■だいぶまえにかいた、「「ジャスコ化」社会 2」の続編。

■まずは『けんちゃんの吠えるウォッチング』の記事を全文転載
(リンクは、ハラナがかってに補足)。


2007.04.04
レジ袋廃止で環境が守れるのか?
 お手軽で、自分の腹は痛まず、いい格好が出来る大型量販店は「罪滅ぼし」が出来、経費も節減。マスコミが良いイメージで宣伝してくれる。悪いことはなにもない。大手スーパーイオンの作戦なのでしょう。

 損したのはさんざん今までも値切られ、鼻血も出ないはずのレジ袋製造メーカーと、納入会社でしょう。「お手軽な環境商品」にされたため悪者扱いに。

 しかし落ち着いて考えてほしい。レジ袋がなぜ普及したのか?それは「安い」からです。それがいまや悪者になるとは時代の流れを感じます。

 都市郊外の広大な土地に駐車場を構え、集客する。そのことだけで化石燃料で走る車を集めることは地球温暖化促進行為ではないのか。また店舗は年中無休。電気と空調をふんだんに使用している。これなどもエネルギーを大量消費している。
 イオンがレジ袋削減で地球環境に貢献しているということは全く言えないし、お笑いではないか。「本気」なら車ではなく、徒歩や自転車で来店した人を優遇する施策はやっているのだろうか?おそらく何もしていないと思う。

 化石燃料の車を大量に集め、電気をふんだんに使用する店舗を運営しながら、環境保全をしているというのはお笑い以外に何者でもありません。イオン高知もとはシキボウ高知工場の跡地。一度だけシキボウが操業している時に行ったことがありますが、手入れされた大きな樹木が植わっていまし

 スーパーになってテーマパークのようにアスファルト敷きになり、樹木も殆ど切られてしまいました。ですので「環境にやさしいからレジ袋をやめました」なんて言われても「?」と思います。ブラック・ジョークであると思いますね。

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■「リサイクル」推進を「企業の社会的責任」のめだまとしてあげている企業はたくさんある。■基本的に、環境負荷を配慮して全般的な消費・生産体制のみなおしをすることは、わるいことであるはずがない。■しかし、企業のリサイクル推進が、環境負荷を配慮しているポーズとしてアリバイ、ないし偽装的な目的で喧伝されているという批判は、以前からあった。

■たとえば、「ペットボトルリサイクルは容器包装リサイクル法の施行以後、生産量=消費量が増加し、「大量消費?大量リサイクル」の悪しき前例となってしまっている」、「ペットボトル等の回収された資源のうち97%は燃やされているという事実」、「牛乳パックはバージンパルプから作成されていて繊維の品質が高いものとして流通するが、回収された場合にはその多くがトイレットペーパーといったリサイクルが出来ないものに加工されている」といった指摘がある。■要は、「リサイクルは3Rの根幹であるリユースリデュースと平行して取り組むことが必要」とか、「大量生産→大量消費→大量リサイクルでは環境負荷の低減には結びつかない」といった正論は、現実問題ふみにじられているし、そういった方向性をまじめに追及しているなら、到底ありえない現象・構造だらけなのだ。■「環境への負荷ができる限り低減される社会」なんて、「循環型社会形成推進基本法」がうたう「理念」なんてのを、製造業・流通業のオジサマがたが、信じているはずがない。■ノーベル経済学賞受賞者にして歴史的人物といってさしつかえない市場原理主義ミルトン・フリードマン御大が「企業の社会的責任が容認される場合」とは「利益追求のための方便であるときだ」「社会的、環境的価値を株主の富を最大化するための手段―本来の理念を追求するためではなく―につかうときには、それはまったく正しい」と、正直に株式会社という組織の本質をついた
ジョエル・ベイカンザ・コーポレーション』早川書房,pp.47-8〕ように、環境保護志向をうたう企業の大半は、企業イメージ/販売額/利潤をあげるための方便としてつかえそうな理念を演出に動員しているにすぎない。■たとえば、「ハイブリッドカー」の優秀性を喧伝する企業は、万人の移動の自由と環境保全のバランス上必然的にめざしたのではなく、たくさんクルマがかわれること、よりクルマ依存度がたかまることが主眼なのである。

アルミ缶や、ペットボトルなどのリサイクルだって、素材メーカーも飲料メーカーも、消費・利潤の増大のために、さも、環境負荷軽減の必死の努力をはらっているようなフリをしているにすぎない。■同様に、イオン各社がレジ袋をいう、はっきりいってグループ全体の環境負荷総体からみて、0にちかいような微細な項目に消費者の視線を集中させるのは、「吠えるウォッチング」の指摘どおり、消費者をまきこんで「エネルギーを大量消費している」犯罪的姿勢をカムフラージュして、いかにも「企業の社会的責任」であるかのような演出をほどこしているだけ。■かんがえのあさい利用者に、「賢明な消費者」であるかのような、異様に合理化された「自画像」をかかせるという集団催眠商法の実践なのである。「トートバッグ…レジ袋削減及び環境保護の為の「マイバッグ」として注目されている」をもってハイブリッドカーで大量に商品をかいこみにくことが、あたかも「賢明な消費者」「倫理的優越者」であるかのような、トンデモないカンちがいをさせる偽善ね。

■環境経済学の先生方で、レジ袋廃止の社会的コストの試算だしているかた、いらっしゃいませんかね?