■「希少財としてのバス座席」の関連記事。

酒井順子さんが、ハラナとまったく同意見を『週刊現代』の連載エッセイにかいていた〔7.28号=7.16日発売〕ので、一部転載。

 …妊娠中の知人は、
混んでる電車に乗っても、あんまり席は譲ってもらえないわねぇ。たまに、小さな子供がいそうな年代の男性が譲ってくれることはあるけど、若者は全然ダメ
 と、言っていました。彼女は別に妊娠初期というわけではなく、妊娠していることが一目でわかる、臨月も近い大きなお腹をしているので。だというのに、席が譲られないとは! と、私も彼女と一緒に世を嘆いた。
 妊婦さんに限らず、お年寄りなどに対しても、どうして日本人は電車において積極的に席を譲ろうとしないのだろう、と思うのです。本当は、若者達も「席を譲らなくては」ということは知っていても、「声をかけるのが恥ずかしい」とか「断られたらどうしよう」とか「これくらいの歳の人には、譲るべきなの? それとも譲ったら失礼なの?」とか「この人は妊婦さんなの? それともただ太っている人なの?」とか、色々なことを考えているうちにタイミングを逸してしまうことが多いのだと思います。が、十分に健康そうな若者の中には、目の前に明らかなお年寄りが立っていても、寝たフリすらせず、堂々と携帯をいじっている若者もいる
 なぜ日本の若者は席を譲らないのか考えてみると、「恥ずかしくて言い出せない」という理由の他に、育てられかたの問題というものも、あるような気がしてなりません。
 たとえば、電車で一つしか席が空いていない、という時。親子がそこに乗ってくると、ほぼ確実に、親は子供を座らせます。下手をすると、子供が中学生とか高校生くらいでも、親は子供を座らせるのです。
 親は立って自分は座るのが当然と思って育った子供が、長じて後、お年寄りや妊婦さんに席を譲るとは思えません。そして私は、「なんで子供を座らせるのか?」と、かねてより激しく不思議に思っている者。子供を座らせた親に近寄って、
「あのう、あなたのお子さんは、どこか身体の具合が悪くていらっしゃるのですか?」
 と質問したいほどに。

さな子供の場合は、「下手に立たせて子供に騒がれるよりも、自分が立って子供を大人しくさせておく方がナンボかラク」という気持があるのかもしれませんが、しかし小学生以上になった子供を親が座らせるという現象は、理解しがたいのです。子供より親の方が年上で、子供の方が明らかに親よりも元気で、その上子供料金しか払っていないのだから、親が座るのが当たり前だろう、と。
……
 子供を座らせて自らは立っている親御さんの表情はどこかおどおどしている感じがします。対して座席にありついた子供は、すぐさまゲーム機などを取り出して、親のことは全く無視して、自分尾世界に没頭する。
……

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■はげしく同意したい(ニホンゴとして不自然な気がするが。笑)。■なにか身体障碍をかかえているばあい、具合がわるいばあい以外、10代・20代の小僧・若者は、座席にすわらんで、車内トレーニングにはげんでおれ。■ゲーム機に没頭している そこの学習塾にいく少年。クラブ活動がえりらしい中高生の一群。でかいなりして、座席を占拠するんじゃない。坂口安吾がほめそやした少年のような気品なんぞ、関係なく、わかものはたっておれ。
■自分のコドモかわいさというより、よわきになって、溺愛しているそこの保護者たち。育児は自分だけの問題じゃない。あなたたちのくだらん趣味は、日本社会の迷惑だ。

■道徳がおすきな自民党・民主党の議員さまたち。さっそく運動を展開すべきじゃないかね。「優先席に、元気な連中はすわるな」「優先席以外でも、わかものは基本的に席にすわるな」ってね。


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