■別処珠樹さんの『世界の環境ホット!ニュース』のバックナンバーから転載【リンクは、ハラナによる追加】。■シリーズ第39回。■いつもどおり、ハラナがかってにリンクをおぎなっている。

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世界の環境ホットニュース[GEN] 625号 05年12月7日
発行:別処珠樹【転載歓迎】意見・投稿 → ende23@msn.com     
枯葉剤機密カルテル(第39回)         
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枯葉剤機密カルテル           原田 和明

第39回 火の仮説

大法廷では何一つ語られなかった枯葉剤訴訟ですが、提訴から和解に至る過程枯葉剤メーカーはそれぞれに特徴ある反論を試みています。モンサント社はダイオキシンの毒性は元々低く、病気と枯葉剤の因果関係はない。」と主張したのに対し、もう一方の大手枯葉剤メーカーである ダウ・ケミカル社は「火の仮説」とよばれる 一風 変わった主張をしました。いわく「ダイオキシンはどこにでもあって、先史時代からずっと私たちの周辺に存在している。ダイオキシンの発生源はあらゆる燃焼形態にあり、環境中でダイオキシンを産み出すには人工の化学物質が存在する必要はない。」と主張したのです。ダウ・ケミカル社の工場廃水が流れ込むティタバワシー川、サゲノー川で1978年に発覚したダイオキシン汚染はダウ・ケミカル社の排水によって生じたものではなく、どこででも起きる普通の燃焼過程からのものだと主張して、自社の責任を認めませんでした。
ダウ・ケミカル社は、四か月半にわたる集中的な努力と 180万ドルを 費やして、「火の微量化学」と題する報告書を作成、その中で、ダイオキシンの発生は自然現象であると主張したのです。ダウ・ケミカル社はこの報告書を通常の公表ルートである学術雑誌には投稿せず、記者会見の場で発表しました。その席で、同社の研究部門責任者のロバート・ブルームは「これでダイオキシンは火の出現から私たちと共にあったと考えられます。昔と違うところは、今の私たちには環境中にあるダイオキシンの存在を検出する能力があるということだけです。」と語ったと伝えられています。(ギプス「21世紀への草の根ダイオキシン戦略」kkゼスト2000)

しかし、ダウ・ケミカル社には枯葉剤に関連してベトナム帰還兵との間で利害の対立がありましたので、大方の人は この報告書を懐疑的に受け取っていました。同社が提唱した「火の仮説」の意味するところは、ダイオキシンは現代の化学工業が発展する以前の古くから存在したのであり、山火事など自然の火災の規模の大きさと長い歴史を考慮すれば、合成化学物質は現代のダイオキシン汚染の主要な発生源ではない(中南元「ダイオキシンファミリー」北斗出版1999)ということであり、ダウ・ケミカル社の責任逃れ、論点外しの目論見がミエミエだったのです。

しかし、ベトナム帰還兵たちから 訴えられていた 米国退役軍人管理局を含むその他の関係者はこのニュースに飛びついたのは当然でした。

1977年にオランダのオリエ、ハッツィンガーらがゴミ焼却場の焼却灰にダイオキシンが含まれていることを示して以来、ダイオキシンの発生源に関する研究が進み、家庭の暖炉、タバコの煙、炭火焼のステーキに至るまで枯葉剤とは無関係のありふれたダイオキシン汚染源が多数存在することが確認され、ダウ・ケミカル社の主張は補強されたかにみえました。

しかしこの説は、各地の湖の底質(底の泥)中におけるダイオキシンの堆積に関する年代測定法を利用した研究や、古代人の体内のダイオキシン類の濃度測定などによって否定
されています。米国 五大湖のひとつ ヒューロン湖の底質を測定した結果、ダイオキシンの堆積は1940年頃から急激に増大していて、それ以前はほとんどないといってよい状態だったことが確認されました。
そのダイオキシン濃度の推移は、産業革命以後に急激に消費量が増えた石炭の年次消費量とも一致せず、245TPCP塩化ベンゼン類など有機塩素系化合物の生産量の推移と見事に一致していました。(ギプス「21世紀への草の根ダイオキシン戦略」kkゼスト2000)つまり、ダイオキシンの発生源は無数にあっても、その量は微々たるもので、発生量を考慮すると、その汚染源は枯葉剤などの有機塩素化合物の生産と使用にあることが証明されたのです。ダウ・ケミカル社の主張は「発生量」をあえて無視することで成り立つ理屈だったのです。

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■「いや、まちがっていない」と行政訴訟で、あたかも「節税」に貢献しているかのように責任回避を追求する日本政府も同質だが、株主をはじめとした投資家・債権者の利益をあくまでまもろうと、論理的に破綻した主張をくりかえることも倫理的で、企業の社会的責任をはたしていることになるのだろうか? ■水俣病をひきおこしながら、いまだ責任を自覚できていないらしいチッソ四日市ぜんそくの被告筆頭だった経緯をひきずりながら、またもフェロシルト問題をひきおこした石原産業アスベスト(石綿)問題をせおいきれていない「ニチアス」「クボタ」、責任の所在をいまだ理解しそこねている同族企業パロマなど、ダウケミカルモンサントの姿勢は、「過去の外国の事例」では、けっしてない。現代日本の企業体質の必然的産物だろう。
■企業経営者は、よく「企業は消費者のみなさまのニーズにこたえる製品をおくりだすことで、いかされる」などとくりかえす。あまっさえ、「利益が出ているということは、何らかの形で誰かの役に立っている」などと、死の商人麻薬の売買組織さえも合理化しかねない論理までくりだす始末だ。■偽装請負派遣労働者の搾取にたよった価格破壊をよろこぶのは、あまりにエゲつない。消費者はかしこくならなければ。不買運動しかないね。


●「2006-12-10 起て、飢えたる者よ…