■これも、通常なら「スポーツ現象」に分類すべきなんだろうが、内容をかんがえて、一応「国家/ナショナリズム論」に。

大相撲もプロボクシングも、アマチュア相撲やアマチュア・ボクシングとちがって、スポーツじゃなくて単なる興行だという見解はありえるとおもう。■で、実際、かちまけ、ほかいろいろな現象の大半は、スポーツというよりも、「興行」の論理・政治力学ですすめられているとおもう。■その意味では、亀田君のばあいと同様、「まあ興行ですから」とわりきって、カリカリしたりしないのが、オトナというもんだろう。それに異論はない。■タイトルとか昇進とかも全部ふくめてね。

■ただ、いくら興行だといっても、あまりに巨大な、ワールドカップサッカー、オリンピック、プロ野球、そして国技とされてきた「大相撲」、歳時記的イベント「夏の甲子園」は、「スポーツ」という理念型を無視して議論するのは、まずかろうとおもう。■「真剣勝負」というタテマエと、巨大な影響力(ヒト/モノ/カネ/情報の移動)とをかんがえあわせるとね。
■今回は、きのう千秋楽をむかえた大相撲をとりあげる。
■まず『正直正太夫』の最新記事「大相撲の教育的効果」を転載。

文化・芸術 / 2006年09月22日
 大相撲で活躍してる力士は外国人ばかりのようだ。国技であるらしい大相撲で外国人力士が活躍していることが、何の矛盾なく報道されていることは、何か意図するものがあるのではないかと邪推したくなる。たぶん相撲界で外国人力士が許容されているということを報道することによって、現在進行中の日本での外国人労働者の受け入れを促進するねらいがあるのだと思う。相撲界のような3K職場でも外国人労働者が働いているので、日本国民に対して外国人労働者の存在を認めさせようとしているのだ。前に外国人労働者の地位向上を訴える琴欧州のポスターを見たことがあった。私は大相撲は日本人だけでおこなうべきだとは思わない。外国人を雇うならば大相撲は国技の看板を降ろすべきで、日本の伝統技などと言わずにKー1やprideのようにひとつのスポーツ興行としてやってくべきだ。
 先頃日本政府は、日本の看護士資格を修得したフィリピン人を受け入れるようになった。日本での外国人労働者の増加は避けられないだろう。私は日本に在住する外国人には、日本人と同じ賃金や人権や参政権などの待遇を与えるべきだと思う。人間は移動の自由がある。その自由を国家や企業によって歪められてはならない。たぶん日本での外国人労働者の受け入れの推進を願う者は、そのようなことには無関心だろう。日本での外国人労働者の増加は、大相撲が外国人力士の活躍によって国技ということに疑問がつくように、日本国が日本人だけで支えられているという意識をゆるがせるかもしれない。しかし日本ナショナリズム解体を外国人労働者に託すというのも、他をあてにしすぎてはいないか。
 そこで思いだしたのだが、バブルの頃人手不足で外国人労働者が増えてきた時、確か「朝日ジャーナル」だったか島田雅彦と鴻上尚史の対談で、外国人が増えて日本の文化が豊かになるといったことが話されていたことがあったようだ。その頃は、外国人労働者のもたらす文化が閉鎖的な日本文化を変化させてくれる願望があったのだった。それから今にいたって、外国人労働者は増えたが日本の文化など一向に豊かになったとは思えない。現在の外国人労働者の問題についても、待遇や治安対策などが論じられているだけで、外国人労働者の文化などは論じられていはいない。せいぜいワールドカップの時だけ在日ブラジル人の居住地での熱狂ぶりがリポートされるぐらいなものだ。日本でのグローバリズムは経済一辺倒であり、文化などは忘却されているようだ。かくしてかってグローバリズムによる日本文化の変質を希望していた島田雅彦は最近皇室をモデルにした小説を書き、鴻上尚史は日本文化万歳のNHKの番組の司会をすることになったのだった。彼らは日本文化の豊さを求めていただけであり、外国人労働者の生活などは考えてはいなかったのだ。

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■ヒトの移動が完全に自由でいいかどうかは、微妙な問題である。■ただひとつ確実にいえることは、現在の先進地域の相当部分は植民地として成立した。北米・オセアニアはもちろん、ロシアや北海道なども。■植民者たちが、ヨソものだったにもかかわらず、先住者の生活空間にズカズカあがりこみ、生態系も生業も破壊し、支配権をにぎったあとは、まるでずっと以前から先住者であったかのようなかおつきで、後続の移民を強烈に差別しつづけた。■すくなくとも、アメリカ・オーストラリアという空間ではそうである。先住者と後続移民を徹底的に差別・搾取しつつ、正統な定住者然とふるまう卑劣さは、かなりハレンチといえるだろう。

