■別処珠樹さんの『世界の環境ホット!ニュース』のバックナンバーから転載【リンクは、ハラナによる追加】。■シリーズ第30回。■いつもどおり、ハラナがかってにリンクをおぎなっている。

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世界の環境ホットニュース[GEN] 616号 05年11月02日
発行:別処珠樹【転載歓迎】意見・投稿 → ende23@msn.com     
枯葉剤機密カルテル(第30回)         
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枯葉剤機密カルテル         原田 和明

第30回 カネミ油症事件

245Tナパーム弾(加熱)→ダイオキシンの発生実験が1967年の「ピンクの薔薇プロジェクト」なら、発生したダイオキシンの対人効果を確認した人体実験とも言える事件が1968年西日本一帯で発生しています。PCBとダイオキシンが混入した食用油を多くの人が食べてしまったという事件で、その摂取による独特の症状は「油症」と呼ばれ、事件は加害企業の名を加えて「カネミ油症事件」と呼ばれています。
米ヌカから抽出した ライスオイルを生産していたカネミ倉庫(福岡県北九州市)の脱臭工程で68年1月末に溶接ミスがあり、熱媒体のPCBラインに穴をあけてしまったことが事件の発端で、工事完了後に確認試験をしないまま製造を再開したため穴の存在に気付かず、減圧下で加熱する脱臭工程でPCBが大量に製品に混入(「工作ミス説」と呼ばれている)。工場では事故油を製品ラインから分離して保管していたのですが、「いつの間にか何者かによって」生産ラインに戻され、再加熱後に出荷して多くの被害者をだしたのです。

3月頃から西日本各地で身体の吹き出物や手足の痛み、しびれなど様々な症状を訴える人が続出しました。九大病院などでは同様の症状の患者が多数診察を受けているにもかかわらず、病院側は保健所への届出を怠るなど食中毒に気付いた医師としての適切な対応をしませんでした。医師は奇病には研究対象として興味があったが、被害の拡大防止には関心がなかったと考える患者もいます。

事件が明らかになる発端は、九大病院の待合室で患者同士が「原因はライスオイルではないかと思う」と話し合ったことでした。患者自身が調べた結果、ライスオイルを分け合った知人が皆同じ症状に苦しんでいたことから確証を得たのです。残っていたライスオイルが 福岡県 大牟田保健所に持ち込まれ、保健所は福岡県衛生部に通報。朝日新聞記者がこの話を聞きつけて取材を始め、奇病をスクープしました。(1968.10.10 朝日新聞夕刊)

事件が報道されると西日本一帯から1万4千人を超える被害者が名乗りでましたが、水俣病と同じく国の認定制度が設けられ約1割の人だけが油症患者と認定されました。皮膚症状で判定されたため、同じ食事を摂っていた家族でも認定されたり、されなかったりと矛盾は当初から指摘されていました。ここでも国の認定制度とは被害者救済ではなく、切捨ての手段となりました。

被害の規模が甚大であったため、民事裁判では事故原因の究明よりも、その損害を誰に負担させるかが焦点となり、その点で原告被害者と被告・カネミ倉庫の利害が一致するという奇妙な情況が生まれました。PCB製造メーカーである大企業・鐘淵化学に責任を負わせるため、パイプのピンホールからPCBが漏洩していたことにカネミ倉庫は気付かなかったという「ピンホール説」が持ち出され、さらに被害の責任は汚染物質を製造した鐘淵化学にあるとする「製造物責任」という概念が導入されました。特定期間の製品だけにPCBが大量に混入(微量のPCBは恒常的に混入)していることが分析の結果わかっていましたので、事故原因を「ピンホール説」だけで説明するのは最初から無理があったにもかかわらず。

裁判では 当初「ピンホール説」が、その後「工作ミス説」が採用されましたが、九大の分析結果や事故以前から油症の自覚症状があるという被害者自身による調査(矢野トヨ子「カネミが地獄を連れてきた」葦書房1987)から推測するに、事件の真相は、事故があった工場ではもともとピンホールも含めて、ずさんな操業により微量のPCBが恒常的に製品に混入していたところにたまたま工作ミスが重なり、PCBの大量混入事故が起きたという二重構造になっていたと考えられています。(ストップダイオキシン関東ネットワーク「今なぜカネミ油症か」自主出版 2000)

しかし、1月の事故発生から10月の報道まで行政が気付かなかったわけではありません。事件の予兆は早くからあったのです。事故の翌2月から3月にかけて、カネミ倉庫の脱臭工程副産物(ダーク油)を配合した飼料を与えた鶏の大量死事件(200万羽に被害)が南九州で発生しています(ダーク油事件)。

問題の配合飼料に共通の原料をたどることでカネミ倉庫のダーク油が汚染源であることはすぐに突き止められました。しかし、監督官庁である福岡肥飼料検査所の担当者はカネミの工場を査察した際「製品(ライスオイル)は大丈夫か?」と聞いたものの加藤三之輔社長から「問題ない」と言われると、製品をチェックすることなく査察を終えてしまったのです。(加藤八千代「隠された事実からのメッセージ」幸書房1985)この時点で製品の回収を命じていれば被害は最小限で済んだことでしょう。

PCB中毒はPCBを扱う工場労働者によくみられる現象でしたが、油症患者の症状は工場労働者よりはるかに重篤でした。そのためPCB以外にも中毒物質があるのではないかと考えられていました。

PCBにダイオキシンが含まれていることがわかったのは1970年で、73年頃になるとPCB測定法が確立し、カネミの事故油にPCBが2分子結合したポリ塩化クワッターフェニル(PCQ)がPCBの0.9?3.5倍、ダイオキシンはPCBの0.4%(通常のPCB製品に比べ500倍も高い)も含まれていることがわかったのは、その後 まもなくのことでした。(ストップ ダイオキシン関東ネットワーク「今なぜカネミ油症か」自主出版2000)

ところが、厚生労働省が油症原因物質のひとつにダイオキシンがあったことを認めたのは事件から30年以上も経過し、ダイオキシン騒動も一段落した2002年のことでした。

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■厚生労働省がダイオキシンの件をみとめた2002年のときの厚生労働大臣は、坂口力氏である。■ま、お医者さんであるだけでなく非自民だから、少々マシだしだったということかも。旧厚生大臣の菅直人氏(医者)が、在任中「薬害エイズ」問題を劇的に前進させたのと、にているかもね。自民党の厚生族では、しがらみにしばられて、なにもできないだろうのと対照的にね。

※ もっとも、菅さん、O-157騒動のとき、カイワレ大根については、ひどかったけど。

■それにしても、カネミ油症事件が、こんなおくぶかい背景をもった大事件だなんて、学校でならったおぼえがないぞ。■ま、おなじことは水俣病であれ、四日市ぜんそくであれ、そうだけど。