■インターネット新聞『JANJAN』のきのうの記事から。■リンクを一部かってに補足してある。


強力な広報戦略体制を敷いた安倍内閣
2006/09/27

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 26日発足した安倍晋三内閣の顔ぶれを見ると、「お友だち型」のイメージが強いが、とくに党の広報経験者を重用しており、各種の広報手段を駆使して内閣の推進力をつけようとの戦略が読み取れる。

 まず、内閣官房長官の塩崎恭久氏は、自民党改革実行本部の事務局長(ちなみに安倍首相は党改革実行本部の本部長)として、小泉元首相と安倍氏が最も力を入れてきた自民党改革で旗振り役を行ってきた。そして首相補佐官(経済財政担当)の根本匠氏は、党改革実行本部の副本部長だった。さらに、根本氏は昨年の総選挙時の広報本部長でもある。内閣官房副長官の下村博文氏は、自民党の広報局次長。
 インターネット上でおなじみの世耕弘成氏は、広報本部副本部長および党改革実行本部事務局長として、昨年は大活躍した。世耕氏は今後、首相補佐官(広報担当)として、年間100億円と言われる政府の広報予算を仕切ることになる。
 世耕氏がこの8月に出版した「自民党改造プロジェクト650日」では、彼らの獅子奮迅ぶりが詳しく書かれている。安倍首相は、長野県知事選で話題になった若林正俊氏を入閣させるなど(注1)、表向きには派閥や衆参のバランスをとった人事を行ったかもしれないが、本当の側近は「あ・うん」の呼吸で行動できる「戦友」を配置したことになる。しかも、世耕氏を広報担当に付け、根本氏も補佐官として置いたところから、かなり広報戦略に重点を置いた布陣になったと言える。

 ところが、これらは政府の広報担当の話ではあるが、それはそのまま「自民党」の広報にもなり得るのである。昨年の11月に始まった「政府インターネットテレビ」……が、実質的には自民党のインターネットテレビになってしまっている現状を見ると、今後世耕氏の手によって行われるであろう政府の広報改革は、結果によっては自民党の支持率アップに直結する可能性が高い

 来年の参院選。民主党は背水の陣で望むと言いながら、どこか「勝てるだろう」といった楽観的な姿勢が見えることがある。確かに、圧倒的な人気を誇った小泉首相退陣後、民主党には小沢新体制で盛り上がってきている高揚感が漂っているように見える。今年2月に起こった「永田メール事件」のころと今では、参院選モードに入ってきたこともあるが、党本部の雰囲気がかなり異なる。党本部のある職員は、「一時はどうなることかと思ったけど、なんとか持ち直して、今は良い雰囲気です」と語った。
 しかし、そこで安心してしまうと、昨年の衆院選と同じ轍を踏むことになるおそれがあることを、民主党はしっかりと肝に銘じなければならない


 安倍内閣が広報に力を入れることにより、国民には今までよりも政府の動きが良く見えるようになるだろう。小泉内閣では良く見えているのは首相だけで、改革の中身はあまり見えなかった。昨今のマスメディアの力では、それが本当に政治的な成果なのか、単に広報重視の成果なのか、見極めることは難しい。国民はなおのことだ。

 しかし、少しでも多くの国民が政治に参加し、関心が上がるようにするには、メディアの力は必要不可欠なのだ。今後は、今までよりもっと多くの情報がインターネットを通じて配信されるようになるはずだ。そのときに、先入観や作られた映像をそのまま鵜呑みにするのではなく、本質を嗅ぎ取る力(リテラシー)を私たち国民の側も身につけていかなければならない。

注1:
 8月6日に行われた長野県知事選において、若林正俊氏の長男が立候補を表明した。その後、元自民党衆議院議員で現知事の村井仁氏が立候補を表明し、話し合いの末若林氏は辞退することになるのだが、そのときに父の正俊氏の入閣が約束されたのではないかという憶測がインターネットを中心に県内で広がった。ちなみに、このとき正俊氏の長男は自民党県連が行った公募に応募し、県連も一度は擁立方針を決定している。しかし、村井氏の立候補と若林氏の辞退により、県連は実質村井支援に変わった。

(安曇信太郎)

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■「松下村塾」をやたらともちだしたり、「美しい国、日本」とか「再チャンジ」とか、あきらかに広告代理店的、アメリカ大統領キャンペーン的な戦略のもとに、発言をくりかえしている。■「小泉内閣メールマガジン」が、内閣の広報にとどまらず、小泉氏および自民党の広報機能をロコツにはたすのに、その資金は当然のように公金から拠出されていることが、以前批判された。■現職知事や市長などが再選はもちろん多選をかちとりやすい構造は、政治権力の中枢にすわることによって、さまざまな利権ネットワークとつながれるという、まさに「マタイ効果」のたまものなわけだが、そのなかで存外重要なのは、マーク・ブキャナン『複雑な世界、単純な法則』が指摘するようなy情報の結節点にハマれるっていう「役得」だろう。■質/量ともに圧倒的なコネ、そこを高速で大量にながれる重要情報が苦もなく(ローコスト/ローリスクで)入手でき、しかも公金・公的人材・公的ルートを介して大々的宣伝が維持できる。現職がまける方がおかしいのだ。
■つまり、地盤・カバン・看板を当然のように世襲する一族議員とにて、現職知事や市長、そして大統領・首相らは、まさに現職であるという利権を1期から2期目以降に自己継承できる特権をあたえられている。■しかも、それを公的な資源を総動員して、しかもかぎりなく私的に利用してしまっても、致命的スキャンダルになりづらい。再三ふきだすような公私混同のかずかずのような、低次元のものはおくとして、再選され権力を維持するという利害を堂々と追求することがあからさまに合理化されているのだ。
■そのなかには、安倍首相のように、広報スタッフでわきをかためるという資金・人事権もふくまれる。■これは、不当に権力が擁護される危険性が不断に発生していることを意味する。
■皇室報道やら夏の甲子園やら、メディア・ジャックはいろいろあるが、メディアが「総理、総理」と、それでなくても現職総理の広報活動(まあ、失態があれば総攻撃に転ずるが)にいそしむのに、そこへの配信活動が全部公的に正当化されるというのは、やはり制度的にまずかろう。■その意味では、「先入観や作られた映像をそのまま鵜呑みにするのではなく、本質を嗅ぎ取る力(リテラシー)を私たち国民の側も身につけていかなければならない」というのは、実に正論である。■が、同時に記者クラブなどへの「大本営発表」とか、オフレコ情報の私的リークこみの「番記者」といった、あやしげな風習は実にけしからんし、広告会社の手法を公人が公金と公共組織を利用して権力維持にいそしむ過程は、徹底的にガラスばり化するほかない。■やはり、ネット空間しか、対抗できる手法がおもいつかない。

■それにしても、「松下村塾」の教育理念とはにてもにつかない、そこのあさい教育イデオロギーを、吉田松蔭の崇高さとは対照的な人物がかたることに、ナショナリストたちは、いかりをおぼえないのか? ■実に不思議だ。


「Wikipedia 安倍晋三
「Wikipedia 塩崎恭久
「Wikipedia 根本匠
「Wikipedia 下村博文
「Wikipedia 世耕弘成
「Wikipedia 若林正俊
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