■以前もかいたとおり、「「外国人力士」というイメージを形成した「立役者」とは、やはり「高見山」にはじまる、ハワイ出身の米国籍力士の登場」なのだが、力道山など朝鮮半島出身者、サハリンの植民地化という歴史的経緯がうんだ、大横綱大鵬、その閉鎖的な空間ゆえにひたかくしにされてきた在日力士、琉球列島の「シマ(=沖縄角力)」の人材など、多様な民族的出自や格闘技文化が流入していた。
■とはいえ、ほかの武道系格闘技同様、スポーツ化がおしすすめられたアマチュア相撲とちがって、幕藩体制期からの興行を近代化・再編することで成立・存続してきた大相撲には、「国技」イデオロギーをふりかざさなくても、文化的に排外的な土壌がのこる体質があった。■それは、家元制度やヤクザ組織同様、擬制的血縁関係で修行が制度化されるという点と、単なる「創られた伝統」とすませるわけにはいかない水準で、集団・組織の連続性があったからだ。■ある意味、まげをゆう。きもので移動する。けいこは しりをむきだしのフンドシ(=「まわし」)だけで半裸状態である。極度の肥満体になることが奨励されるとか、カタギの日本人自体が、さけたがるような特異な風体・生活文化を維持する、一種異様ともいえる異能集団なのだ。■外国人が、その排外的で抑圧的な閉鎖空間にはいりこむこと、そこでの理不尽ともいえる過酷な修行生活にたえることは、通常ではかんがえられないことだった。
■太平洋の少数民族や旧ソ連周辺のレスリング経験者しか入門してこなかったことは、人脈やリクルートネットワークの限界もあるが、要は、理不尽で過酷な空間にとびこもうという層が、もともとかぎられていたということだ。

■したがって、正直正太夫氏が、外国人力士を移民労働者の一種とみなして、入国管理制度の開放をとなえている点は、まとをいた視点である。■ただ、「相撲界で外国人力士が許容されているということを報道することによって、現在進行中の日本での外国人労働者の受け入れを促進するねらいがある……。相撲界のような3K職場でも外国人労働者が働いているので、日本国民に対して外国人労働者の存在を認めさせようとしている」という推測が妥当かどうかは、留保しておく。
■それと、「人間は移動の自由がある。その自由を国家や企業によって歪められてはならない」という正論には賛同するし、「日本での外国人労働者の増加は避けられないだろう。私は日本に在住する外国人には、日本人と同じ賃金や人権や参政権などの待遇を与えるべきだと思う」という認識にも全面的に賛同するが、それを実現されるかどうかについては、はなはだ疑問をもつ。■日本国籍をもち、日本そだちのひとびとのなかにさえ、最低賃金が保証されない層が実在する。つまり、労働市場が経済学者が公認する次元で二重構造であるだけでなく、アウトロー的搾取が実在する。その意味では、労働市場は、すくなくとも三重構造をなしている。■高利貸しが「借り手のニーズ」に即して、金利が何重にもなるように、労賃も下層労働者の窮状に即して何重にもアウトロー的「価格破壊」が成立する。■刑事罰をもって、雇用者をとりしまっても、二重構造は潜在するだろう。

■ちなみに、正太夫氏が直感している「大相撲で活躍してる力士は外国人ばかりのようだ」という印象は、少々いいすぎにしても、いい線をいっていることは、数値としてはっきりでている。■まず、千秋楽最後の三番には、すべて「外国人力士」がのぼっており、むすびは朝青龍‐白鵬戦だった。これは幕内最上位層のうちの中核はまぎれもなく「外国人力士」でささえられていることをしめしている。
■さらに、木村正司さんの考案した対戦相手加重換算システム〔前頭16枚目=1点、15枚目=2点、14枚目=3点、……大関=19点、横綱=20点〕を利用した幕内勝ち点システムによれば、今場所の得点上位15人(番付ではない)は、朝青龍=206点、安美錦=170点、千代大海=161点、琴欧州=156点、露鵬=155点、雅山=148点、栃東=145点、黒海=134点、琴光喜=132点、稀勢里=128点、白鵬=118点、安馬=117点、時天空=107点、岩木山=104点、普天王=84点となる。■16位以下は、60点台以下なので、その格差は歴然としている。異常に健闘した安美錦=170点と、予想外におおくずれした白鵬=118点と休場の把瑠都=56点、魁皇=14点を別とすれば、(今場所にかぎってだが)実力どおりの得点ランキングだといえよう。
■うち、「外国人力士」は、15分の7。約半分をしめるだけでなく、総得点も、2065分の993と約半分に達する。■横綱朝青龍と大関白鵬が突出して人気をひっぱっているだけでなく、地位も勝利の価値も名実ともに、一流力士の中核にして不可欠な部分に成長しているわけだ。■かれらが、なんらかの理由で全員国外退去になったら、大相撲を一挙に水準も迫力・魅力も、ガタおちになること必至だ。■プロ野球やバスケット・リーグどころのさわぎではない。アメリカのメジャー・リーグなみに、「外国人」依存の体質に変化していることを意味している。

■問題は、アマチュア相撲のように、行司を廃止して審判に、まげをやめて坊主刈りにでもして、ファンがのこるかだ。■また、東洋的な柔道着は世界化したが、まわしがそうなるともおもえない。以前ものべたとおり、女子相撲のようにパンツをしたにはかせるか? しかし、日本の大相撲ファンがなっとくするか?■トランクスにグラブというボクシングの衣装や柔道着は、意外に普遍的だが、まげ・まわし・半裸といういでたちは、民族主義的復古モードで、理解をえにくい。そしてファンは、そういった異形を「国技」の不可欠の文化的要素として、こだわるだろう。欧米の相撲ファンも、アマチュア相撲はみたがらないだろうし、単なる日本のファンのヘンな趣味とはいいきれないのだ(笑)。■大相撲のスポーツ化は、存外むずかしい。

