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世界の環境ホットニュース[GEN] 637号 07年05月30日
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枯葉剤機密カルテル(第50回)         
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枯葉剤機密カルテル         原田 和明

第50回 従米路線の固定化

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CIAは日本のアメリカ離れを阻止するために秘密工作で社会党を分断し、経団連軍需産業を復活するために三井三池の争議をしかけて最強の三池労組を粉砕しました。岸信介はCIAの秘密資金で自民党内の派閥をたくみに操り、アメリカの意向にそって中国敵視政策を始め、さらには暴力団を使ってまで新・安保条約批准を強行採決して、日本の再軍備化への道筋をつけたのです。

弟・佐藤栄作が二度にわたりアメリカにカネの無心をした時期は、日本で反米感情が高まっていた時期と重なります。アメリカは兄・岸信介に日本人の反米感情を抑えて、アメリカの既得権益の温存を託したのです。

兄・岸信介が、反米感情のもととなっている在日アメリカ軍基地は存続させながら、日本人の反米感情を逸らす方策として、新しい安保条約改定に尽力したのも、このCIA秘密資金と無関係ではありません。岸は表向きには日本の独立を唱えつつも、日本の従米路線を固定化させた「アメリカの同盟者」でした。

岸信介が首相に就任すると、マッカーサー駐日大使ダレス国務長官あてに書簡を送っています。(春名幹男「秘密のファイル・CIAの対日工作」共同通信社2000)
「我々がすべきことは、岸の 指導力を強め、既存の 安保条約を再調整して、『不平等との非難を受けないようにすること』であり、安保改定は侵略に対する最良の方策であると日本人に教え込むことです。」(1955.5.25 書簡)

これに対し、ダレス国務長官はアジア歴訪から帰国したばかりのフランク・ナッシュ大統領特別顧問に意見を求めています。

ダレス「日本で岸のリーダーシップのため、『大金を賭ける』のは『大きな賭け』だと思う。君はこの賭けを『よい賭け』だと思うか?」

ナッシュ「マッカーサー大使や大使館スタッフから得た情報では、岸は予見しうる将来、日本で『最良にして唯一の賭け』である、との印象です。ただし、岸首相に対しては、米軍が現時点で総撤退すれば日本は軍事的に真空状態になるとの印象を与える必要があります。」(1955.6.5 会議録)

この会話から、岸信介に対する秘密資金の援助は、すでに1955年に合意されていたと考えられます。岸が首相になる前の、鳩山一郎石橋湛山政権の時代には、日本人の反米感情を背景に在日アメリカ軍の撤退や日中貿易の再開要求が出されていて、アメリカは日本における既得権益を失う危機にありました。石橋湛山が首相就任からわずか二ヶ月で入院・辞任すると、岸信介が首相に就任しました。
アメリカは岸へテコ入れすることで日本におけるアメリカの既得権益を温存するチャンスを得たのです。

佐藤栄作は二度にわたり、マッカーサー駐日大使にカネの無心をしたことがわかっていますが、一回目の時期は明らかになっていません。しかし、二度目が安保改定作業開始時でしたから、一度目もアメリカ政府が岸の協力を必要としていた時期であろうと推定されます。

1957年にはマッカーサー駐日大使が岸首相に事態の収拾を要請した「ジラード事件」が起きています。一回目の無心はこのときではないかと推測されます。

ジラード事件とは、1957年1月、群馬県のアメリカ軍 演習場で ジラード三等兵(当時21歳)が、空の薬きょう拾いをしていた日本人主婦を射殺した事件をいいます。アメリカ軍は公務執行中としてアメリカ側に裁判権があると主張しました。
しかし、社会党の調査団は目撃者の「おびき寄せて撃った」との証言から「事件は公務中に起きたものではなく、故意の射殺」と断定、「公務中なら何をしてもいいのか」「犯人の米兵の身柄引き渡しを要求すべきだ。」と政府を追及しました。事件をきっかけに、それまでアメリカ兵の横暴に泣き寝入りを強いられていた国民感情が爆発し、反基地、反米運動が高まりました。そこで、アメリカ側が反米感情を考慮して裁判権を放棄することで一旦は決着しました。ところが今度はアメリカの世論が反発し、ニューヨークタイムズ紙でさえ、「事件は服務中の過失による事故であり、日本の法廷で裁かれるいわれはない。」と主張したのです。

強硬なアメリカの国内世論に押されてアメリカ政府は一旦決めた裁判権の不行使を撤回しようと試みました。マッカーサー大使が外務省を訪れ、再協議を提案したのです。外務省は「決定を御破算にすれば我が国世論に与える影響計り知れず」と珍しくアメリカの提案を断っています。(1994.11.21朝日新聞)

朝日新聞の追跡記事はここまでで、これでは、外務省の毅然とした態度が印象に残りますが、共同通信社の取材によると続きがあります。マスコミ、議会の批判にさらされたアイゼンハワー大統領は感情を害し、「アジア諸国に米軍が本当に駐留すべきかどうか、見直さないといけないな。彼らが我々のことを嫌うなら、駐留は継続できない。」と、在日アメリカ軍の引き揚げを口にしました。(春名幹男「秘密のファイル・CIAの対日工作」共同通信社 2000)大統領の 発言に驚いた周囲が、岸に事態の収拾を要請したのです。

