■別処珠樹さんの『世界の環境ホット!ニュース』のバックナンバーから転載。■シリーズ第45回【リンクはハラナ】。

ミステリーをよまされるような、原田さんの記述は、いよいよ国家犯罪の「なぞとき」の佳境に

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世界の環境ホットニュース[GEN] 631号 07年01月09日
発行:別処珠樹【転載歓迎】意見・投稿 → ende23@msn.com     
枯葉剤機密カルテル(第45回)         
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枯葉剤機密カルテル          原田 和明

第45回 隠された国の犯罪

その謎が解けたのは楢崎質問の翌年1972年のことです。塚本唯義は 昭和17年4月20日の「日本伝染病学会誌」に掲載された大牟田市立若宮病院(伝染病病院)院長黒木郁夫の「赤痢予防錠服用の成績より」と題した論文を入手、そこに重要な情報が記載されていました。

「(赤痢予防錠は)大牟田市においても爆発赤痢以来毎年使用しつつあり、疫禍の際は 当初の昭和12年9月27日より10月5日に至るまでの間に99976人分(市人口の86.3%)を配布してこれが服用を奨励したり。」
爆発 赤痢の発生は 9月25日 夕方でした。その二日後から 赤痢予防錠を 配布した・・・。10万人分もの予防錠を誰がどこからどうやって、それも事件からわずか2日で 大牟田に届けたのでしょうか? 黒木論文によればその予防錠の成分は数種類の赤痢菌を混合したものでした。九州大学などの大牟田入りは27日夕方。つまり、患者の検便は予防錠配布後のことだったのです。これで大学ごとに異なった赤痢菌を検出したことも、第三源井の番人家族から 10月2日以降に赤痢菌が検出されたことも、28日以降になって大人の患者が増えたことも、患者がまず咽喉をやられたこともすべて説明がつきます。

毒ガスを作っていた軍需工場の爆発事故、それによる大量の住民被害発生。それを隠蔽するために国、軍が動いたのではないか・・・それが塚本唯義の推測でした。

日本の最初の毒ガス使用は1930年に台湾の霧社で起きた先住少数部族の反乱鎮圧でした。その前年1929年には広島県大久野島で毒ガス兵器の生産が始まっています。このとき台湾の軍司令官は東京の陸軍参謀本部に「びらん性ガス(マスタードガス)を至急送れ」との電文を発信。東京からの返信は「びらん性ガスは国際問題になるから、この先は暗号で交信するように。」となっていて(尾崎祈美子「悪夢の遺産」学陽書房1997)、日本政府も毒ガス製造は国際法に抵触するとの認識をもっていたことがわかります。

日本が毒ガスの使用を禁止するジュネーブ条約に 調印したのは 1925年(批准は1970年)のことでしたから、毒ガスの製造は 秘密でなければ ならなかったのです。そして、日本が毒ガス生産を本格化させるのはそれ以後のことでした。

ところで、赤痢予防錠とは、1929(昭和4)年に 軍医学校 防疫部が 民間企業に先立って 試作、海外師団の 一部に 服用せしめた後改良を加え、満州事変 勃発(1931.9.18)から約1年間の間に生産された「ワクチン」のひとつです。製造工程が煩雑な上、有効性も不明という段階だったにも関わらず コレラ(20万人分)やペスト(2万人分)より多い、約24万人分が生産されました。赤痢予防錠は 通常のワクチンに比べ 細菌の量が 200倍と多く、大量の赤痢菌を必要としました。

赤痢菌の大量生産装置は石井四郎が考案したもので、彼は 後に731部隊を率いて中国大陸で細菌戦を展開しています。石井は1933年夏までに有効性の確認を各師団に依頼、10万人分を配給した結果、配給業務も煩雑で、予防錠自体も副作用が強い上に効果がないことがわかり、開発は中止されています。それでも石井が考案した赤痢菌の大量生産装置はワクチン生産施設としても、また生物兵器生産施設としても役に立つことが確認されました。そして「ワクチン」生産が一段落した1932年4月には 軍医学校内に防疫研究所が新設されましたが、その任務は細菌学の研究・教育でも、ワクチンの生産でもなく、生物戦の攻撃と防衛の研究・開発・実行だったのです。(常石敬一「医学者たちの組織犯罪」朝日新聞社1994)

