うえしん氏の「金儲けをなぜ悪と思うのだろうか。」という文章から、一部(といっても、大半だが)転載。


……
 私たちは金持ちや狡猾な企業を嫌ったりするが、かれらは社会に利益をもたらしたからこそたくさんの金が集まったといえるのである。だれも自分の利益や便益に反することにお金を払ったりしない。金持ちや企業は社会に利益をもたらした分だけ、儲けるのである。つまりは社会貢献や個人の利益の分だけ、かれらは金持ちになるのである。どうして私たちはかれらを貪欲で汚いと思ったりするのだろう。

 私は企業を信用していない。人生の多くの時間を企業に奪われることをひじょうにいとわしく思っている。こういう条件で会社に雇われるようないまの時代がはやく終わってほしいと思っている。だけど会社は確実に私の生活や生存を保証しているのである。もうすこし少ない労働で生きられるのではないかといつも思うが、会社は多くの私の時間を拘束するのである。

 仕事というのは客の利益に貢献することによってお金が支払われる。金儲けというのは利己的な金儲けであるが、他人の利益に貢献する利他行為をおこなわなければお金が客から支払われることはない。スーパーやコンビニや家電は私たちの利益に貢献するからこそ儲けたのであって、利己心や貪欲さだけで儲けたのではない。なぜ金儲けは悪といえるのだろうか。
 私たちはその貢献分を見ないで、個人が儲けた分だけ見る。金持ちの資産を見てあくどいことをして儲けたに違いないのだと思う。かれらは泥棒や詐欺や悪徳で儲けたわけではないのだけど。

 金儲けを悪くて貪欲なことだと見なす風潮があるのに、どうしてサラリーマンは勤勉て実直でまじめな社会人だと見なされるのだろう? まともな社会人だといわれても、じつはかれらは利己的で貪欲な金儲けを昼間しているのである。かれらはなぜ悪徳マンと見なされないのだろう?

 私はもしかして社会主義の思想の影響かなと見る。この日本は70年代ころまで社会主義的理想が信じられていた向きがあり、社会主義は資本主義――つまり金儲けは悪いことだと見なしていた。だから国家が富を平等に分配したり、資本家の不正を正さなければならないと思われていた。つまりはこんにちの福祉国家や大きな政府は金儲けのあくどさを是正するために生まれたのである。それで私たちは必要以上に金儲けを悪と思うようになっているのではないかと思う。

 政府がいろんなものを保障してくれる社会は、金儲けは悪いことだという風潮を助長するのである。貪欲に利己的に儲けることは富が平等に分配される社会の敵である。貪欲な資本家や企業家になるより、まじめなサラリーマンになるのがいいという社会になる。つまりは大企業や政府から与えられる仕事と給料で満足する人になりましょうということだ。

 経済学の面からいうと、これは社会のニーズや利益をくみとってゆこうという動きにならない。個人の金儲けの利益は、他者の利益の増進につながっている。客が満足するサービスを見つけたからこそ、かれは金をおおいに儲けるのである。金儲けを悪と見なしていたら、社会の堀りこおされないニーズは放ったらかしにされたままだ。私たちは金儲けのこのような面を無視して悪と見なしてきたのである。

 金儲けというのは利己心と利他心の入り混じったひじょうに複雑な社会的行為である。私たちはその悪い面を多く見がちである。いっぽうではお金がないと私たちは生きてゆけないし、すこしでもお金はほしいと思っているけど、また利己的であくどい人とも思われたくないと思っている。そして社会に貢献しているという要素をすっぽり見落としてしまうのである。

 若者の労働観の変遷や衰退にはおそらくこの金儲けは汚いという意識が横たわっているのだと思う。富を平等に分配しようとする社会は金儲けを忌み嫌い、しまいには若者の勤労意欲を奪ってしまう。労働には社会貢献という面があるのだが、いまの若者にはたぶん仕事の利他行為という要素がまったく見えていないと思う。自分の評価という利己心が強すぎるのである。金儲けというインセンティブを失ってしまっているのである。
……

------------------------------------------------
■こういった「ひっかかり」ぬきに、あっけからかんと企業活動を正当化したものとしては、つぎのような文章がある。

