宗教法人幸福の科学」の(こどもむけ?)広報誌『ヘルメス・エンゼルス』がてにはいったので、拝見。
■「ヘルメス」と「エンゼルス」という宗教的な起源については、全然理解できない。■「旅人、泥棒、商業、羊飼いの守護神」とされるヘルメスを岩波書店が雑誌名につかう以上に意味不明だし(笑)、「アブラハムの宗教が広まり、他民族を取り込んでイスラエル民族が成立していく過程で、他宗教の神を、唯一神によって創造された下位の存在として取り込んでいった」ことで生じた「唯一神教であるアブラハムの宗教の中に埋め込まれた多神教的要素」と目される「天使」概念の、大衆版は、「ルネサンス期にローマ神話のクピド(女神ウェヌスの使い)からイメージを借り」ることで近世以降生じた「無垢な子供の姿や、女性的な姿、やさしい男性の姿」なわけで、大川隆法氏らの「子どもを天使に育てよう!」といったコピーの水準がうかがえる。

■それはともかく、小冊子の巻頭にかかげられた、ひかりのことば 幸福の科学総裁 大川隆法 先生「子どもにとっての信仰? 自分の体を傷つけたり、自殺してたりしてはいけない」 の記述を実際に引用しながら、検討してみよう。
 前号では、男女のあいだでは、お互いに尊敬の念を持ち、礼儀を守ることが大事だということや、肉体は自動車以上に大切なものだから、傷つけたりしてはいけない、という話をしたね。
 体を大事にするということについて、続けて話をすると、最近は自殺問題も多いようだ。子どもでも、何かおもしろくないことがあったり、人から怒られたり、不満があったりすると、それに対する当てつけで、自殺することがある。あるいは、自殺のふりをしたりする。
 自分の訴えを聞いてほしいので、自殺未遂を起こし、リストカットと言って手首を切ってみたり、自殺のまねごとをしたりするわけだ。そして、それを友だちどうしで語り合ったり、競い合ったりするようなことがある。
 これも、大変な罪だ。「自分の体だから、どうしようとかまわない。」と思っているのかもしれないけれども、体は両親からいただいたものだ。しかも、両親からいただいたというだけではなく、何千年、何万年、さらにはそれ以上前から、連綿と、ずうっとご先祖がいて、いまのあなたがいるということだ。その途中のだれか一人が欠けても、いまのあなたはいないんだよ。
 何十代、何百代、何千代と、連綿と、ご先祖がいて、現在のあなたがいるんだ。あなたは、偶然に生まれたのではない。非常にありがたいことだね。ご先祖のなかの一人でも自殺していたら、あなたは生まれていないんだ。
 だから、「そういう長い長い歴史のなかで、いま生まれてきた自分」というものを知って、自分を大事にしなければいけない。
 また、両親への感謝も大事だ。自分が生まれてくる前には、天上界で、両親となる人に、「どうか、子どもとして生んでください。」とお願いしてきたんだ。だから、このごろの子どもたちの言う、「親が勝手に生んだ。」とか、「生んでくれと頼んだ覚えはない。」とかいう考えは完全なまちがいだ。必ず、「生んでください。」とお願いをして、親子の約束をしているんだ。
 親子の約束で、どちらがお願いをするのかといえば、それは当然、子どものほうだ。大人になるまで、二十年間、育ててもらわなければいけないからだね。親のほうが、「あなたを育てさせてね。」などと一生懸命にお願いしたりはしない。子どものほうが、「よろしくお願いします。」と頼んでいるんだ。お世話になるほうだから、当たり前のことだね。
 大人になるまでのあいだ、親の手がかからずに大きくはなれないから、絶対にお世話になるんだ。
 ところが、大人になったあと、自分が親の世話をするかどうかということは決まっていない。だから、よくできた人は親の世話をするけれども、親の世話をしない人もたくさんいる。
 大人になったら「さようなら。」というのは、食い逃げのようなものだね。親に学費を出してもらい、ごはんを食べさせてもらい、衣服を提供してもらったのに、大人になったら、「僕は勝手に生きるから。」「私は勝手に生きるから。」と言って、パッといなくなってしまうわけだ。でも、そんな人はいっぱいいる。
 そのため、親のほうが頼んで、子どもに生まれてきてもらっているということはなくて、子どものほうが親に頼んでいるのが普通なんだ。
 だから、両親への感謝のためにも、自分の体を傷つけたり、自殺するようなことをしてはいけないね。 
 このつづきは、次号でもお話しよう。(つづく)

