■別処珠樹さんの『世界の環境ホット!ニュース』のバックナンバーから転載【リンクは、ハラナによる追加】。■シリーズ第37回。■いつもどおり、ハラナがかってにリンクをおぎなっている。

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世界の環境ホットニュース[GEN] 623号 05年11月30日
発行:別処珠樹【転載歓迎】意見・投稿 → ende23@msn.com     
枯葉剤機密カルテル(第37回)         
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枯葉剤機密カルテル         原田 和明

第37回 韓国枯葉作戦

90年代になって初めてベトナム帰還兵の枯葉剤被害を知った韓国国民をさらに驚かせるニュースが1999年11月にもたらされました。ベトナムで枯葉作戦が行なわれていた時期に、米軍の指示で韓国領内でも枯葉作戦が行なわれたというのです。

この韓国枯葉作戦は長い間明らかにされませんでした。第一報を報じたのは1999年11月15日のソウル放送でしたが、11月19日付のハンギョレ新聞、東亜日報が関連記事を掲載しています。(韓桂玉「駐韓米軍とは何か」東アジア研究31号2001年2月 大阪経済法科大学アジア研究所 より引用)
1968年に駐韓米軍司令部が米国のABC(核・生物・化学兵器)司令部に送った報告書「植物統制計画1968」と「枯葉剤散布作戦評価報告書」、96年に米陸軍省がジョン・グレン上院議員に送った関連書簡などから米・韓軍による韓国枯葉作戦の全容が明らかになりました。

駐韓米軍司令部は1967年の初め、「対北防護作戦を遂行するために非武装地帯の草木を効率的に除去すべきである」との見解を表明。草木が北朝鮮からの侵入監視の邪魔になるという理屈です。それを受けてラスク米国務長官が枯葉剤の散布に同意することを要求する書簡を韓国の丁一権・国務総理に送付。韓国政府は反対できるはずもなく同意したのは言うまでもありません。そして翌68年3月20日、「枯葉剤散布作戦を4月15日までに実施せよ」との米第8軍司令官の命令書が下されました。指針には「韓国軍の散布には、米軍事顧問団側が技術指導と支援のために立ち合わねばならない」とあり、韓国軍第1軍の化学将絞が散布作戦を監督したのです
。(引用終わり)

1967年の初めといえば米軍が枯葉剤の大量発注を決めた頃になります。見解表明から命令まで1年以上もあることから不要不急の作戦であった可能性が高く、発注量に見合う大口需要を創出したとの感じがしないでもありません。

(再び引用)この時に使用された枯葉剤は、べトナムでの枯葉剤作戦の記録と、韓国での現場実験の結果、米軍生物研究所の勧告に基づいて、オレンジ剤、ブルー剤、モニュロンが採用されました。枯葉剤散布部隊は、北側哨所の監視を避けるためにモニュロンは「とうもろこし」、ブルー剤は「コメ」、オレンジ剤は「マメ」と呼び、農作物を植える状況に偽装したのです。

こうして1968年から69年にかけて駐韓米軍は韓国軍を動員して、非武装地帯の南側2200万坪に及ぶ 広大な地域に沿って、判明しただけでも2万1000ガロンの枯葉剤を散布しました。

しかし駐韓米軍側は、枯葉剤散布に関する情報を秘密事項として韓国軍側には一切の内容を知らせませんでした。散布作戦では、米軍側は手を汚さずに「指導」「支援」するだけで、「単純な除草剤の散布」だと言われた韓国側の将兵たちは、何の防護装備もなく、猛毒性の枯葉剤に直接触れる結果となったのです。なかには、バケツやヘルメットに粉末の枯葉剤を受け素手で散布した兵隊たちもいました。

当時、京畿道東豆川の米軍キャンプ・ケーシーで医務隊炊事兵をしていたトーマス・ウルフ氏は、99年11月15日に『ソウル放送』で証言し、解禁になった米軍の秘密報告書を提供した後、次のように語っています。(1999.11.19ハンギョレ新聞)

「除隊して10年後に、慢性疲労と40度近くの高熱で苦しんだ。その後、激しい痛みと消化器異常が続き、最後はガンが発生して脾臓を手術で取らねばならなくなった。枯葉剤が散布された地域に勤務したほかの退役兵たちの多くが、深刻な神経系異常などで苫しんでいると連絡してきている。」

枯葉剤を直接に散布したわけでもなく、その近くにいただけで後遺症にさいなまれているのですから、直接に散布作戦に参加した韓国兵の場合はいうまでもないでしょう。

68年7月、京畿道 揚州郡の部隊で 分隊長として「米軍事顧問団の監督のもとに、4人で 鉄カブトの黄色い粉末を素手で非武装地帯で撒いた」大邸市の金某氏(54)は、除隊後、背中と脚に 赤い斑点ができ、かゆみと痛さで苦しんでいる。「3人の娘も同じような症状で苦しんでいる」と語っています。

68年6月初めに江原道 揚口郡の中東部戦線で軍務についていた姜平遠氏(52、金海市)は、「米軍兵士が車で運んでさたドラム缶に入っている液体を分隊員とともに2カ月間、毎日散布したが、鉄カブトに入れて素手で撒く兵隊も多く、軍靴の中はいつも液体がたまっていた。だが、それが枯葉剤だということを知らない兵士たちは、草刈りをしなくて済むと喜んでいた」ともいう。