「…売り上げが上がるっていうことは、『その会社の商品やサービスをお金を出してでも買いたい!』と思った人が増えたちいうことだよね。今のように商品やサービスがあふれている時代に『お金を出してでも買いたい!』と消費者に思ってもらうためには、付加価値の提供が不可欠だ。付加価値とは『あったらいいな、嬉しいな、便利だな、不安や不満を解消してくれる! とターゲットに感じてもらえる価値』のこと。そして、売り上げが増えなければ利益は増えない。いくらコストを減らしても限界がある。
 つまり利益が伸びている状態というのはね、世の中や消費者に貢献しているっていうことになる。反対に利益が伸びない会社というのは、世の中の人々に価値を提供できていないっていうことなんだよ。
 マイクロソフト社とかセブン?イレブンなど、大きな付加価値を提供している会社は大きな利益をちゃんと得ているだろう?……起業して商品やサービスを通して大きな付加価値を提供できたからこそ、彼(=ビル・ゲイツ氏のこと)のもとにお金が集まってきたんだ」
「儲かっているということは、それだけ世のため人のためになっているということなのね」
どんな商売でも職業でも、売り上げが上がっている、利益が出ているということは、何らかの形で誰かの役に立っているのさ。だから胸をはるべきなんだ。逆にどんな高尚な商売でも職業でも、売り上げが上がらない、利益が出ないということは、実は世の中の役にたっていないということだから、もっと恥じるべきだね」
……
「職業に貴賎はないことに気づいてほしいんだ。大切なのは、誰かの、世の中に役立っているかどうかなんだよ。……
渋井真帆「稼ぎ力』ルネッサンス プロジェクト
(ダイヤモンド社, 2004年,pp.58-9)
------------------------------------------------
■ハラナ個人は、「もっと恥じるべきだね」といった「おどし」には、全然のらない(笑)。もうかっている企業家などとちがって、ショボい稼業ではあるが、なみいる企業家よりも社会貢献していないのだから「恥じるべき」といったゆさぶりには、まけない。■このブルジョアイデオロギーには、巧妙なトリックがふくまれているからだ。

■?NGO・NPOなど、企業活動とはいえない社会貢献のあきらかな組織を収益がすくないからと、トヨタなど高収益の大企業よりも、貢献度がひくいといった、量的比較に論理をすりかえている。■量的大小で比較するなら、利潤率でも利益額でもなく、売り上げ総額の最大の企業が世界で一番エラいことになるが、そういった量的還元があやまっていることは、あきらかだろう。■経営者よりも管理職を、管理職よりも労働者を、労働者よりも失業者を、失業者よりも障碍者・病者・ホームレスなどをおとしめる点で、非常に野蛮な拝金哲学でるある。

■?マイクロソフト社の独占禁止法違反的な商法はもちろんのこと、セブン?イレブンなどコンビニエンスストアが、あこぎな収奪をくりかえして被告となっている点は有名なはなしだろう。■はっきりいうなら、フランチャイズ・コンビニ本部とは、詐欺商法的な組織のばあいがおおい

■?また、企業の偽装請負をはじめとする収奪のどこが、社会的貢献なのだろう。「価格破壊」を単純によろこぶ消費者のためなら、労働者の人権や未来などどうでもいいのか?■あるいは、企業の不祥事をもみけす暴力団や総会屋、産業廃棄物などを違法に処理するアウトロー業者も、「職業に貴賎はない…大切なのは、誰かの、世の中に役立っているかどうか」だって?■ま、そういった「裏街道」の業者さんたちは、そう合理化しているだろうが。
■『ヤバい経済学』で「経済学」的に分析されている麻薬の売人たちの元締めたちが、売人たちの生活を保障しているとか、依存症患者たちの禁断症状をおさえてやっている、といった、業界の合理化をしているなら、クソくらえだ。
■アメリカなどの「死の商人軍需産業)」の連中が、世界の権力者どもの不安感や誇大妄想的自尊心に「貢献」することが、「世のため」だって?〔「吉田健正『戦争はペテンだ』」〕

■こうかんがえてくると、うえしんさんの議論は、気分的にはわかるものの、未整理だということがわかる。■うえしんさんの議論の水準では、うえのようなブルジョア・イデオロギーにまるめこまれてしまう。「やきもち」「やっかみ」「ねたみ」「ルサンチマン」だってね。■それじゃ、まずいでしょ?

■?われわれ「やとわれの身」ないし、「フリー」の労働者・表現者が、富裕な企業家たちの「集金業務」に嫉妬心を感じていることを正直にみとめよう。■しかし、それと同時に、「社会貢献」による「利潤達成」という美名のウラには、おびただしい不正がかくされている。■かれら企業経営陣がおこなっている活動は、正当に社会貢献をしただけでは、到底集金不可能だったろうプロセスが「こみ」になっていることが、すくなくない。■非合法・非合法スレスレの、あこぎな利潤追求活動の予感は、われわれ「もたざるもの」たちに「やっかみ」でなどない。正当な直感だ。■現に、企業スキャンダルが一件も紙面にのらない日があるだろうか?

■?社会学者R.K.マートンが「社会的機能」を論じたときに、その「機能」が社会の一部に対するだけのことがおおいと、つけくわえていたことを、わすれないようにしよう。■権力者だけとか、中産市民以上限定の「貢献」「機能」が正当化どうか、冷静に判断しよう。



●「気品の本質=差別論ノート24
●「教養と高尚さ
●「ペシャワール会(補強版ウィキペディア)