■インターネット新聞『JANJAN』から、先日の記事の転載。

JCO臨界事故の風化を懸念:東海村現地で集会 2006/09/27

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 1999年9月30日におきた茨城県東海村臨界事故に関連して、市民団体などは24日午後、東海村の真崎コミュニティセンターで集会をひらきました(『JCO臨界事故7周年記念集会』主催:原水爆禁止日本国民会議・茨城平和擁護国民会議・原子力資料情報室・反原子力茨城共同行動)。

 東海村JCO臨界事故は、40リットル均一化など、硝酸ウラニウム溶液を発注した旧・動燃(現・原子力開発機構)の仕様などに無理があったと考えられますが、業務上過失致死の刑事裁判を行なった水戸地方裁判所が、犠牲者である作業員二人に責任をなすりつけるような判決を出したため、国や動燃は公式には責任を認めていません。このため集会では、あらためて真相の究明を求める発言が相次ぎました。
 基調講演を行なった小林圭二さん(元京大原子炉研究所)は「JCO臨界事故は、原子力の現場では重労働が強いられ、作業者の安全は顧みられていなかったことを明らかにした」「専門家の無力は20時間も臨界状態を継続させてしまった」「国や動燃は事故と深くかかわっていた」(筆者要約)などと、あらためて事故の問題を指摘しました。

 東海村では現在、東海第二原子力発電所(日本原子力発電)に、プルサーマル計画(プルトニウムをウランに混合したMOX燃料を導入)がすすめられていますが、集会で小林圭二さんはその危険性を詳細に分析した上で、「原子炉の危険性を増し、各国は撤退、国の原子力政策の破綻を六ヶ所村や原発立地にしわ寄せするもの」(結論・筆者要約)と、日本が今、導入をすすめているプルサーマル計画に異を唱えました。

 中性子線放射性ヨウ素などを出してしまったJCO臨界事故では、2名の作業員が亡くなり、約700名といわれる被曝者を出してしまいました。工場に近接する那珂市立・本米崎小(直線距離・約700m)の生徒らは、屋内退避が遅れたり集団下校時に黒い雨に濡れたことなどにより、レントゲン検査を1年間あび続けたのと同レベルの被曝をしたそうです。(参考:吉田理映子・ファイル『あの日、東海村で子供たちは‥‥』など)
 この事故を適切に検証・反省することなく、原子力発電の推進を続けている政府や電力業界の責任はきわめて重いと言わざるを得ません。

 24日の現地集会では、あらためて国などの責任を問い、東海第二原発へのプルサーマル計画に反対するアピールが採択されました。9月30日には東京で追悼の催し(関連ページ)、10月15日(日)午後には、東海村舟石川コミュニティセンターで民事訴訟の支援集会(主催・臨界事故被害者の裁判を支援する会)がひらかれます。

(青木智弘)

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関連サイト:
東海村JCO臨界事故(ウィキペディア)
JCO臨界事故――本米崎小で など

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■当局や当局よりの研究者・メディアは、再三、「心配ない。心配ない」の一点ばりだったが、ほかのリスク問題同様、連中が充分に説明責任をはたしたことなど一度もない。はたしていないことは、市民の不安がきえないことで証明ずみだ。
■でもって、JR西日本の福知山線脱線事故のときと、まったくおなじで、労働現場では、危険な労働強化が常態化していたわけだよね。要は、冷静にふりかえったばあい「事故はおこるべくしておきた」というほかない。■リスク対策をちゃんとするという、当局の当然の体制づくりのなかには、「現場労働者が大事故をひきおこさないよう、人為的ミスにつながるような労働強化をさける」という項目を絶対にいれないと。
■でもって、失敗学的な観点からすれば、JCO臨界事故の検証は、最重要課題のはず。■しかし、ポチ役人たちは、それが苦痛らしくて(批判・自己批判がさけられないからね)、直視をさけつづけるという、最低の連中だ。これは、不作為=責任回避という権力犯罪だ。

■もう7年もたつんだね。



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