■基本的に、マニアックにやれる気質でないので、ほとんどみにいかないのだが、実に対照的な見解がとなりあっていたので、そこだけ転載。


日本語のローマ字綴りについて

……
17 名前:シュシュシュ 投稿日: 2006/09/17(日) 21:15:08 [ NPex6xfs ]
例えば「シュ」という発音は英語では sh と綴りますが、フランス語ではChopin(ショパン)の例から分るように ch と綴るのが普通です。
ドイツ語では、Einstein(アインシュタイン)のように s だけで「シュ」の発音になることもあります。要するに、ヘボン式は英語の方式に合わせただけで、他の言語の表記方式には合っていないんですよね。
Chiba だって、フランス人は「シバ」と読むかもしれないし、ドイツ人は「ヒバ」と読むかもしれません。

逆に、御嶽山(おんたけ)を Ontake と書くと英語圏の人には「オンテイク」と読まれるかもしれません。訓令式でもヘボン式でも駄目です。結局は、どちらの方式だろうと、「ローマ字の読み方ルール」を知らない人にはちゃんと読んでもらえないのです。この点では、ヘボン式も訓令式も同じであって、決してヘボン式が英語圏の人に優しい方式とは言えない。

……といった辺りがヘボン式を嫌ってる人のポイントだと思いますよ。カナモジ主義とかローマ字国字主義とかは直接は関係ないと思いますよ。

あと、外務省がヘボン式推奨、文部省が訓令式推奨で反発しあっているので統一されないという噂を聞いたことがあります。都市伝説かもしれませんが。


18 名前:やぱーの@管理人 投稿日: 2006/09/17(日) 22:30:06 [ yP1Yao0k ]

でも現状、国内の道路標識、世界中の地図帳を見ても大部分ヘボン式になっているはず。
パスポートもヘボン式になっている以上、ヘボン式を推進するしかないと思いますけどねぇ。
……
■前者は、実に冷静にローマ字の実態をとらえているとおもう。
■しかし、後者は、単なる現状追認だ。■冷静にひろく現実を直視することと、目前の現実から虚無的に「エセ現実主義」をとなえて体制補完のはたすこととは、にているようにみえて正反対だ。
■おそらく、後者の人物は無自覚。■いや、「やぱーの@管理人」という自称は、あきらかにエスペラントの「japano」というつづりを意識しており、わかったうえで、わざとこういった既存の体制の擁護をやっているのかも。

■もっとも、冒頭の

1 名前:やぱーの@管理人 投稿日: 2006/09/12(火) 18:33:51 [ yP1Yao0k ]
なぜか反日的な活動をなさる方々が多い日本のエスペラント運動の中で、
ことローマ字綴りのことになると「国粋的」になる方々が多い。
不思議な現象です。

なんと日本のエスペラント界では訓令式が大はやり。
というのはカナモジ主義者やローマ字国字主義者が多いからでしょうね。

でも、ちょっと待った!
外国人に優しい日本語のローマ字綴りは訓令式でしょうか?
たしかに、日本語の活用等では訓令式のほうが良いかもしれませんが、
そもそも日本語をローマ字表記する目的は何でしょうか?
漢字を廃止するのならわかりますが、そんな必要性はサラサラ無い。

ただ単純に、地名表記、単語表記くらいです。
それだったら、Tibaを【ちば】と読ませるよりもChibaを【ちば】
と読ませたほうが余程外国人に親切ではないでしょうか?


といった、かきっぷりをみるかぎり、英語帝国主義批判を「単なる屈折した日本語ナショナリズム」程度の位置づけしかできない人物ともかんがえられる。
エスペランティストたちが、基本的に、国際主義者であると同時にゆるい意味でのナショナリストたちであり、異言語間ではエスペラント、それ以外(「同一言語」内)では第一言語同士のすりあわせという、戦略的な「二重の基準」をうちだしていること、それが別に致命的な矛盾ではないことにも、きづかないのだろう。■かりに、日本のエスペランティストのおおくが訓令式ローマ字支持者であろうと、それが、国際主義と矛盾をきたしているわけではない。一貫性をかいて破綻しているように理解できてしまう方が、理解力不足というか、議論をおこなう基礎的知識・知性にかけているともいえる。

■ま、この程度の水準なので、全部発言をおって論理を整理しようという気にも到底なれない(笑)。■しかし、この水準で、匿名掲示板では充分つぶされずに、主導権をにぎれたりするんだよね。■なにか、知性・品性双方がかけた保守政治家とその支持層に通底するものを感じてしまう。既存のシステムに異議をとなえると「反日的」とかくちばしるしな(笑)。■この水準の知性だと、体制がわからのシステム破壊は「改革」とよばれ、システム破壊反対運動は「抵抗勢力=反動」ときめつけられるという、ごつごう主義の論理的破綻も自覚できないし、できていても「はずかしい」と感じるだけの感性・品性・倫理をもちあわせていないから、まさに「無敵」(笑)。■基本的に、知的一貫性・合理性をタテにすすもうとするリベラル派や左派が、かなわないのも、いたしかたない……。論理・合理性なんて、はじめからどうでもよくて、「結果としての秩序」だけが第一義であり、もともと「民主主義的ルールにのっとった討議」なんてのは、茶番劇をもっともらしく演出するためのタテマエにすぎないんだからね。だから、「強行採決をはかった=ねまわしがわるかった」程度の認識・評価しか、もともとうまれないわけ。

■それにしても、「外国人に優しい日本語のローマ字綴り」が、準英語式のヘボン式であるとうたがわない知性の水準ってのは、どうやってうまれるのか、公教育とか大学の英語教育、言語学・国語学などの共通教育科目の水準をあらいなおす必要があるかもね。■はっきりいって、日本の言語学周辺の教育は、全然啓発的効果をあげていない。高校の国語科・英語科教育の現場は基本的論外だが、大学だってね。■あ、既存の政治経済体制が、いまいったみたいに、実質的な「問答無用」方式である以上は、教育とか文化に「問答無用」以外の理性・知性・合理性をもとめるのも、無意味か?(笑)■すくなくとも、教育現場やら学界やらのそとの「娑婆=実社会」では無力であり、ほとんど無意味かもね。それを、オヤジたちとオバハンたちは、体感している。