない王族の一人である新国王の息子パラスが乱射事件の犯人ではないかという説が国民の間で流布し、それが今でも信じられている。(新国王自身は、当日は地方に出かけていて留守だった)

 ビレンドラ前国王は、政治の民主化に積極的だったが、ギャネンドラ新国王は、以前から民主化には反対で、前国王と対立していた。新国王は就任翌年の2002年5月、前国王が進めていた政党政治を停止し、議会を解散するとともに議会が選んだ首相を罷免し、代わりに国王の息のかかった人物を首相に任命した。(関連記事

前国王はマスコミ報道の自由を許したが、新国王はこれにも反対で、国王が代わってから新聞が発行停止処分を受けたり、マスコミの経営陣が逮捕されたりするようになった。多くのネパール国民は、前国王の時代の方が良かったと考えるようになり、前国王の殺害は、新国王が息子パラスにやらせたことに違いないという考え方が定着した。
 同時に、王制打倒の目標を掲げて1997年から山村でゲリラ活動を続けるマオイストに対する民衆の支持が拡大し、マオイストの支配地域は、ネパールの国土の3割から、7割へと増えていった。マオイストと、議会を停止させられた政党7党は、国王の政治に反対するデモや道路封鎖などを行い、ネパールは政情が不安定になった。(関連記事
▼ブッシュの真似をしたが許されず

 ネパールは貧しい国なので、欧米や日本など国際社会からの経済援助を受けることが、国家運営にとって不可欠になっている。国際社会の中でも、特にネパールに対して強い影響力を持っているのは、南隣の大国インドと、アメリカである(インドとアメリカの影響力に比べると、北隣の中国の影響力は比較的小さかった)。(関連記事

 ギャネンドラが新国王になって議会政治体制を壊し、ネパールの政情が不安定になっていく中で、インドとアメリカはギャネンドラに対し、政党7党と話し合って議会を復活し、立憲君主制に戻すよう圧力をかけたが、ギャネンドラに対する支援そのものは止めなかった。アメリカは新国王になってからの2年間(2001?03年)で、アメリカからネパールへの軍事支援を中心とする経済援助の額は倍増した。(関連記事

 ネパールの政治は、国王、政党7党、マオイストという3つの勢力の間の、三つどもえの争いの構図になっている。インドやアメリカは当初、国王と政党7党との間を取り持って対立を解消させて立憲君主制を復活させ「国王と政党の連合」対「マオイスト」という構図にした後、マオイストを弱体化させる計画だった。アメリカには左翼ゲリラを嫌う政治風土がある。インドでは自国内の山岳地帯などにもマオイストを自称する左翼ゲリラが拡大しており、インド政府は手を焼いている。このため、インド政府もネパールのマオイストを支持したくなかった。(関連記事

 ギャネンドラ国王が、早い段階でインドやアメリカの要請に従っていたら、ネパールの混乱は収拾していたかもしれない。だが、ギャネンドラは別の考えを持っていた。彼は、マオイストは「テロ組織」なのだから、自分がマオイストと戦うのは、アメリカのブッシュ大統領が取り組んでいるのと同じ「テロ戦争」であり、ブッシュと同様、自分も、ネパールの民主主義を制限して国王の権限を拡大しても、国際社会から許されるはずだと考えていた。(関連記事

 しかし、アメリカはそのようには考えてくれなかった。ギャネンドラ国王の行為はむしろ「独裁者が民主主義を弾圧している」という図式でとらえられた


▼インドの方向転換が国王の終わりの始まり

 アメリカやインドの圧力を受け、ギャネンドラは何回か政党7党との交渉を繰り返したが、政党が満足できる譲歩をほとんど行わなかった。その結果、政党7党は、国王と交渉してもらちが明かないので、むしろマオイストと組んで国王を倒す方が良いと考えるようになった。