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■「そのため、親のほうが頼んで、子どもに生まれてきてもらっているということはなくて、子どものほうが親に頼んでいるのが普通なんだ。」という最後の方の一節が、唐突で理解にくるしむが、それ以外の主張は明確である。■ただし、実に保守的な家父長的倫理観の一方的おしつけであり、しかも、おどろくような神秘主義的虚構をもちだしている。

■?「何かおもしろくないことがあったり、人から怒られたり、不満があったりすると、それに対する当てつけで、自殺することがある」とか、「自分の訴えを聞いてほしいので、自殺未遂を起こし、リストカットと言って手首を切ってみたり、自殺のまねごとをしたりすると、一部の自殺者/未遂者/リストカットの例をあげることで、実は自殺/リストカット一般がささいなことへの「当てつけ」でなされるかのような印象操作をおこなっている。
■?生命なら、祖先ぬきに突然発生するはずがないという当然の原理をさかてに、「いまのあなたがいるということだ。その途中のだれか一人が欠けても、いまのあなたはいない」などと、自死するほかないところまでおいこまれたひとびとの苦悩を罪悪視する論理を当然視させるよう、誘導している。
■?「自分が生まれてくる前には、天上界で、両親となる人に、「どうか、子どもとして生んでください。」……とお願いをして、親子の約束をしている」といった、ありもしない妄想を児童にすりこみ、さらには「大人になるまでのあいだ、親の手がかからずに大きくはなれないから、絶対にお世話になる」と、「親の恩」「子どもの無力さ」をすりこもうとしている。■これによって、親への服従が自明視され、反抗が困難になる。■この「恩着せがましさ」には、おそれいる。
■?さらには、「よくできた人は親の世話をするけれども、親の世話をしない人もたくさんいる。…大人になったら「さようなら。」というのは、食い逃げのようなもの」と、老人介護を私的に処理すること、いわゆる親孝行をおしつける。

■こういった文脈で否定される、自殺というのは、なんなのだろうね。■要は、老親介護要員として元気に中年までいきのびないと、「恩返し」できないぞ。という「すりこみ」なんだな。「自殺してはいけない」というのは、あくまで自分を大切にという意味ではなく、親孝行のための頑丈な心身という位置づけなのだった。■ああ、うるわしげにみえた、ありがたい法話も、すかしてみれば、おさむいかぎり(笑)。

■オヤによる「恩着せがましさ」から自由になろうとした芥川龍之介は、人間社会を風刺するために、河童の世界をえがいた。


……僕はしばらくたってから、バッグの細君のお産をするところをバッグの小屋へ見物にゆきました。河童もお産をする時には我々人間と同じことです。やはり医者や産婆(さんば)などの助けを借りてお産をするのです。けれどもお産をするとなると、父親は電話でもかけるように母親の生殖器に口をつけ、「お前はこの世界へ生まれてくるかどうか、よく考えた上で返事をしろ。」と大きな声で尋ねるのです。バッグもやはり膝(ひざ)をつきながら、何度も繰り返してこう言いました。それからテエブルの上にあった消毒用の水薬(すいやく)でうがいをしました。すると細君の腹の中の子は多少気兼ねでもしているとみえ、こう小声に返事をしました。
「僕は生まれたくはありません。第一僕のお父(とう)さんの遺伝は精神病だけでもたいへんです。その上僕は河童的存在を悪いと信じていますから。」
 バッグはこの返事を聞いた時、てれたように頭をかいていました。が、そこにい合わせた産婆はたちまち細君の生殖器へ太い硝子(ガラス)の管(かん)を突きこみ、何か液体を注射しました。すると細君はほっとしたように太い息をもらしました。同時にまた今まで大きかった腹は水素瓦斯(すいそガス)を抜いた風船のようにへたへたと縮んでしまいました。
 こういう返事をするくらいですから、河童の子どもは生まれるが早いか、もちろん歩いたりしゃべったりするのです。……
芥川龍之介河童」=青空文庫「河童」より〕


■釈迦は、人の一生を苦悩・苦痛にみちたものだとき、そこからの解放を提案した。■自殺を、こういった家父長的倫理で否定する人生観、自分の人生を「ありがたい」ものだと、おもえという強要とは、対照的だ。