■別処珠樹さんの『世界の環境ホット!ニュース』のバックナンバーから転載【リンクは、ハラナによる追加】。■シリーズ第20回。■いつもどおり、ハラナがかってにリンクをおぎなっている。

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世界の環境ホットニュース[GEN] 605号 05年09月06日
発行:別処珠樹【転載歓迎】意見・投稿 → ende23@msn.com     
枯葉剤機密カルテル(第20回)     
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枯葉剤機密カルテル          原田 和明

第20回 林野庁245T遺棄事件

林野庁 長官の「71年夏の245T使用中止」表明 後も、塩素酸ソーダの散布は全林野 労組、住民の反対にも拘らず 更に規模を拡大していて、林野庁の除草剤散布意欲は少しも衰えていません。米軍もニクソン大統領の中止命令後にも拘らず枯葉作戦を続けていたことが後に判明しています。(1971.10.24 朝日新聞)

とりあえず、林野庁は「国有林での245Tの使用中止」(4月6日付 林野造303号通達)と、「在庫の245Tは追って処分方法を連絡するまで鍵のかかる倉庫に保管」(4月19日付 林野業170号 通達)を指示。その後、日本版 枯葉 作戦で245Tが散布されることはありませんでしたが、その代わりに林野庁は245Tを国有林に遺棄することにしたのです。
多くの国民が日本版枯葉作戦のことを忘れかけていた1984年、全国各地の国有林から245Tが流出していることが判明、林野庁の杜撰な処分が問題となりました。1983年8月、全林野労組四国地方本部は当局に埋設薬剤の追跡調査を要求し、独自に調査も開始しました。84年4月の交渉では、当局は 埋設処分に問題はなかったと答えています。そこで、全林野労組四国地本はダイオキシン問題に取り組んでいる愛媛大学農学部教授・立川涼に協力を要請、5月9日に同学部助教授・脇本忠明らが愛媛県宇和島市郊外津島町の山林にある現場に同行、245Tの流出を確認したのです。(GEN333号既報)

この日の発掘作業で地中 約1.5mから日産ウィードンという商品名のついた段ボールにつつまれた石油缶が掘り出されました。(河村宏・綿貫礼子「毒物ダイオキシン」技術と人間1986)

「当時、缶を四、五本ずつ一緒に包んだというビニールはもれた薬剤で変質したのか、破れ、露出した三本の缶はいずれも腐食して穴があいていた。缶は薬剤名が印刷された段ボールに包まれ、薬剤のにおいがプーンと鼻をつく状態」(84年5月15日衆院環境委員会)で発見されました。

全林野労組四国本部は独自の調査結果を公表、1971年当時高知営林局管内の13営林署に245Tの乳剤2700リットル、粒剤1020キロの在庫があったことを示す資料を提示して、埋設箇所の全調査、埋設方法の確認と科学的な分析、今後の万全な対策を求め、調査には全林野労組の立会いを強く要請しました。

しかし、林野庁長官・秋山智英は、全林野労組の意見は聞いてもいいが、調査への参加は認めないと発言(1984.5.15 衆院農林水産委員会)、林野庁の責任問題も「林野庁あげて取り組む」と答えただけで責任を認めたわけではありませんでした。(1984.5.17衆院農林水産委員会)

林野庁が 労組の立会を 認めなかったのはこのときだけではありません。1971年日本版枯葉作戦で245Tの散布が取りやめになった直後、除草剤を処分する際に、全林野労組は 自分たちが最大の犠牲者だから きちんと廃棄処分することに自分たちを立会させてくれと申し入れたのですが、林野庁は拒否したという経緯がありました。そして84年にはダイオキシンの問題が社会的にも大きく取り上げられた影響で、84年4月の労使交渉 以来、マスコミが245T埋設問題を取材していることを当然林野庁も把握しているという状況にありました。それでも林野庁長官・秋山智英は、愛媛大学の調査が報道されるまで知らなかった、当事の詳細は調査中でわからない、といい続けました

しかし、野党の追及で、245Tの杜撰な取り扱いが次々に露呈、田中恒利(社会党)は「そういう状況を見ると、営林署なり営林局なり林野庁というものは、山を守らなければ いけないのに どうも むしろ山を破壊しておる じゃないか」(1984.5.17衆院農林水産委員会)と語っています。

埋設量の 多い 地域は、粒剤では、熊本県 宇土市(2055kg)、熊本県 北部町(1295kg)、鹿児島県吉松町(1200kg)、青森県小泊町(1200kg)、愛知県設楽町(1095kg)、岩手県岩泉町(1095kg)など合計25トンあまり、乳剤では高知県窪川町(648リットル)、同・大豊町(360リットル)、愛媛県津島町(252リットル)、高知県宿毛市(198リットル)など 合計2.1キロリットル(ただし、判明分のみ)でした。(河村宏・綿貫礼子「毒物ダイオキシン」技術と人間1986)

林野庁が除草剤、枯葉剤散布に固執した理由として当時問題にされたのは、産・官の癒着でした。林野庁が薬剤を高価格で大量にかつ安定的に購入する代わりに、幹部が農薬メーカーや関連特殊法人に多数天下っていたのです。(1982.3.18 衆院農林水産委員会)

林野庁が国有林で245Tを散布していたのは、廃棄物処理が目的だった塩素酸ソーダ散布と異なり、もともといずれ必ず終わるベトナム戦争の「後」、「枯葉作戦後」を見据えた農薬メーカーの事業開拓の意味合いがあったと思われます。
あるいは米軍に買い叩かれていた枯葉剤を林野庁が高価で買い取ることで全体の価格調整を図っていたのかもしれません。この利権構造は松食い虫対策に引き継がれました。もともと被害がなかった松林に殺虫剤を空中散布して「被害が減った」とか、散布しなかった 地域で「効果があった」などの 虚偽の報告をもとに「松くい虫防除法案」が上程され、野党議員から「こんないい加減な資料では審議はできない」と反発されましたが(1977.9.12 衆院農林委員会)、与党自民党の賛成多数で法案は成立、その後も散布効果は不明確なまま現在に至っています。

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■ここでもたしかめられるとおり、行政はもちろん業界も、アメリカ政府からの圧力で、イヤイヤやらされていたのではない。■「しもじものものの人権などしゃらくさい」というホンネが確実にあり、大問題化するまでは、良心のうずきなどないまま、利権をしゃぶりつづけていたのである。
■「うつくしい国・日本をまもれ」と右派がさけぶなら、こういった売国層をまずうて。そうでないと有言不実行、自己矛盾というべきだ。