■別処珠樹さんの『世界の環境ホット!ニュース』のバックナンバーから転載。■シリーズ第44回【リンクはハラナ】。

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世界の環境ホットニュース[GEN] 630号 07年01月05日
発行:別処珠樹【転載歓迎】意見・投稿 → ende23@msn.com     
枯葉剤機密カルテル(第44回)         
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枯葉剤機密カルテル          原田 和明

第44回 大牟田秘密工場

厚生省 環境衛生局長・浦田純一は、三井三池 染料工業所N秘密工場で作っていたものについて 「当時、当該工場は 各種染料や火薬中間物の塩素化、いわゆるクロリネーションの工程を行なっていた」と答弁しています。クロリネーションとは「塩素化」のことで、単に英語で言いかえているだけです。枯葉剤 245Tの生産にもこの塩素化が重要な技術要素でした。個別の製品名については、資料として楢崎に別途 渡されました。(1971.5.20 衆院内閣委員会)
三井東圧化学社史によると、N工場はインジゴなどの合成染料工場として建設され、後に染料の原料となるピクリン酸を製造するようになって軍需工場となったと記されています。ピクリン酸は日本海軍の主要爆薬でしたが、塩素化合物ではなく、ニトロ化合物ですので、厚生省の答弁と社史とは食い違っています。N工場で何が作られていたのでしょうか?

楢崎は大牟田出身の放送作家・毛利恒之の調査結果を引用して、大牟田N工場の爆発物は「赤痢菌弾とはいわないまでも、何らかの形で毒ガスと関係があったのではないか?」と推論。傍証として、S・ローズ「生物化学兵器」の中の一文を取り上げて次のように語っています。

「ベトナム戦争において、この種の毒ガスでも、水を汚染されれば特に幼児は非常な被害を受けるわけでありますが、『南ベトナム解放民族戦線の一地方病院の医療責任者である女医のツイバー博士は、彼女が治療したある幼児の死亡例について語ってくれた。化学薬剤で汚染された果実を食べた五歳の男の子が、病院にかつぎこまれてきた。その子ははげしい腹痛を訴え、吐き、出血をともなった下痢をおこし、つづいて虚脱状態に陥り、ついには死亡した』、つまり疫痢の症状なんですね。このとき、あの爆発が起こってすぐの状態は赤痢菌があったかどうか調査されていないのです(注:これは楢崎の誤認で、実際には水の分析が行なわれていますが赤痢菌は検出されなかった)。いま言ったような疫痢の状態であった。」

政府にとって楢崎の推理は絶対に受け入れるわけにはいかなかったことでしょう。
環境衛生局長・浦田は着席したまま拒絶の態度を示したようです。

楢崎は「これは、あなた首を振られるなら、いまからやりますよ。資料をこんなに持ってきている。」と塚本唯義から入手したと思われる資料を示し、「これは私の推理です。」と断った上で次のように続けました。

この爆発は、赤痢 そのものとは 関係なかったが、疫痢状態の病状と関係があったのではないか。(N工場の爆発原因が明らかになれば)そういう戦争に使ってはならない化学兵器をN工場でつくっておったというようなことが国際的にばれる。日支事変も始まった直後だから、それを隠蔽するために赤痢菌が水道のどこかで入れられたのではないかという一つの推理が出てくる。」

厚生大臣・内田常雄

「話を私初めて承りました。資料が得られます限り調査の御協力はいたして、そして、先ほどの水道課長さんのお子さまも たいへん御熱心だ ということでございますので、何かお役に立つことがあれば御協力を申し上げるのがよかろうと思います。」

楢崎

「この真相の究明いかんによっては、国家犯罪ということが考えられるのです。だから、厚生省は人ごとのように、塚本さんが出てきたから可能な限り調べるなんていう、そういう軽い事件じゃないのですよ。これは国家犯罪の可能性があるから、厚生省としてこれを調査する責任がある。私が疑問を提出しておる以上やってください。」

このとき楢崎の手元にあったであろう塚本メモの添付資料には爆発事故当時の様子が記されています。(大山巌「昭和史を歩く」文献出版1987年)この爆発により「異色ヲ呈スルガス体」が「天ヲ覆イ(住民の)咽喉ヲ刺激」し、工場内にも多数の負傷者が発生、彼らはすぐ隔離されました。塚本は憲兵隊が被災した工員を取り調べたと聞き、憲兵に水道当局としての苦哀(水道が汚染源と疑われていること)を訴え、「之ガ真疑ヲオ洩ラシ願イタシト懇願」しました。