 政党7党とマオイストが連携し、カトマンズでデモやストライキなどを強化したのに対し、ギャネンドラ国王は2005年2月、内閣を全員罷免し、首相を自宅軟禁にして全権を自ら掌握し、親政を敷いて対抗
した。(関連記事

 ギャネンドラのこの行動は、彼がインドを訪問する直前のタイミングに挙行された。インドから「議会を再開せよ」と圧力をかけられる前に、先手を打って親政(独裁制)を敷いてしまおうという戦略だったようだが、この行動は逆にインドがギャネンドラを見放すことにつながった。

 インドは、国王と政党を仲直りさせることに見切りをつけ、政党とマオイストを結束させて国王を倒すことを誘発するようになった。05年5月、インドの諜報機関は、マオイストの指導者バッタライ(Baburam Bhattarai)のインド訪問をエスコートし、インドの左翼政治家らとの会談をセットしたりして、マオイストとの関係を強化し始めた。(関連記事

 アメリカも、インドの方針転換に追随する動きを見せた。05年6月、アメリカ国務省のキャンプ次官補代理(Donald A. Camp)がカトマンズを訪問し、ギャネンドラ国王や政党7党の代表と会談した。この訪問でキャンプは、国王が議会政治を停止していることはネパールの民主主義にとって大きな後退であると、ギャネンドラを批判する声明を発した。アメリカは以前からギャネンドラの独裁を批判していたが、この声明は最後通牒となった。(関連記事

 インドとアメリカに見放されたギャネンドラは、インドのライバルである中国とパキスタンに対し、自国の対インド国境近くの町にインド側の動きを監視できる領事館を新設しませんかと持ちかけた。自国をインド監視の拠点として使ってもらう見返りに、中国やパキスタンから軍事支援を得たり、インドがネパールに圧力をかける動きを緩和させようとしたのだろう。(関連記事

 中国やパキスタンは、以前からネパールに武器を売却しており、中国はインドが苦情を言っても武器売却を止めず、05年10月には中国軍の幹部がネパールを訪問している。(関連記事

▼選挙に失敗し、追い詰められた国王

 だが、こんな動きをしても、ギャネンドラは優位を取り戻すことができなかった。ギャネンドラは国内と国外の両方から高まる批判をかわそうと、2007年4月に国会選挙を実施すると約束した。そして、その約束を守るつもりがあることを示そうと、今年2月に地方議会選挙を実施した。(関連記事

 しかし、ネパールの地方行政区の75%はすでにマオイストの支配下にあった。マオイストは、自分たちと何の交渉もせずに地方選挙をやろうとする国王に反発し、国民に選挙のボイコットを呼びかけるとともに、政党7党に対し、国王の政府を無視して、マオイストと政党7党で別の政府を作ろうと呼びかけた。(関連記事

 今年2月8日に選挙は行われたものの、投票率は20%程度と低く、マオイストが呼びかけたストライキや道路封鎖によって首都カトマンズは麻痺状態となった。選挙後は、国王に対する批判がさらに強まった。(関連記事

 インド政府は4月、代表団をネパールに派遣して、国王と政党7党やマオイストとの橋渡しを行おうとした。インドの主要政党である国民会議派には、ネパール王室の一族出身でギャネンドラ国王と姻戚関係にあるカラン・シン(Karan Singh)という政治家がおり、彼が特使としてカトマンズに派遣された。だがギャネンドラは、議会政治体制を復活した後の自分の地位があらかじめ保全されていない限り、政党やマオイストとの交渉はできないと拒否し、説得は失敗した。(関連記事

 インドの仲裁が失敗し、マオイストの道路封鎖で物資も届かないカトマンズは麻痺状態が続いた。連日、国王を非難するデモが行われて混乱に包まれる中、アメリカは4月24日、ギャネンドラに対し、政治権力を手放して象徴的な国王になるよう求める声明を発表した。(関連記事

