■ダラダラ、散発的につづく「祝日の意味再考」シリーズ第6弾(笑)。■まずは、Wikipedia 「勤労感謝の日」を転載。リンクは、適当にはしょってある。
勤労感謝の日(きんろうかんしゃのひ)は、国民の祝日の一つ。日付は11月23日。国民の祝日に関する法律(祝日法)では「勤労をたっとび、生産を祝い、国民互いに感謝しあう」ことを趣旨としている。1948年公布・施行の祝日法で制定された。
戦前の新嘗祭(にいなめさい)の日付をそのまま「勤労感謝の日」に改めたものである。新嘗祭は1872年までは旧暦11月の2回目の卯の日に行われていた。1873年に太陽暦(グレゴリオ暦)が導入されたが、そのままでは新嘗祭が翌年1月になることもあって都合が悪いということで、新暦11月の2回目の卯の日に行うこととした。それが1873年では11月23日だった。しかし、翌1874年には前年と同じ11月23日に行われ、以降11月23日に固定して行われるようになった。よって、11月23日という日付自体には意味はない。
勤労感謝の日(きんろうかんしゃのひ)は、国民の祝日の一つ。日付は11月23日。国民の祝日に関する法律(祝日法)では「勤労をたっとび、生産を祝い、国民互いに感謝しあう」ことを趣旨としている。1948年公布・施行の祝日法で制定された。
戦前の新嘗祭(にいなめさい)の日付をそのまま「勤労感謝の日」に改めたものである。新嘗祭は1872年までは旧暦11月の2回目の卯の日に行われていた。1873年に太陽暦(グレゴリオ暦)が導入されたが、そのままでは新嘗祭が翌年1月になることもあって都合が悪いということで、新暦11月の2回目の卯の日に行うこととした。それが1873年では11月23日だった。しかし、翌1874年には前年と同じ11月23日に行われ、以降11月23日に固定して行われるようになった。よって、11月23日という日付自体には意味はない。
■つまりだね、天皇が農業神であり、コメを中核とした穀物収穫期をまつろうという「伝統」というヤツをどうにかのこしたかった。
新嘗祭(にいなめのまつり、にいなめさい、しんじょうさい)とは、11月23日に、天皇が五穀の新穀を天神地祇(てんじんちぎ)に勧め、また、自らもこれを食して、その年の収穫を感謝する祭儀。
秋に新穀を供えて神を祭る稲作儀礼である。
飛鳥時代の皇極天皇の御代に始められたと伝えられている。一時中断されたが、元禄時代の東山天皇の御代に復活した。1873年の太陽暦採用以前は旧暦の11月の2回目の卯の日に行われていた。1873年から1947年までは大祭日となっていた。
戦後は、勤労感謝の日として国民の祝日となった。新嘗祭自体は伊勢神宮及びそれに連なる神社の祭儀となり、伊勢神宮には天皇の勅使が遣わされて、大御饌(おおみけ:神が召し上がる食事)を供える形式となった。
■要は、GHQ対策、国内の社会主義者対策ってことで、天皇が「秋に新穀を供えて神を祭る稲作儀礼」って本質をかくすために、「勤労をたっとび、生産を祝い、国民互いに感謝しあう」といった、キレイごとをもちだしたわけだ。■こういった「作文」する連中にかぎって、「勤労」なんてものとは無縁か、おそろしく距離があるってことが普通だ(笑)。
■「国民互いに感謝しあう」ってことを称揚するくにで、ホームレスが襲撃、ころされてしまうといった事態は、「勤労」概念からこぼれた存在だから、しかたがないってか?■すくなくとも、「勤労をたっとび、生産を祝い」っていうんなら、「ワーキングプア」といった層がなぜ恒常的に「維持」されているようにみえるのか、ちゃんと説明してほしいぞ。
●「タクシー・ドライバー」「三つの言葉 」
●「労働法改正 まず不払い残業をなくせ(朝日社説)」
●「祝日の意味再考」
●「祝日の意味再考2:文化の日」
●「建国神話の政治的意味=祝日の意味再考3」
●「祝日の意味再考4:みどりの日」
●「増補版Wikipedia 「海の日」=祝日の意味再考5」
新嘗祭(にいなめのまつり、にいなめさい、しんじょうさい)とは、11月23日に、天皇が五穀の新穀を天神地祇(てんじんちぎ)に勧め、また、自らもこれを食して、その年の収穫を感謝する祭儀。
秋に新穀を供えて神を祭る稲作儀礼である。
飛鳥時代の皇極天皇の御代に始められたと伝えられている。一時中断されたが、元禄時代の東山天皇の御代に復活した。1873年の太陽暦採用以前は旧暦の11月の2回目の卯の日に行われていた。1873年から1947年までは大祭日となっていた。
戦後は、勤労感謝の日として国民の祝日となった。新嘗祭自体は伊勢神宮及びそれに連なる神社の祭儀となり、伊勢神宮には天皇の勅使が遣わされて、大御饌(おおみけ:神が召し上がる食事)を供える形式となった。
■要は、GHQ対策、国内の社会主義者対策ってことで、天皇が「秋に新穀を供えて神を祭る稲作儀礼」って本質をかくすために、「勤労をたっとび、生産を祝い、国民互いに感謝しあう」といった、キレイごとをもちだしたわけだ。■こういった「作文」する連中にかぎって、「勤労」なんてものとは無縁か、おそろしく距離があるってことが普通だ(笑)。
■「国民互いに感謝しあう」ってことを称揚するくにで、ホームレスが襲撃、ころされてしまうといった事態は、「勤労」概念からこぼれた存在だから、しかたがないってか?■すくなくとも、「勤労をたっとび、生産を祝い」っていうんなら、「ワーキングプア」といった層がなぜ恒常的に「維持」されているようにみえるのか、ちゃんと説明してほしいぞ。
●「タクシー・ドライバー」「三つの言葉 」
●「労働法改正 まず不払い残業をなくせ(朝日社説)」
●「祝日の意味再考」
●「祝日の意味再考2:文化の日」
●「建国神話の政治的意味=祝日の意味再考3」
●「祝日の意味再考4:みどりの日」
●「増補版Wikipedia 「海の日」=祝日の意味再考5」
■別記事でも何度かかいたとおり、カレンダーが休日であろうと はたらいている層がたくさんいるから社会が回転するし、勤労しているにもかかわらず「感謝」などされたことのない層がすくなからずいる。■きょう更新した新ブログの記事もかいたとおり、「勤労」のつもりが、単なる「ムダ」のばあいも すくなくないかもしれない。
■なんの ために はたらいているのか、勤労感謝の日ぐらいは、みつめなおす ゆとりが ほしいもんだが、そんなものが ふきとぶような現実もある。さて、きょうも出勤の時間となった。