■別処珠樹さんの『世界の環境ホット!ニュース』のバックナンバーから転載【リンクは、ハラナによる追加】。■シリーズ第36回。■いつもどおり、ハラナがかってにリンクをおぎなっている。

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世界の環境ホットニュース[GEN] 622号 05年11月24日
発行:別処珠樹【転載歓迎】意見・投稿 → ende23@msn.com     
枯葉剤機密カルテル(第36回)         
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枯葉剤機密カルテル           原田 和明

第36回 参戦国・韓国兵の悲劇

おとなり韓国で、枯葉剤やその関連物質を製造したという資料は見出せていません。それでも枯葉剤被害はありました。韓国はベトナム戦争で米国に協力して31万人余りを海外派兵し、その結果 多くの兵士が 枯葉剤に晒され、戦後その後遺症に 悩まされていました。しかも、彼らには その原因が枯葉剤にあったことはずっと知らされないまま放置されていたのです。(中村梧郎「グラフィックレポート・戦場の枯葉剤」岩波書店1995)

家庭崩壊、社会からの疎外と、辿ってきた道も症状も、米国のベトナム帰還兵と類似点がたくさんあります。米国では帰還兵とその家族が枯葉剤メーカーを提訴したとの情報も知らされず、韓国の帰還兵は正体不明の病魔と闘っていたのです。
韓国で 枯葉剤問題は なぜ徹底的に隠されたのでしょうか。全斗煥(チョン・ドファン)・盧泰愚(ノ・テウ)と続いた軍人大統領がともにベトナム派遣韓国軍のリーダーで、その戦歴を経て 戦後さらに軍内で のし上がったという経過と無関係ではありません。
ベトナムでの国際的孤立を避けようとした米国は 各国に派兵を要請しましたが、応じたのは 自国内に米軍基地を置く国々だけでした。オーストラリア 4万5000、ニュージーランド 2500、タイ 3万8000、フィリピン 6000。そして韓国は米国に次いで31万人と桁違いの兵員を出しています。そして、韓国軍は 約6万回に及ぶ戦闘を繰り返し、「敵」射殺4万人以上、韓国軍の戦死者は5千人にのぼります。

朴正煕(パク・チョンヒ)政権は政権の安定と国内経済建て直しのために多くのドルを必要としたため、ベトナム派兵決定とともに米国の指示で日韓条約を締結。韓国政府は日本から5億ドルの援助・借款を受け、ベトナムに派遣された韓国兵の給与も そのほとんどが本国に送金されています。1970年9月のサイミントン委員会では、韓国の派兵は米国の援助が目当ての、まさに傭兵としての出稼ぎ出兵だったことを明らかにしています。

1979年10月に朴正煕大統領が暗殺されると、全斗煥は盧泰愚とともに12・12粛軍クーデターを起こし、全権を掌握。民主化運動が全国的に盛り上がると 80年5月には金大中を連行するなど弾圧に乗り出し、ベトナム村民を平定したように、ついには戒厳令撤廃と金大中釈放を求めて抵抗する光州市民・学生に向けて、無差別虐殺を行なったのです。(光州事件)その流れの中でベトナム戦争の実態を洗い出すことになる枯葉剤被害を申し立てることができなかったのは当然のことでした。

中村梧郎は「グラフィックレポート・戦場の枯葉剤」(岩波書店1995)の中で、ベトナムで枯葉剤を浴びた韓国兵について次のように語っています。

枯葉剤とダイオキシンの人体への影響はベトナムでもアメリカでもよく知られていた。しかし、韓国だけが情報の扉を固く閉ざしていた。米紙の報道によって知る者はいたが、それを韓国のメディアでとりあげるのが封じられてきたのだ。問題は隠され続け、「原因不明の奇病」に倒れた兵士たちは病状を悪化させた。彼らが声をあげるのは盧泰愚(ノ・テウ)退陣まで待たなければならなかった。「彼らには家族のことをあまり聞かない方がいいでしょう。」

何人かのベトナム帰還兵の住まいを訪ねるあいだ、案内役の元将校はしばしば私にそう忠告した。「みんな聞かれたくないはずです。」妻子に逃げられ、間借りした小さな部屋に一人で暮らしている男、女房は暗くなってから酒場に働きに出たから帰りは遅いとだけ言う病床の男、廃人のような元兵士たちが行く先々でひっそりと生きていた。

ベトナムの戦場から帰ってきても、体調がすぐれない、なんらかの症状がでて働けなくなり、勤め先をクビになる、収入もなく、治療費だけかかる男を支えきれる女は少ない。そして離婚。どうして奇病にかかったのか本人は皆目わからず、病院の方も見当をつけられない。「枯葉剤による病気などとは最近になって話題になるまでは思いもよらなかった。」と大概の男たちが言った。

韓国枯葉剤被害戦友会会長は枯葉剤について鮮明に覚えている。「敵の侵入を防ぐため基地周辺の草藪はしょっちゅう刈り取らなければならない。汗みどろの作業だったが、米兵が我々をからかって『ヘーイ!頑張って働けよ。俺たちなら草は薬でやっつけるぜ。』と言いながら缶をかついで得意そうにスプレーして見せたものです。そのうち我々にも除草剤が配給され、恐れるどころかホッとしたほどです。乳剤はスプレーして、粉剤なんかは鉄カブトですくって胸に抱え、まるで肥料をまくように撒いて歩いたものでした。」

その彼はいま、少しづつ進行する下肢の痺れ症状に苦しんでいる。少し疲れると両膝の感覚が失われてしまう。私(中村)と行動を共にしていてもしばしばもたれかかり、突然の転倒を繰り返した。様々な後遺症はいまや韓国だけでなく他の参戦国兵士の間でも顕在化している
。(引用終わり)

枯葉剤被害に苦しむ元兵士たちに対し、救済を約束したのは金泳三(キム・ヨンサム)大統領でした。1993年5月に「枯葉剤 後遺症治療に関する法案」を成立させ、救済に乗り出したのです。被害者は派兵の一割、3万人はいると見られていますが、復員軍人局への登録申請者は4000人、生活保障を含む救済対象と認定されたのは わずか400人で、治療費だけ無料となった人も1000人あまりにすぎません。韓国でも認定制度が被害者救済を拒んでいる実態が浮き彫りになっています。

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■韓国軍がベトナム戦争の混血児問題をひきおこしたことは、有名だ。■そして、「認定制度」が水俣病と同様の悲劇をうんでいることは、いうまでもない。

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