新聞販売店
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新聞販売店(しんぶんはんばいてん)とは各世帯と新聞の宅配契約を結び、宅配、集金をする店(営業所)のことである。日本の新聞戸別宅配制度を維持する独自のシステム。

都市部では各新聞専門の販売店(専売店)が多かったが、新興住宅地や地方では2紙以上の新聞を扱う販売店も多い。販売店では直接新聞を買うことや、新聞社が刊行している書籍を注文することができる場合もある。日本の高い新聞購読率は新聞販売店が支えているといっても過言ではない。

販売店の休暇のために新聞休刊日が設けられている。
【中略】

新聞販売店の問題点
拡張団
新聞宅配契約は販売店が独自にやる場合と「拡張団」と呼ばれるセールスマンが行う場合がある。拡張団は販売店とは異なる独立した存在で、新聞契約を販売店に買い取ってもらうことで利益を得る。しばしば拡張団の暴力的な勧誘が問題視される。

ノルマ達成と押し紙
新聞社は再販制度の保護下にありながら慢性的な過当競争状態にあり、しばしば「世界一の発行部数」「目標数○○万部」などと、契約上の優越的地位を利用して過大なノルマを販売店に課すことがある。販売店は新聞社に対して従属的な立場にあるために、ノルマを受け入れざるをえず、販売店には大量の売れ残りが発生する。販売店は売れるあてのない新聞の代金も新聞社に一方的に支払い続けなければならないが、これを拒めば販売店契約の解除を暗にほのめかされるなどするため、販売店は経済的に常時「生かさず殺さず」の状況に追い込まれる。これを「押し紙」(違法行為を意味するこの呼称を避けるため、実際には各社様々な名称を用いる。例として「アジャスタブル目標」(朝日新聞社の場合)など)と言う。これは実売部数と公称部数との乖離を招き、水増し発行部数分の広告料が新聞社によって事実上詐取されていることを意味するだけでなく、独占禁止法第19条に違反する不公正な取引であるが、全国紙を始め多くの新聞社で横行しているのが現実であり、全国の日刊紙で発行部数の2割程度、約1000万部が「押し紙」として日々廃棄されているという。ただし、新聞各社は押し紙の存在を否定している。

販売店と新聞社の関係
消費者にとって新聞販売店は最も身近な新聞社の組織(と見える)であり、新聞社にとっても実質的には末端組織として活動しているにも関わらず、販売店や拡張団が問題を起こした場合新聞社は「取引先が問題を起こしたことを遺憾に思います」というふうにあくまで取引先の問題として、新聞社は無関係という態度をとる。その一方で、販売店や拡張団の問題を新聞や、新聞社とつながりのあることが殆どであるテレビ局が正面から批判することはほとんどなく馴れ合い状態である。そのため紙上の論調とかけ離れ、紙上で論じられることのないこの矛盾を「新聞はエリートが書き、ヤクザが売って、馬鹿が読む」と皮肉られることもある。

販売店の経営状態
新聞販売店の原価率は極めて高く、粗利は低い。従業員も時間的特殊性から時間給は非常に高く、人件費のウエイトが高く新聞の売り上げだけでは利益を確保出来ない。新聞に折り込まれる折込チラシの手数料収入が経営を支え、上記のような押し紙に耐えられるのもこの収入があるからに他ならない。以前は、チラシの指数と新聞の扱い部数が乖離し、配布することなく徴収する手数料もあったが、最近はABC(Audit Bureau of Circuration、部数公査機構)の店別指数公表もあり経営環境は厳しくなっている。

また、表向きは再販売価格維持契約及び特殊指定により「全国同一価格」が謳われているにも関わらず実際は新規契約に際して「3ヶ月間無料」と言った条件が提示されたり同じ新聞の販売店でも月極で800円前後の価格差が存在すると言った実態も知られるようになって来ており(『WiLL』2006年7月号)、こうした実情に対して「再販制度は既に破綻しているにも関わらず『再販制度絶対護持』を訴えるのは欺瞞ではないのか」と言う批判も聞かれるようになって来ている。


販売店に勤める労働者
一般業種と比較し、福利厚生面の充実に乏しい面がある反面、未経験者にも比較的高めの給与が設定されている(最近は徐々に福利厚生面の向上が見られるのと反比例し、給与が低下している傾向がある)。
雇用の際に住居の提供や引っ越し代の負担、更に生活費の貸し出しを行っている販売店が多い。
一定期間、給与から所定金額が積み立てられ、期間満了時に積み立てた金額へ更に新聞販売店と本社からの援助金額が加算されて2倍となった金額が支払われる。これは積立金制度と呼ばれている。
基本作業となる配達に関して言えば特殊な技能は不要であるため、雇用に際し、一般業種と比較して雇用者の望む敷居がかなり低めに設定されている。
上記のような理由により、新聞販売店へ社員として雇用される者は、過去に複雑な事情のある者や、一般的には考えられないような怠惰な生活(ギャンブル、異性関係、風俗、酒など)を送っている者が、飛び込み同然で販売店に入ってくる事が多い。このような状況であるため、労働者の職業的モラルは全体的に低い傾向があり、結果的に社会から疎まれる事の多い業種となっている。近年、本社営業部門の方針もあり、業界全体へクリーン化が進められてはいるが、長年にわたり定着してきたイメージはなかなか変化していない。また、このようなクリーン化の傾向を、長年在籍していた中堅以上の社員に対して、どのように指導していくかも難しい課題となっている。


