■昨年末は、バタバタして、なにもまとめができなかった。■1年めの年末は、「ことしの20冊:2005年」といったかたちで、ふりかえることができたが。■まる2年にあたる、ことしの2月中旬に「この日記の1年をふりかえる」の続編のような文章をかけるかも、微妙になってきた。

■「読者を啓発しようとか、なにか運動を組織しようなどといった野望・願望とは無縁…で、徹頭徹尾「思考の外部化」作業」であるという、日記の性格には、かわりがない。■しかし、1年めは、かなりの程度あった「読書ノート」的色彩は、ほぼ消滅した。■かわりに、時事的な記事についての、雑感や分析・批評が激増した。■それと、なによりも日記のわりに、1日あたりの更新回数が基本的に複数回にふえた。コメントへの返信をかきこむとか、そういった微細な更新でなくて、記事本文が複数かきこまれるという意味で。■その意味では、この日記は、昨年1年で激変した。

■さて、ことしはどうなるか。
■「思考の外部化」作業という性格にはかわりがないとおもう。そして、しごとがふえた分、じっくり読書ノートをかきこむユトリもなさそうだ。大体、「ことしの20冊」といった記事をかくためには、200冊ぐらいはよんでおかないと、えらびだす意味が激減するが、1年に200冊ぐらいはめをとおしても、読書ノートをまとめる作業を50以上こなすことはほぼ不可能だ。■その意味では、ディジタル化されたモジ情報を転載・引用しながらかける、「時評」タイプの記事が大半をしめる2006年のパターンは、大体踏襲されるのではないか?■ま、手でいちいちうちこみをしない点や、じまえの文章がへるという意味では、完全に省力化≒てぬきだが、2006年同様、情報量だけは、へらさないでいきたい。そのためには、一層リンクの充実、質/量の拡充をはかりたい。■過去記事とのリンク・参照作業も、同様にすすめるつもりだ。
■「blog内検索」の確度をあげるためにも、カギとなる術語・用語がめだつように、一層努力したい。

■まいとしのことではあるが、2006年というとしも、あきらかに好転した事象も、暗転した事象もあった。ことしもそうだろう。「好転した事象」について安易に楽観せず、「暗転した事象」について絶望することもなく、希望
〔=字義どおり、「希なる望み」〕をたやさないでいこう。■そのためには、過去と現在の状況の整理、自己の認識の外部化・整理がかかせない。そのため必要な情報収集、相互批判、年表化・図解化などによる過去との比較作業も必要となるだろう。■その時間がどれくらいとれるか不明だが、やれる範囲でやっていこう。

■実質的に<「好転した事象」がおおかったと、2007年すえにふりかえることができるように念じながら。