塚本メモによると、憲兵が八女郡羽犬塚町(現・福岡県筑後市)某所で隔離されていた23名の病人に「なぜここに来ることになったのか」とそのいきさつを尋ねたところ、病人たちは「三井から 秘密にするようにと 固く命じられているので返答できない」との返事。憲兵が職権で取り調べると宣言すると、よくやく病人たちはことの顛末を語り始めました。「9月25日の夜、三井の工場で 爆発が起きると同時に意識不明になり、目が覚めると防毒マスク、防毒衣を装着した人からトラックの荷台に乗せられてここにやってきた。今23人いるが、一名は即死だったと聞かされた」と。塚本は羽犬塚町某所とは羽犬塚伝染病院だろう、と推定しています。

水道汚染が原因なら三井は緘口令をひく必要はありません。事件発生後、巷には流言飛語が飛び交っていました。敵国側スパイによる細菌散布、毒ガス製造中の三井三池染料工場の爆発による毒煙、市当局の滅菌装置不備、水源地番人の不始末説など取り沙汰されましたが、住民は警察の厳しい示達で事件について口にするのを一切禁じられたのです。(「孫たちへの証言10・心にしまいこんだこと」新風書房 1997)当時、大牟田では「工場で 毒ガス兵器を作っている。」などのうわさは公然と囁かれていました。(大山巌「昭和史を歩く」文献出版1987年

塚本唯義は、三井三池染料工業所で作っていた細菌爆弾の事故が大牟田爆発赤痢事件の原因だとの確信をもち、佐藤栄作首相に公開質問状を提出(1972.1.13 朝日新聞)、さらに山梨県甲府市で開かれた日教組など主催の教研集会で「隠された国の犯罪」糾明を訴えました。(1972.1.17朝日新聞)

塚本メモが発見された1962(昭和37)年当時の大牟田市長・細谷治嘉は後に社会党衆院議員になっていますが、爆発赤痢事件当時、三井三池染料工業所の研究部門にいました。彼は月刊誌「日本」1963年6月号で次のように証言しています。

「塚本メモはかなり正確な資料と思う。しかし、何が原因かという点では塚本メモも根拠が薄いようだ。当時工場ではクシャミ性毒ガスは作っていたが、細菌弾は作っていなかった。」

細谷は「だから爆発赤痢は工場爆発が原因ではない」と言いたかったようですが、毒ガス製造を告白していることが重要です。

クシャミ性毒ガスは「あか剤」と呼ばれていた 有機ヒ素 化合物で、ジフェニルシアノ アルシン(DC)とジフェニル クロロ アルシン(DA)、アダムサイト(DM)があります。その効果は「激しい制御不能のくしゃみ、咳、吐き気、嘔吐、不快感を引き起こす。」(国立医薬品食品衛生研究所のHP)DAとDMは三塩化ヒ素誘導体ですから、「クロリネーション(塩素化)」を行なっていたというN工場の製品として 有力です。茨城県 神栖町で 平成15年3月に井戸水などから高濃度のヒ素が検出されましたが、「あか剤」の原料または分解物と考えられています。

毒ガスの種類を「あか剤」などと色で呼ぶのは、毒ガスの種類を識別するために砲弾に赤い帯で色分けしていたからです。戦場では「あか○発もってこい」などと指示がとんでいました。

ベトナムで使用された枯葉剤のうち最もダイオキシン濃度が高かった「オレンジ剤」の名称も同じです。枯葉剤の容器にオレンジ色の帯が塗られていたのです。

ところで、クシャミ性毒ガスの製造工程で爆発事故があったことが大惨事の原因だとしても、住民の便から赤痢菌が検出されたのはなぜでしょうか? 塚本唯義はさらに事件当時、調査に参加した各大学が患者の便から検出した赤痢菌がそれぞれに異なった種類であったことをつきとめました。赤痢菌の謎は深まるばかりです。

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前回・今回の事件については、作家 清水一行が、『毒煙都市』という小説をかいている。

■なお、前回補足しておいたとおり、「大山巌「昭和史を歩く」文献出版1987年)」は、おそらく山本巌『昭和史を歩く 福岡県を舞台に』(文献出版1987年)の誤記であろう