岸は、マッカーサー大使に「状況はよくわかる。問題を円満に解決するよう努力する。」と回答しています。さっそく密約が取り交わされ、両国の世論に配慮して、裁判は日本に任せるが、量刑は極力軽くするとの合意がはかられたのです。(春名 幹男「秘密のファイル・CIAの対日工作」共同通信社 2000)そして、11月に執行猶予付きの判決(日本人の場合ではありえない)がでて、ジラードは帰国しました。

この年7月に岸は内閣改造を行い、弟・佐藤栄作は総務会長に就任していますので、おそらくこのとき、佐藤栄作が一回目のカネの無心をしたのではないかと思われます。秘密資金が提供されたかどうかは不明ですが、資金提供された事実がなければ、二回目の無心もなかったことでしょう。

この密約は日本に司法の独立がないことを示すものですが、さらに、1959年には最高裁は法の番人であるとの権威を自ら否定する事件が起きています。

岸信介はアメリカから秘密資金までもらって、アメリカに有利な安保改定作業がまとまりかけた矢先、安保そのものが憲法違反であるとの判決が3月に東京地裁で言い渡されました。

岸が内閣改造した1957年7月、アメリカ軍立川基地(東京都立川市)の拡張工事に反対するデモ隊の一部が基地の柵を壊して基地構内に踏み込んだとして逮捕されたのです。(砂川事件

東京地裁(伊達秋雄判事)は、「在日アメリカ軍は指揮権の有無、出動義務の有無に関わらず戦力にあたり、日米安保条約は違憲である。」と認定し、憲法違反の法律で罰せられないとして全員に無罪を言い渡したのです。

安保改定が目前に迫って、違憲判決を突きつけられた岸内閣は直ちに高裁を飛ばして最高裁に跳躍上告しました。跳躍上告とは一審で違憲判決がでたとき、高裁を飛ばして最高裁に上告できるという規定です。最高裁は岸の期待に沿って新条約調印の直前に、「日米安全保障条約のように高度な政治性をもつ条約については、一見してきわめて明白に違憲無効と認められない限り、その内容について違憲かどうかの法的判断を下すことはできない」との判決を言い渡し、最高裁は自ら違憲立法審査権を放棄したのです。こうまでしないと現憲法と日米安保は共存できなかったというわけです。岸が権力の源泉であるCIA秘密資金を確保するには、憲法が大きな障害だったのです。

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■岸・佐藤、そして安倍…。3代にわたる政治家一族がとりくんでいる課題は、アメリカからおしつけられた憲法が禁止した国軍機能の実質復活と東アジアでの覇権=大東亜共栄圏イデオロギーの復活だろう。■しかし、アメリカは、ポチとしての機能をもとめこそすれ、自立した軍事的パートナーとしてなどみていないし、田中宇さんらがいう多極化戦略への変化にしても、東アジアでの軍事的パートナーは中国なのであって、中国さえ実質的資本主義国家へと離陸し名実ともに大国となれば、極東の小国日本など、およびでないのだ。せいぜい、ヨーロッパの北欧・南欧の小国と同列あつかいをうければ御の字のね。
■しかも、「おしつけ憲法による呪縛」から「解放」されるために、アメリカ政府に陰に陽に援助をうけるほかなく、あまっさえ「アメリカ合衆国の国策遂行のために、情報収集・対外工作(敵指導者の暗殺・情報操作・プロパガンダ・民衆扇動を含む)を行う機関である。アメリカ政府の反共政策に基づく日本の自民党へ支援でも知られる」などと悪名たかいCIAの工作に積極的にのるなど、完全に発展途上国型の開発独裁主義路線(形式的に野党がいかされていることで、「民主主義」を演出できる)を自民党は維持してきた。■国家間の正式な借款ならともかく、一政党が「無心」するっていうんだから、腐敗もいいところだろう。
■中南米が「アメリカの裏庭」なら、日韓台3地域は「西太平洋の飛び地」だったわけで、沖縄や横田基地はその「扇のかなめ」だったと。■「特別な関係にある同盟国」といったリップサービスによっぱらっている日本国民は、おおバカだが、「愛人」の顔色をうかがってばかりの政官財のお歴々のみじめさといったらない。■国民むけには、エラそうにふるまっているが、海をわたれば、いや大使館にいったら、牧羊犬のように従順にかしこまってきたのだろう。
■「自主憲法制定」という党是とかが、いかにむなしくひびくことか…。

■それにしても、自民党の有力者だったこととか、その子孫であることが、ほこりになるって感覚はどこからでてくるんだろうかね? 「わたしの家系はさんざん、あこぎなことをくりかえし、てをよごしてきました」といった宣伝をしているようなものだとおもうんだけどね。
■裁判官もそうだけどね。■東大の法学部を優秀な成績で卒業、司法試験も上位で合格だろうエリート中のエリートとかの、なれのはてが、これでは…。■やっぱ、「鈍感力」ってか?


●「トラックバック・ピープル 安倍晋三