■別処珠樹さんの『世界の環境ホット!ニュース』のバックナンバーから転載【リンクは、ハラナによる追加】。■シリーズ第35回。■いつもどおり、ハラナがかってにリンクをおぎなっている。

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世界の環境ホットニュース[GEN] 621号 05年11月22日
発行:別処珠樹【転載歓迎】意見・投稿 → ende23@msn.com     
枯葉剤機密カルテル(第35回)         
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枯葉剤機密カルテル         原田 和明

第35回 社史から消えたPCB

三菱モンサント第三事業部長・采野の答弁はいかにも苦しい言い逃れに聞こえますが、それ以上に不可解なことがあります。三菱モンサントが新規参入を果たしたとき、親会社の米国モンサント社はどこの国の政府よりも早くPCBの自主規制を始めていたのです。管理をしっかりすれば環境中に漏れ出さない「閉鎖系」用途にだけPCBを販売、それ以外の用途(開放系)向けには販売しないとの方針を打ち出していたのです。

米国モンサント社は分析技術の開発や汚染調査、動物実験で数百万ドルを使った上に、規制により英国で需要の25%、米国では55%を失っています。米国での損失は2500万ドルにものぼりました。
同社重役はPCB自主規制の動機を次のように語っています。
PCBの環境汚染問題で遠からず各種の圧力がかかると予想できた。何も手を打たないでおけば汚染に関する糾弾が厳しくなり、科学的判断より政治的配慮が優先して行政当局は全面禁止策をとるかもしれない。そのときは絶縁油の市場まで失ってしまう。そこで先手を打ち、汚染源となる開放系用途を捨て、残りを守った次第だ。」(磯野直秀「化学物質と人間」中公新書1975)

株式51%をもつ親会社モンサントの意向に逆らって三菱モンサントが新規事業を始められるわけはありません。それどころか、采野は、PCB事業化は米国モンサント社からの技術導入であることを認めています。(1972.4.13 衆院公害対策並びに環境保全特別委員会)欧米でのPCB自主規制と日本での新規参入・増産という一見矛盾した対応は、どちらも米国モンサント社の意向なのです。そして自主規制の目的は「政治的 配慮による PCB全面禁止の回避」です。これではまるで欧米で自主規制をするのは、日本でのPCB生産を確保するためであるかのようにも見えます。

自主規制の方針で思い出すのは 1965年3月にダウ・ケミカル社本社で開かれた秘密会議です。このとき、ダウ・ケミカル社は枯葉剤245Tから不純物ダイオキシンを 極力 低減することを出席者に向かって力説しました。ダウ・ケミカル社のホンネは「特に農薬製造に関する議会による調査と過度の法規制を恐れている。」と参加者の一人はメモしていました。(GEN 611号既報)

偶然の一致なのでしょうか。ダウ・ケミカル社が自社の枯葉剤245Tからダイオキシンを減らしていたように、米国のモンサント社も自社のPCBからダイオキシンを減らしていました。ライセンス供与した欧州の化学企業製のPCBには10ppm 程度のダイオキシンが含まれていましたが、米国モンサント社製PCBにはダイオキシンが含まれていませんでした。それはニワトリの動物実験で確認されました。米国モンサント社製PCBを加えたエサを食べたニワトリの被害は少なく、外国製のPCBの場合には全滅したことからわかったのです。(磯野直秀「化学物質と人間」中公新書1975)

ベトナム枯葉作戦でPCBを散布したという公文書は見つかっていません。わずかに、米テキサス大学教授 A.シェクターが 2000年8月に行なった南ベトナムのダイオキシン土壌調査で ベトナムとは無縁のはずの PCBを検出している事例(A. Shecter, Journal of Occupational and Environmental Medicine v.43 n.5May 01, 2003)から、PCBが ベトナムで 散布されて いた 可能性を示唆しています。さらに、日本では 農薬に PCBを 混入する ことは認められていない(1971.2.22 衆院予算委員会第四分科会 農林省農政局長・中野和仁答弁)にも拘らず、住民側の調査により枯葉剤工場だったと見られる三西化学荒木工場(福岡県久留米市)で68?69年頃だけ使用されていた排水溝の泥からPCBが検出され、その事実を知った同社幹部が慌てた様子が住民に目撃されていて(GEN608号)、「東南アジア向けに最悪の薬剤」を作っていた三西化学が目的はわかりませんがPCBも扱っていたことを示しています。

返還された、沖縄を含む在日米軍基地から頻繁にPCBが検出されるのも気になるところです。(GEN 560号「沖縄の化学兵器」第13回

そして何より当の三菱モンサント自身がPCB事業化に後ろめたさを感じているようです。社史である「三菱モンサント化成三十年史」にはPCB事業化の歴史を次のように記述しています。(以下引用)

1967年7月、石油添加剤に次ぐ 第二弾目の化学工業薬品として「機能油」を四日市工場(三重県)で企業化する方針を決定、モンサントからの技術導入の許可申請を行なった。機能油という言葉は三菱モンサントが始めて使用したものである。モンサントは1930年代から生産を行なっており、その優れた技術に基づく製品は 他の追随を許さず、世界市場の8割を占めていた。しかし、日本では1954年から鐘淵化学が生産を行なっており、機能油の市場をほぼ独占していた。このため当社はモンサントの技術を導入して、機能油を国産化し、事業多角化の一環として積極的に展開することにした。(中略)工事は順調に進み、1969年6月4日に修祓式を行ない、16日から生産開始。この間 3月には第二期工事として ビフェニル設備、9月に水素化トリフェニル設備建設を決定。これら2、3期 工事は71年4月に完成、稼動開始。(引用終わり)

当時、産業界ではPCBのことを塩化ジフェニルと呼んでいて、成書では「PCB」が一般的です。「機能油」との表現は三菱モンサントの社史以外では見当たりません。三菱モンサント自身がPCB事業化という歴史を消し去りたいとでも思っているかのようです。

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■ここでも、沖縄と四日市は、でてくる。■米軍基地と大企業工場、さらには原発。要は、首都圏・京阪神の住宅街(山の手)から、とおいところに、迷惑施設はおかれる。「反対のこえ」が、もっとも「ちいさい」立地として。
■そして、大企業は、「てをよごしている」というイメージをおそれる。「労災隠し」「労災飛ばし」など、あこぎな「にげかくれ」をみぐるしくも、くりかえす。■そして、おおくのばあい与党議員と官僚が、一所懸命、「かくしごと」に協力して、国会での野党の質問をごまかそうと協力をおしまない。まあ、与党議員のばあい、政治献金もタンマリもらっているだろうからね。中曽根康裕のように、答弁に窮して医務室いきになるようなハメになるのも、身から出たサビだ。