 その2日後、ギャネンドラは譲歩し、政治権力を議会に委譲することを了承し、テレビで演説した。その後、4年ぶりに開かれた議会は、国王の権限を大幅に削減することを決定した。ネパールでは、軍隊から航空会社まで、公的な組織や資産の多くが国王のもので、名前に「王立(ロイヤル)」がついていたが、これらは王立から国家の所有に変更された。王室の広大な土地は没収され、王族は特権を失い、一般国民になった。国王が強行した今年2月の地方選挙は無効と宣言された。(関連記事その1その2

▼まだハッピーエンドではない

 ネパールではこのように、独裁的な国王が民衆の抗議行動に屈し、アメリカの力添えもあって政治が民主化された
。最近の中東や中南米、旧ソ連などの例では「アメリカによる民主化」とは「民主化を口実にした支配強化」であるという、悪いイメージが定着しているが、ネパールに対するアメリカの動きは、事態の安定化に貢献しており、数少ない例外の一つである。

 だが、これで話がハッピーエンドになったわけではない。ネパール政界の三つどもえの対立の中の一つの極だった国王は無力化されたが、残る2つの勢力であるマオイストと政党7党の間は、必ずしもうまくいっていない。

 政党7党は議会と内閣、国軍をおさえているが、マオイストはネパールの国土の4分の3を占める山村を支配し「人民政府」を作って行政を行っている。6月中旬、政党7党が国王から権力を奪取した中央政府と、マオイストの人民政府とが合体し、統一した暫定政府を作ることが両者間で合意された
。(関連記事

 政党7党とマオイストの間で、暫定政府をどのようなものにするか話し合いが始まっているが、マオイストは自分たちの主張を曖昧にしたままで手の内を見せず、政党7党が仲間割れするなど状況がマオイストにとって有利になることを待っている観がある。ネパール政局はまだ流動的で、内戦は潜在的に続いているといえる。

 ネパールでは来年4月に議会選挙が行われ、そこにマオイストも政党として出馬し、選挙後は議会政治の政党として政治に参加することになっている。ネパール政府(政党7党)と、インド、アメリカは、マオイストに対し、選挙前にゲリラ軍を武装解除し、ゲリラから政党へと脱皮するよう求めている。だがマオイストは「ゲリラ軍はネパール国軍の一部として統合されるべきであり、選挙が終わった後に国軍への統合するのだから武装解除はしない」と拒否した。(関連記事

 ネパール政府は国軍を傘下に持っているが、国軍は以前は国王の指揮下にあり、マオイスト軍と戦闘を続けていた。新政府とマオイストの対立は、国軍とマオイスト軍との再衝突につながりかねない。アメリカは7月に「マオイストが選挙前に武装解除しないなら、ネパールに対する経済支援を打ち切る」と表明し、危機感が強まった。(関連記事

 結局、ネパール政府とマオイストの交渉の結果、来年の選挙まで、マオイスト軍と国軍の双方が、それぞれの陣地にこもり、武装して外出しないことを約束し、国連に監視員を派遣してもらい、双方の軍勢が陣地から外出しないよう監視させる、という解決方法が決定され、危機はとりあえず回避された。(関連記事

 だが、その一方で8月20日には、政府(政党7党)が原油価格の高騰を受けて決定したガソリンや灯油などの値上げに対し、反発する声が国民の間で強くなり、マオイストがけしかけているとおぼしきデモや抗議行動が起きた結果、政府は値上げを撤回するという事件も起きている。政府が政策の舵取りに失敗し、単独政権を狙うマオイストが暗躍して情勢が再び不安定になる懸念は大きい。政党7党の内部にも対立があるので、ネパールの現状は、つかの間の安定という観が強い。(関連記事

▼中印貿易ルートになるネパール

 マオイストは政府外の勢力だが、政府に対して隠然とした力を行使し、ネパール政界で黒幕のような存在になっている。そのことは、これまで国王を支援してきた中国が、国王が権力を剥奪された後、あわてて特使をネパールに派遣してきて、マオイストの指導者と会談したことにも象徴されている。

