■別処珠樹さんの『世界の環境ホット!ニュース』のバックナンバーから転載【リンクは、ハラナによる追加】。■シリーズ第27回。■いつもどおり、ハラナがかってにリンクをおぎなっている。

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世界の環境ホットニュース[GEN] 612号 05年10月08日
発行:別処珠樹【転載歓迎】意見・投稿 → ende23@msn.com     
枯葉剤機密カルテル(第27回)     
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枯葉剤機密カルテル          原田 和明

第27回 ピンクの薔薇プロジェクト

一連の動きダイオキシン低減化を確認できたから245Tが米軍に採用されたようにも見えますが、その陰では、どうやったら敵に大量のダイオキシンを浴びせかけることができるかという研究が進められていました。

工場での被災を最小限に抑えつつ、敵には最大限のダイオキシンによるダメージを与える、この矛盾した要請を解決するアイデアの検証実験が245T大量発注の前に行われていた
のです。
それは枯葉剤とナパーム弾焼夷弾)を組み合わせて使用するというアイデアでした。ナパーム弾は、爆発が目的ではなく火災をおこさせるのが目的の火炎兵器です。ガソリンに数種の化学物質を混合してゼリー状にし、それを砲弾に充填してあります。ダウ・ケミカル社はベーリンガー社のライセンスで、除草剤中のダイオキシンを減らすには反応温度を下げることが有効であることを学びました。
ダウ・ケミカル社はここから逆の発想をしたのです。枯葉剤を加熱すれば大量のダイオキシンを発生させることができる、と。ダイオキシンの少ない枯葉剤を作り、現地でナパーム弾と併用すれば、生産工場での従業員のダイオキシンによる被災を減らす一方で、敵には大量のダイオキシンを浴びせることができる。しかも散布するときは「除草剤」で、対人兵器ではありませんから、化学兵器ではないと主張できます

さっそく米軍で、このアイデアの確認実験が計画され、「ピンクの薔薇プロジェクト」と命名されたのは秘密会議から半年後、65年の9月のことでした。

1966年3月11日には15機のB-52が枯葉剤の撒かれたベトナムのジャングルにナパーム弾を投下しましたが、ジャングルを焼き尽くすという面では不十分な効果しかあげられませんでした。それでも「ピンクの薔薇プロジェクト」は継続されました。

1966年11月にはベトナムのジャングルに3つの攻撃目標エリアで設定されました。それぞれのエリアは一辺7キロメートルの正方形で、それぞれ 25万5000 ガロンの枯葉剤が散布され、ナパーム弾はエリアごとに落とされました。67年1月18日、同28日、最後が4月4日でした。公開されたメモによると、「命令と実際の攻撃日は並列で行われていた地上作戦の経過にあわせて変動した。」となっていて、米軍や南ベトナム軍の地上部隊が枯葉剤散布地域で行動していたことになります。これもダイオキシン低減化245Tへの過信だったのでしょうか?

しかし、当時のことをベーリンガー社社員は「245T販売の好況の中で品質のことは二の次になった。」と述べており、生産性を高めるため、生産時の反応温度をあげた(つまりダイオキシンが増えた)ことを匂わせています。(河村宏・綿貫礼子「毒物ダイオキシン」技術と人間1986)

メモによると「ピンクの薔薇作戦は、ジャングルを焼き尽くすには効果がない。よって、南ベトナムにおいて従来の目的に沿ったピンクの薔薇プロジェクトは終了する。」

表向きの目的は 達成できなかったのです。それにも拘らず、この春 膨大な量の245Tが発注されました。それはもうひとつの隠された目的が達成されたことを意味するものと思われます。敵に大量のダイオキシンをあびせかける、という目的です。

米国防総省がベトナム戦争にナパーム弾を導入したことを認めたのは 1965年3月でした。(1965.3.20 朝日新聞夕刊)このときは北ベトナムの拠点攻撃でしたが、南ベトナムには月末に投下しました。米軍は南ベトナムのベトコンの拠点を7500ヘクタールにわたってナパーム弾とガソリンで焼き払い、「焦熱地獄」としました。そのすさまじさを地元紙は「バーベーキュー作戦」と形容しました。(1965.4.2 朝日新聞)

1965年4月、サイゴン(現ホーチミン・シティ)の南220キロメートルにあるウミンの森が米軍機16機で 長さ50キロメートル、幅6キロメートルにわたって焼き払われました。このとき使用したナパーム弾は大気に触れると発火する「インセンディゲル」が使われました。(1965.5.1朝日新聞)これは沖縄辺野古弾薬庫にあった白リン弾(「黄リン弾」とも呼ばれる)のことと思われます。(GEN563号既報)

米国ではレッドウッド市(カリフォルニア州)のユナイテッド・テクノロジーセンター社で 4万5000トンのナパーム弾の 生産開始を決めています。(1966.4.18朝日新聞)これは南ベトナムで「ピンクの薔薇プロジェクト」の初テストが行われた翌月のことで、枯葉剤とともにナパーム弾の供給体制確立が急がれていたことがわかります。しかし、米市民の激しいナパーム弾製造反対運動から市民投票が行われ、製造阻止に必要な反対票を集めたと伝えられました。米空軍は、「もしそうなれば他の都市で製造するしかあるまい。」(1966.4.18 朝日新聞)とナパーム弾についても海外発注を想像させるコメントが見られます。

枯葉作戦では C-123 プロバイダー機が3度に亘って枯葉剤を散布、木々が枯れたところで B-52 がナパーム弾を投下してベトナムのジャングルを焦熱地獄の果てに丸裸に変えていく・・・このパターンが繰り返され、その陰で大量のダイオキシンが生み出されていたのです。

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■われわれは よく「悪魔のような……」といった、たとえかたをする。しかし、「悪魔」とは、われわれヒトの一部にほかならない。ナチスやアメリカ軍が、そのことを端的にしめしている。