■秀逸な批評を展開する 『佐藤秀の徒然\{?。?}/ワカリマシェン』の先日の記事を紹介する。■が、全面的に肯定する引用ではない。

2007年02月22日
書名不当表示
最近の本のタイトルには実質「不当表示」がはびこっているように思える。広告も食品表示も法で規制され、最近ではテレビ番組にも厳しい批判が加えられているというのに、書籍だけは聖域らしい。

例えば、最近目に付いたもので「医学は科学ではない(404 Blog Not Found)」など、その好例だろう。医学 medical scienceが科学でないというのなら、じゃあ何だと言うのか。目次だけ見ても、そんな額面通りの高遠な思想など見受けられない。
アマゾンのカスタマーレビューでも「誤解を招く書名」と批判されている。
恐らくこの書名は著者ではなく、出版社が決めたのだろうとは思う。まともな著者ならこんな阿呆なタイトル付けるなんて恥ずかしくてできるものじゃない。どう考えても出版社側の釣りだ。著者が異議を唱えても、販売戦略から黙認せざるを得なかったのだろうことは想像がつく。
食品表示は食品衛生法の規制を受けている。誇大広告などは不当景品類及び不当表示防止法で規制されている。
しかし、本の場合、言論・表現の自由から「不当表示」であっても、それが理由で規制を受けることはないようだ。以前、アガリスク本を出版して摘発された事件があったが、これは薬事法違反(承認前医薬品の広告禁止)である。
純粋に訳分からん書名、芸術的書名はアリだろうから規制するのが難しいことは分かる。しかし、どう考えても内容と書名に明らかに著しく不整合な場合というのはあるだろう。
本の場合、「内容と書名が違っている」とクレーム付けても返品に応じてくれそうにないし、書名の不当表示で摘発された本なんて聞いたことないのだ。
買ってしまった以上、書名で釣られた購読者は古紙を手にしているに過ぎない。例に挙げた本だって書名さえ違えば相応の価値ある本なのだろう。しかし、書名に釣られて買った購読者には何の慰めにもならない。「そんなことに興味持って買ったわけじゃない」と叫んでも後の祭りなのだ。
「書名不当表示法」という法でもできれば、恐らく書籍の売れ行きはかなり落ちるだろう。毎日発行される本の書名を精査すれば、かなり内容不一致なのが多いだろう。
一冊の本を書くことは簡単でない。しかし、購読者を釣る書名を考えるのは何千分の1も簡単だ。費用対効果の観点からすれば、書名で釣るというのは、経営戦略から考えても有利なので今後も変な書名の本は発行し続けられるだろう。
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■佐藤氏の文章の大意については異存がない。■しかし、これは広義の詐欺商法問題として、自己責任で自衛策を講ずるほかないんではないかと、おもう。■書物の玉石混交にどう対処すべきかという私見は「読書に関する7のテーゼ」「無意味な読書とは=「ムダ」とは なにか?9」などにまとめてみたことがあるが、依然として重要な修正の必要をみとめない。
■もちろん、認知症や知的障碍などの弱者をカモにする悪質な詐欺がゆるされないように、学習障碍や経験不足な層などをカモにする商法はエゲつない、という正論はたしかだ。■しかし、ボッタクリ・バーや詐欺商法、エセ宗教の大半は、スキをみせない層をひっかけることは、まずない水準のお粗末なてぐちに終始している。被害者には気の毒だが、つけこまれるスキがあったという事実は「自衛」の次元からは否定できない。
■同様のことは、書名の「羊頭狗肉」問題にもあてはまるわけで、それなりの読書量をこなしてきた層にとっては、あたりまえすぎることではないだろうか? ■すくなくとも米山公啓氏の『医学は科学ではない』が、そんな「羊頭狗肉」よばわりされるような作品とはおもえないし、「医学は科学ではない(404 Blog Not Found)」も非難しているというより、「「?でない」というタイトルから「?である」を期待した読者は肩すかしを食らった形になるだろうが、私はそこに米山氏の誠実さを感じた……医の外にいる人も中にいる人も目を通しておくべき一冊」とのべるなど、非常にたかく評価しているのであり、「書名不当表示」といった批判とは無縁としかよめない。■佐藤氏がなにゆえ、このような「誤読
(としかおもえないが)」にハマり、また米山氏に攻撃をくわえるのか、不可解きわまりない。

■本書については、佐藤氏がふれていない、別のアマゾンのカスタマーレビューこそ、的確だとおもう。

★★★★★ 人間の行為としての医療の原点を問う, 2006/1/24
レビュアー: ひろ (米国カリフォルニア州Menlo Park市) - レビューをすべて見る

読者は「医学は科学ではない」と聞いて、何と思うのだろう。私の場合は『現時点ではまさにそのとおり』との思いです。ただし、著者が第1章で述べている様に「実際の医療現場ではEBM(Evidence Based Medicine: 実証にもとづく医療)にもとづかない治療がむしろ普通に行われている」を意味しているのに対して、私は『現時点では、例えEBMに基づいた治療がなされてもそれは科学ではない』と考えています。それは、現代の医学では、まだ個人の遺伝子、遺伝子の発現、環境要素などの『個人差』をほとんど考慮していない「平均値の医学」であるからです。つまり、EBMは平均的治療法を示しているだけであり、その平均値から外れた個人には当てはまらない事があるからです。しかしながら、実は著者が私とほぼ同じことをしっかりと認識していることは、17 ページにある「人間は人それぞれ遺伝子が違うのであるから、現在の医学のような平均値の医学では、人の個性重視の医療を行うことはできない」を読めば分かります。著者が言うように医学は統計学ではないのです。

そうは言っても、私は、生命に対する認識が深まり、統計的なデータに基づくのではなく、個人の遺伝子、遺伝子の発現、環境要素などを全て考慮に入れる事ができるなら『医学は科学になりうる』と思います。それは、完全な『個人にとって真の意味での最善の医療』が実現できた時に初めて達成されうるのです。その達成には、まだあと数十年の弛まない努力が必要でしょう。

この「医学は科学ではない」と言う厳然たる事実を指摘した上で、著者は「患者との信頼感の構築、そのためには、医者が患者と十分に対話出来る時間(現在の健康保険制度ではその実現はほぼ不可能)が必要である」と結論づけます。まさにその通りだと思います。私が思うに、やはり、医療(医学と言う学問ではない)も人間の営みであり、医療という行為が、医者だけでもなく、患者だけでもなく、医者と患者の人間同士の相互作用の上に成り立っている行為であることから来る不確実性がどうしてもぬぐいきれないと言う事実をしっかりと認識し、その上で『本当に患者の立場に立った医療』を、1人ひとりの医者が実践していくことが、今後の医療の進むべき道だと思います。

医療を受ける人、医療を施す人、医療を目指す人の少しでも多くの人に本書を読んでもらい、今後のあるべき医療を考えるきっかけにしてもらいたいと思います。特に医学部の学生、あるいは医学部を目指そうと思っている若い人たちにお勧めします。

最後に、私の心に残った言葉を上げておきます。それは「医者の仕事は自然治癒力に手を貸すことだ(第2章)」と言うヒポクラテスの言葉です。私もここに人間の行為としての医療の原点があると思います。