■「東京大空襲で国を提訴=遺族ら112人、賠償求める(時事)=戦略爆撃という愚行再考5」の続編。


横浜大空襲(よこはまだいくうしゅう)は、1945年5月29日の昼間に米軍によって横浜市中心地域に対して行われた空襲である。B-29 爆撃機517機・P-51 戦闘機101機による焼夷弾攻撃で約8千?1万名の死者を出した。 米軍は、攻撃目標を東神奈川駅、平沼橋、横浜市役所、お三の宮、大鳥国民学校の5ヶ所を定めて襲撃し、特に被害が甚大だったのは、現在の神奈川区反町、保土ヶ谷区星川町、南区真金町地区一帯とされている。

京浜急行電鉄 黄金町駅周辺一帯は、東急湘南線上り下りの停車中の電車から空襲警報発令と共に退避中の利用客も被害に遭遇し、多数の焼死体が累々と折り重なった所である。


外部リンク
川崎・横浜大空襲の記録
日本本土空襲は、第二次世界大戦において日本本土に対して行われた連合国軍による空襲。初空襲は昭和17年4月18日のいわゆるドーリットル空襲であるが、B-29戦略爆撃機による本格的空襲は昭和19年6月より北部九州に対して中国大陸の基地から行われた。同月マリアナ諸島が陥落すると、東京をはじめ日本本土の大半が爆撃圏内に入り、19年末頃から空襲は熾烈化した。

当初は軍需工場が主たる目標となっていたが、カーチス・ルメイ少将の登場以降、民家や一般市民そのものを標的にした無差別爆撃へと移り、日本全国の主要都市の殆どが灰燼に帰し、空襲は昭和20年8月15日の終戦当日まで続いた。また、末期には機動部隊艦載機や硫黄島から飛来する単発機による爆撃や機銃掃射も行われた。

戦争末期の機銃掃射については、すでに軍需関連施設は殆ど破壊されており、破壊目標がなかったため不用意に屋外にいた子供を機銃掃射で追い立て、殺害する等の戦争犯罪行為が多数行われた。

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…アメリカ軍は、爆撃機による空爆を多用しており、無抵抗で反撃手段を持たない一般市民を虐殺する手段は この時代から現代におけるまで続いている。 爆撃機による大量虐殺について、日本政府は、アメリカ政府に対して謝罪と賠償を求める行動をとっていない。 また戦後、戦勝国により敗戦国に対して大量虐殺を理由とした人道に対する罪という考えのもと、裁判が起こ されたが、アメリカ軍による日本人の大量虐殺に対しての裁判はまだ行われていない。
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■タカ派たちは「日本は、アメリカによる戦略的な去勢政策によって新憲法をおしつけられ、『普通の国』としての資格をうばわれた」の被害者意識をくりかえし表明する。■それならば、原爆投下をはじめとした戦略爆撃という、戦争犯罪をうて! ■自国民への野蛮について、徹底的な究明・批判ができないような自称民族主義者たちを、どう信用しようというのか? ■かれらは、所詮、自己の利害のためにタカ派をきどっているだけで、実際のところイデオロギーは、買弁的な自分たちの本質をカムフラージュするための偽装でしかないのでは? ■さあ、愛国者とやら。その殉国精神とやらを発揮してみせよ!


●「トラックバック・ピープル 安倍晋三」