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■だいぶあいたが、「ことば/権力/差別(新刊)」「ことば/権力/差別 2」のつづき。■今回は、かどや論文。■かどや氏は高専で世界史をおもに担当する北欧中世史(ヴァイキング時代)研究者で、社会言語学エスペラント学などの言語研究者でもある。

第5章 言語権から計画言語へ  107
  ――――かどや・ひでのり

1. 言語権/言語差別という概念  107
2. 言語差別のあらわれかた  110
3. 構造化された優位性  112
4. 第一言語話者がもつ権力  114
5. あゆみよらせる力―コミュニケーションの個別状況における権力  117
6. 第一言語話者不在のコミュニケーション  119
7. 英語は平等をもたらすか?  121
8. 計画言語という選択肢  125
■言語権についての法制度的・思想史的概観ということであれば、第2章 言語権と人権・平等(渋谷謙次郎)だとおもうが、より本質的な問題、というか『ことば/権力/差別』という本書の表題を代表する中核的論文といえば、これをあげるしかない。■なぜなら、ほかの論文が すべて「特論」的な色彩をおびて、テーマをしぼりこんでいるのに対して、本章は、まっこうから本質的な問題群を総合的・体系的にあつかおうとしているからだ。■「ことば」「情報弱者」「解放」というキイワードこそ目次にあらわれていないものの、「言語権」「言語差別」「権力」という本書の中核的なテーマにとりくんでおり、その論旨は、まさに「言語権からみた情報弱者の解放」という副題そのものなのである。
■本章は、社会的に優位にたつ集団
(ないしはそれに所属するとされる個人=幻想の産物のばあいもあり)が、コミュニケーションの「土俵」をしきる権利を当然のように行使していること=権力構造をうきぼりにしていく。■要は、あいて=劣位者を「土俵」にあがらせる、いいかえれば、自分たちがなれしたしんだ言語体系に、あいてをしたがわせて、優位にことをはこぶ「権利」を優位者はかかえていると。それも無自覚に。■ときに、おためごかしに「合理的・客観的に議論をすすめるためには、○○語をつかうほかない」みたいな無邪気な合理化もからめてね。
■でもって、通常は、劣位者がわは、その不当さというか「土俵」にあがらされて 不利なコミュニケーションをしいられる理不尽が、客観視できていない。■しばしば「自分が無能・無為だから」みたいな、「なっとく」までして、その理不尽を合理化してしまっていたりする。■たとえば、「おくれた日本
(ま、まちがってはいないけど)にのりこんできて、「なんで英語で充分議論できる人物がいないんだ」などと、いきりたったエセ人道主義者=米国産がいたが、連中に「わるぎ」などないし、おおかたの日本人は「日本は英語がヘタで国際化が不充分だから」などと、たわけた合理化を自分からやらかしてしまうわけだ。■とりわけ、日米関係のばあい、政治経済的な優劣関係だけじゃなくて、文化的にも後進国/先進国といった序列関係が自明視されてしまって、「学習‐指導」関係めいた、「ドメスティック・バイオレンス」的共依存が成立してしまったりする。■劣位者は「ああ、まだ自分はたりない」とおもいこみ、優位者も「ああ、まだまだ充分な水準じゃないんで、指導しなきゃ」みたいな、心理的SMプレイになったりね(笑)。■「世界語=世界標準の標準米語を駆使しないと、十全な国際的コミュニケーションは成立しえない」なんて、デマカセが、かなりまかりとおるわけだ。

■ともかく、第一言語として英米語をはなしている連中は、それが日常仕様なんだから、「土俵」上で縦横無尽だよね。■つまりは、そういった、茶番劇にならないよう「機会均等」をコミュニケーションというゲームで保障するためには、だれかの第一言語になってしまうようなコトバをさけるほかない。■そしたら、過去数百年にわたるなかで、整備がすすんで実用にたえる国際補助語はエスペラントしかないよね…みたいな議論として、かどや論文は展開していく。■ごく乱暴にまとめてしまうとだけど。
■ことは、学校や英会話教室で、自己批判なしに「英語」なるものをせっせとおしえている先生の自覚の問題にとどまらない。■たとえば、おとといとりあげた「アメラジアン」差別の典型例は、その容貌にむけられただけではなかった。「アメリカー(ウチナーグチで「米国人」)のくせに、英語ができないか?」というヤツだね。■米軍に植民地支配されている 理不尽さ・くやしさを、そのはざまに そだってコドモに、ぶつけるか? しかし、「いやしのシマ」のはずの、沖縄は、そういったむごいしうちを、何十年にもわたって、アメラジアンにくりかえしてきた。そこでは、容貌とともに英語こそが、アメリカ=優位者を象徴するのであり、それがそろっていない人物は、共同体の外部においだされて当然って論理だ。■英語の先生方は、「英語がにがて」っていう層を毎年大量に輩出しているだけでなくて、こういった差別にも加担してきたことを、充分自覚してほしい。


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