また、69年末、非武装地帯で7回にわたって素手で枯葉剤を撒いたという呉地根氏(51、群山市)は、「除隊後、寝たあとは 顔がはれ、幻覚に悩まされている。95年以後は 視力まで弱まり、2級視覚障害者になってしまった」と語っている。(1999.11.19東亜日報)

韓国での連日の報道について、米国防省のスポークスマンは99年11月16日、韓国側メディアの報道を公式に認めました。同報道宮は「北からの越境侵入に対処するため、非武装地帯の韓国側で枯葉剤を使って樹木を除去する作業を行った。米政府の承認の下で韓国軍が地上で強力なオレンジ剤の散布作業にあたった」と述べたのです。(1999.11.17朝日新聞)

また韓米年次安保協議を終えて共同記者会見をしたコーエン米国防長官は、「枯葉剤散布は韓国政府が決定したものであり、多数の人々が訴える症状とオレンジ剤との関係を示す決定的な証拠はない。アメリカ政府が韓国の被害将兵たちに補償する法的責務や根拠は存在しない」と述べ、同席していた趙成台・韓国国防長官は、これに対して全く異を唱えませんでした。(1999.11.25朝日新聞)。

事実が示しているように、非武装地帯の南側を管轄しているのも駐韓米軍であり、また枯葉剤を供給し散布命令を下したのも米第8軍司令官であった。その任務を遂行したための韓国側後遺症患者が5000人?1万人と推定されているというのに、責任回避の米軍側と沈黙を守る韓国軍当局に対する韓国民の怒りは余りにも当然といわねばなるまい。
(引用終わり)

韓国版枯葉作戦は何のために行なわれたのでしょうか? 日本でのダーク油・カネミ油症事件発生の直前にあたる1968年1月21日、朴正煕(パク・チョンヒ)韓国大統領の暗殺を狙った北朝鮮兵士31名が休戦ライン(38度線)を越え韓国領に侵入、目撃情報により警戒中の韓国警察・韓国軍と韓国大統領府(青瓦台)目前で銃撃戦となった青瓦台襲撃未遂事件(死者約百名、68年1月21日)があり、その2日後には 朝鮮半島沖で情報収集任務中の米艦船ブエブロ号が北朝鮮に拿捕される事件と続き、日本では激しい抗議運動の中(このとき機動隊が初めてデモ隊に向けて化学兵器クロロアセトフェノンを放射)、長崎県佐世保に寄港していた米原子力空母エンタープライスが急遽韓国へ向かうなど第二次朝鮮戦争勃発の危機が高まっていました。さらにベトナムではベトコンの一斉反撃により一時米国大使館が占拠された テト攻勢(68年1月30日)があり、米国は一時窮地に立たされていました。このような時局の最中に、ダーク油事件、カネミ油症事件は起きたのです。

韓国・朴政権は北朝鮮への報復計画を米国に打診しましたが、ベトナム戦争長期化に苦しむ米国はこれを拒否しただけでなく、後には駐韓米軍の一個師団削減を表明。当時GNPにおいても北朝鮮に劣っていた韓国は危機感を募らせ、独自に金日成暗殺計画を立案、1948年頃創設された「陸軍諜報部隊」とは別に、特殊部隊を創設して31名の訓練兵が実尾島(シルミド)に集められました。(このが映画「シルミド」の題材に なった)。すると、米軍は韓国軍 兵士に休戦ライン(非武装中立地帯)に沿って素手による枯葉剤散布を指示したのです。そして韓国兵に大きなダイオキシン被害が発生していることが韓国民の知るところとなると、米国防長官は米国政府に責任はないと言ってのけたのです。韓国政府は1993年に施行された「枯葉剤後遺症治療関連法」に韓国枯葉作戦の被災者も対象とするよう法律を改定しました。

韓国枯葉作戦の表向きの理由は北からの再侵入を防止するためでしたが、同時に韓国側から北への侵入を難しくするものでもあります。韓国・朴政権は北朝鮮への報復の意思を米国に伝えていますので、この時期の散布はベトナムで手一杯の米国が第二次朝鮮戦争につながりかねない韓国の報復作戦を枯葉剤散布で阻止したという見方もできなくはありません。

日本でも安保闘争が激しさを増していましたので、日韓同時に広がり始めた反米・離米機運の中で、三井東圧化学従業員及び三西化学従業員・周辺住民の被災カネミ油症事件、韓国枯葉作戦と、日韓で同時多発的にダイオキシン被害が発生、拡散していたことには注目したいと思います。

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■地続きであること、軍国主義国家として対峙してしまったこと=内戦状態が、韓国史をつらぬいている。■米軍の支配のどあいという次元では、1945?72年の琉球列島の方がひどかったはずなのに、被害の深刻さ、住民同士のきずつけあうどあいは、圧倒的に韓国の方がつらそうだ。■あちらの新聞が、沖縄タイムス琉球新報のような論調になるのは、当然か。
■ウーン、それにしても、アメリカ政府のみがってさは、ひどすぎる。■そして、隣国の悲劇を黙殺しつづける日本政府とメディアの品性も。