■そして、正太夫氏の、「バブルの頃人手不足で外国人労働者が増えてきた時、……外国人が増えて日本の文化が豊かになるといった……外国人労働者のもたらす文化が閉鎖的な日本文化を変化させてくれる願望があった……。それから今にいたって、外国人労働者は増えたが日本の文化など一向に豊かになったとは思えない。現在の外国人労働者の問題についても、待遇や治安対策などが論じられているだけで、外国人労働者の文化などは論じられていはいない。せいぜいワールドカップの時だけ在日ブラジル人の居住地での熱狂ぶりがリポートされるぐらいなものだ。日本でのグローバリズムは経済一辺倒であり、文化などは忘却されているようだ」という印象も、おそらくただしい。■大相撲でいうなら、その「土俵」上での明文化されていない伝統的な戦略・戦術文化は、意外に洗練されており、新田一郎氏が指摘するとおり、アマチュア相撲のトーナメントによる一発勝負でなく、中長期的な研究がものをいう場所制度では、レスリングやモンゴル相撲などの奇襲が通用しなくなる傾向がいなめない。■以前「中長期的にも、シムル/ブフ/レスリング出身者の技法は、大相撲自体の 土俵を変質させる可能性があるとおもう」「かりに、それが「相撲四十八手」(実際には、「決まり手」82種)におさめられてしまうにしろ、朝青龍らのわざは、土俵上を、あきらかに変革しつつあると、おもう」 とかいたが、スピードはともかく、大相撲の根幹をゆさぶるような変革をレスリングやモンゴル相撲などの経験者の流入がもたらしているとは、おもえなくなってきた。■相撲のルールが維持されるかぎり、相撲の技法はかなりおくぶかく、外国人力士の運動神経・筋力を活用(一種の「同化・吸収」)することはあっても、技法の根幹が変質をせまられはしていないかもしれない。

■そして、相撲の戦略・戦術という技法の水準にとどまらず、東関親方が、非常に日本的な人間関係をきずきあげていったことに象徴されるように、相撲協会的体質は、日本列島全体にただよう同化吸収圧力構造かもしれない。■もしそうなら、この日本列島という空間は、異様に保守的であり(同時に、アメリカ的な郊外化などは、あっさりうけいれるのだが)、外来物のよさをとりいれるというよりは、ふところにとりこんでしまうというスポンジ状の社会なのかも……。

■サッカー・ブームによって、英米語以外のヨーロッパ言語が、少々はいってきて、すこしばかり多言語化がすすんだが、ホンのおしるし程度。以前もかいたが、

■しかし、経済格差がある地域からしか、大相撲に人材があつまらないという構造は、相撲協会の ふるい体質とともに、日本社会の暗部を象徴していることを、わすれないでおこう。■工場労働や水商売など、社会の「底辺層」労働力の補充の意味で世界からあつめられる人材(ものすごい、人材の浪費)の、一環として、大相撲のリクルートもある。■せめては、日本国籍をえなくても、親方になれる。不明朗な親方株を購入しなくても、一代親方になれるような制度をつくらないかぎり、「文化的鎖国」といえるだろう。「国技」と、いいはるうちは、日本に「開国」は、やってこない。

■あと、あの 漢字表記に しがみつく「しこ名」。なんとか、ならないかね。日本国籍を取得していない力士にまで、「朝青龍 明徳(あさしょうりゅう あきのり)」は、ないだろう(笑)。■もちろん、この悪習は、「国技大相撲」だけじゃないけどね。「ユーリ・アルバチャコフ」とか、カナがきできる選手に「友利海老原」なんて、つけて、本人にいやがられたボクシングクラブ会長のケース(笑)もあるし、ブラジル出身のサッカー選手が日本国籍とるときにも、漢字表記をつけさせようとする周囲の圧力があるんじゃないか? 本人たちが全員のぞんでいるなら、とめねばならんもんでもないけど。■歌舞伎・落語など伝統芸能の「襲名」制度とか、「外国出身者も、入門した以上は、国風文化に なじんでもらう」といった態度は、いかがなものか? ■アメリカ大リーグでも、「Ichiro」「Matsui」といったローマ字表記が、かりに、米語風に なまって発音されたにしても、「Brown」とか「Smith」とかに、改名させられたりしないぞ(笑)。■日系人の「田中マルクス闘莉王」はともかく、ラモスさんの「瑠偉」とかは、必要なんでしょうかね?


という印象は、全然かわらない。■大相撲の非国技化=真の開国/国際化は、日本の労働市場や日常空間の開国/国際化の程度と並行しているのかもね。■以前、イチローが「かわらなきゃ」とテレビ・コマーシャルでくりかえしていたけど、いまのままでは、体質が全然かわらないだろう。


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