関連項目
新聞拡張団
新聞奨学生


外部リンク
押し紙裁判
北國新聞社に対する公正取引委員会の勧告
違法な押し紙をやめさせた=大分合同新聞社
新聞販売黒書 黒藪哲哉のホームページ
ポチは見た ?マスコミの嘘と裏?

カテゴリ: 新聞

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【追加リンク】
●『まだ旧体制下の新聞社と月極契約している人たちへ
●「毎日新聞「押し紙」の決定的証拠 大阪の販売店主が調停申し立て 損害6,300万円返還求め
●「毎日新聞140万部“水増し詐欺”の決定的資料
●「あなた、新聞にいくら払っていますか?
●「他社を語る暴力団的な新聞拡張員がやってきた
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■「新聞社は……契約上の優越的地位を利用して過大なノルマを販売店に課すことがある。販売店は新聞社に対して従属的な立場にあるために、ノルマを受け入れざるをえず、販売店には大量の売れ残りが発生する。販売店は売れるあてのない新聞の代金も新聞社に一方的に支払い続けなければならないが、これを拒めば販売店契約の解除を暗にほのめかされるなどするため、販売店は経済的に常時「生かさず殺さず」の状況に追い込まれる」というが、実際には、もっとエゲつなく、「新聞社は補助金を投入することで、販売店の経理の帳じりを合わせようとする。あるいは補助金の額を調整して、倒産しないぎりぎりの範囲で販売店の経理を赤字にする。補助金の支給額は、販売局の裁量で決まるので、こうしたことができるのだ。
 新聞社は「押し紙」を強制したうえで、補助金をカットすれば、販売店をたちまち赤字経営に陥れることができる。これこそが、販売店が「押し紙」を告発できないゆえんである。膨大な経費を承知のうえで景品を使った新聞拡販に走らざるを得ない
」のだそうだ。
■しかも「折込チラシの枚数を決める権限は販売店にはない。折込チラシの代理店が、新聞社から送られてくるABC部数などの資料を基に決定する」ので、どうしようもない。

■そして、こういったヤクザな商法は、当然巧妙なアリバイ工作をともなっている。■「毎日社のばあい、請求書にわざわざ次のような注意書きを記している。
 新聞部数を注文する際は、購読部数に予備紙等を加えたものを超えて、注文しないでください。当社は、注文部数を超えて新聞を提供いたしません。また、請求部数に疑義のある場合は、書面をもって翌月定数日までに当社に申し出てください。
」といった、販売店のよわみに徹底的につけこんだ形式的ポーズを明文化しておくとか、「「押し紙」の証拠を残さないために、新聞社は新聞の発注伝票を、商取引のツールとして採用していない。……発注伝票が存在しないのだから、販売店主は自分が必要な注文部数を記入しようがない。「押し紙」裁判を提起して、「電話で注文部数を伝えたはずだ」と主張しても、「聞いた」「聞かなかった」の押し問答になり、結局は証拠不十分ということになってしまう。発注伝票がないのだから、販売店が注文した部数を立証することはできない」といった、てぐちなのだ。


■こういった「みずまし部数」によって、新聞社のスポンサーをあざむき、チラシ広告を販売店にたのむ業者をあざむき、販売店や販売拡張団といった末端を徹底的に利用・搾取し、大量の資源・エネルギーを浪費する。■再販制度や宅配システムを悪用して、たかい社会的地位と収入(新聞社によるが)を確保し、購読者をこバカにした記者クラブ護送船団方式による「大本営発表タレながし記事」を配信しつづける、背信行為と無節操。
■これが新聞社、とりわけ有力全国紙の実態・本質である。したがって、「新聞はエリートが書き、ヤクザが売って、馬鹿が読む」」との事情通ぶった皮肉は、実に皮相な分析水準の俗論といえよう。■より適切に皮肉をきかすなら、「新聞は、えせエリートがかき、ヤクザが底辺労働者にうらせ、アホがとる」というべきではないか?


■「つみほろぼし」は、するどい分析、たゆまないウラとり、アッと虚をつかれる大スクープしかない。■なければ、犠牲がうかばれまい。それこそ、単なる「マスゴミ」である。