その「軍部にだけ配布された副作用が強いワクチン」が熊本・久留米両師団の到着と同時に大牟田市民に「疫痢症状の蔓延後に予防錠として」大量に配布されたのです。

黒木論文には 予防錠服用後の症状に関する記述もあります。58歳の男性は9月末水道水を飲んだが異常なく、10月6日夜 予防錠服用後に下痢が始まり、翌日には粘血便や発熱など明らかな赤痢症状を呈した。そして検便の結果、赤痢菌を検出した・・・。

この資料は水道水では問題なく予防錠の服用によって赤痢患者が発生したことを明確に示していますが、この58歳の男性とは当時の市長・前田慎吾でした。塚本唯義は「市長は自ら人体実験を願い出たのではないか」と推測しています。市長は 予防錠服用による発病を確認することで、水道説 否定の材料を得たかったのではないか? 大きな力に立ち向かっていたのは父・久光だけではなかったのです。

唯義が入手した戦前の「日本伝染病学会雑誌」に掲載された九州大学の論文には、非常にまわりくどい表現で、赤痢菌は体外に排出されれば数時間で死滅することを指摘し、水道水中で爆発的に増殖したという爆発赤痢事件の仮定を「理論的には首肯できない」と述べています。また熊本医大・太田原博士も「流動セル水中ニ於テハ(赤痢菌は)繁殖セズ」というのが「今日ノ学説」だと指摘していました。

当時の学者たちも「水道原因説」に疑問を投げかけていたのです。それでもなお「水道原因説」が 定着したのは、それを 否定すれば「軍需工場の爆発」という「軍事機密」に触れざるをえなかったからでしょう。そして、その工場は戦後もなお、軍需工場であり続け、米軍向けに化学兵器・枯葉剤の生産を請け負っていたのです。塚本久光が二度目の落選の後に語ったという「まだ真相を明らかにできる時代ではなかった」という言葉の意味も大牟田はまだ戦時中と変わりなかったということかもしれません。

赤痢予防錠 服用との情報を得た楢崎は再び厚生省を追及しました。(1972.3.22衆院予算委員会第三分科会)

楢崎「この大牟田の爆発赤痢も国家犯罪の疑いが濃厚だと私は見るわけです。当時の気象台による風向きの関係等も資料が整いました。そして発病の状態とこれを照らし合わせると、やはりガス汚染という可能性が非常に強い。もっとも、二十七日以降は赤痢の予防剤を飲んで、そのために発病したケースもあると思います。」

厚生省環境衛生局長・浦田純一「結論から申しますと、これも水道を介しての水系感染、赤痢菌による水系感染であるということを否定するということはできないわけでございます。御指摘のように、これがガス爆発によったということにつきましては、いろいろと検討も加えましたけれども、たとえば大牟田の患者の発生した時刻、これは爆発時刻よりも以前でございまして、これのみをもっていたしましても爆発事故との関連というものは非常に弱い。それから、このような流行の形態というものは、明らかに水系の伝染病であるという以外に考えられないといったようなことからも、これは水系による水道を介しての赤痢の集団発生であるというふうに考えておるものでございます。」

主査代理の橋本龍太郎が時間超過を理由に楢崎の質問を打ち切り、議論はここで終わっています。厚生省・浦田は時間切れに救われたかっこうです。三井三池染料工業所で毒ガスが作られていたこと、そしてそれを隠蔽するために国または軍が国民に赤痢菌をばらまいたことを厚生省が認めるわけにはいかないでしょう。ところが翌日の朝日新聞は「水道汚染説」にしがみつく厚生省の見解を「厚生省見解 細菌爆弾ではない。」との見出しで掲載、楢崎が追及したはずの三井の毒ガス製造疑惑はなぜか一切報じられませんでした

1919年に東京新宿に陸軍科学研究所設立、29年には広島県大久野島で毒ガス工場が操業を開始していますが、1937年の大牟田爆発赤痢事件は官営工場だけでなく民間の化学会社もまた毒ガス製造に関わっていたことを示す事件でした。

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訂正
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43回、44回で引用した「昭和史を歩く」の著者は「山本巌」でした。訂正してお詫びします。

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■「ジュネーブ条約」というのは、「ハーグ陸戦条約」の補足的な「毒ガス等の禁止に関するジュネーブ議定書」をさすらしい。

■このシリーズでも、フェロシルト問題、原発問題でも、再三くりかえしてきたが、公権力による、リスク解説や、事故の経緯説明は、全然信用ならない。■基本的に、公権力や業界団体、およびそれに直結する政治家の利害が保護されるよう、巧妙かつ卑劣な作文・答弁がくりかえされていると、うたがった方がよい。
■そして、前便でもとりあげたとおり、司法は、そういった公権力をまもる番犬である。