 7月初めにネパールを訪れた中国の特使は、かつて駐ネパール中国大使が「マオイストという名称は毛沢東に失礼だ」とマオイストを敵視する発言をしたことを忘れたかのように、マオイストがネパールの安定に貢献していると賞賛し「アメリカやインドは、マオイストをテロ組織と呼んでいるが、それは間違いである。中国はマオイストをテロ組織と呼んだことはない」と述べた
。(関連記事

 かつて国王の軍隊に武器を供給していた中国は、今ではマオイスト軍に武器を供給し始めたとも報じられている。中国のこの動きに対し、ネパール政府(政党7党)やインドは「武装解除を進めねばならないときにマオイストに武器を供給するとは、中国はネパールを不安定化させている」と批判している。(関連記事

 中国がネパールとの関係を良好にしておくため、なりふりかまわぬ外交を展開していることには、理由がある。中国は今年7月、ネパールのすぐ北側にあるチベットの中心都市ラサまで、青海省から1100キロの鉄道を開通させ、北京や上海からラサまで列車で行けるようになった。中国政府は、今後3年かけて鉄道をネパールとの国境まで270キロ延伸することを決めている。(関連記事

 鉄道の開通によって、中国からネパールを抜けてインドに通じる交通が強化されている。中国政府は、世界が多極化しつつある流れを受けて、数年前からインドとの戦略的な関係を強化しているが、ネパールを経由する貿易ルートの補強は、中印の戦略的関係を強化するための象徴的な事業となっている。中国にとっては、王政廃止によってネパールとの関係が悪化するのは、何としても避けねばならないことだった

 ネパールに対する中国の外交攻勢は、批判を受けつつも成功している。新生ネパール政府は最近、チベットのラサに副首相(外相)を派遣して中国側と貿易や投資などについて話し合う一方、インドに対し、ネパールを通って中国に向かう貿易ルートを使ってほしいと要請している。(関連記事

 中印2つの大国に挟まれているネパールは従来、インドと中国の両方に対して警戒をおこたらない姿勢を維持しており、自国を中印の貿易ルートとして売り込むことは、全くやっていなかった。中印の戦略的関係が強化されつつあることが、ネパール政府の態度を転換させ、ネパールは中印の国境貿易立国として生きていく道を模索し始めている。(関連記事

 この動きは、ネパールの問題として考えると小さい話にしか見えないが、インドと中国というユーラシア全体の地政学的な話として考えると、世界的に非常に重要な意味を持つ、世界の多極化の一環であると感じられる。


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■以前、田中さんの文章も紹介するかたちで、「ネパール王政のたそがれ」という時評をかいたが、今回の記事には脱帽。
■しかし、ネパール共産党と中国共産党のやりとり、とりわけ前者の試合巧者ぶりと、後者の「ひよりみ」というか、はじも外聞もない豹変ぶりは、わらいそさそう。

■それにしても、オイル・ダラーで超巨大資産家であるアラブの産油国の王族は、実にうまくやっているね(笑)。■欧米の石油メジャーにたかられているだけではなくて、しっかりビジネスし、外国人労働力を酷使・搾取し、地政学的動態を狡猾にいきぬいている。■地下資源があるでもなく、まさに大国にはさまれたという地政学的不利が変質するかもしれない好機を、ネパール共産党は、うまく利用できるだろうか? ■アホで時代おくれな暴君をひきずりおろすのは比較的簡単だったかもしれないが、今度は、内政じゃなくて完全な外交の次元だからね。
■かれらのお手本のひとつだった ペルーの「センデロ・ルミノソ」は、「当初は理想から出発しながら、運動の行き詰まりの中で堕落した」と酷評されている状況だが、ネパールの「マオイスト」はどうなるか?