■「1945年の広島・長崎に対する原爆投下」をふりかえる季節がやってきた。■原爆忌のひとつであるきょう8時からは、広島平和記念公園広島平和記念式典がひらかれる。■まずは、被爆地ヒロシマに本社をもつ『中国新聞』社説から。


「しょうがない」再考 
投下責任問い続けたい
『中国新聞』 '07/8/5 社説
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 久間章生前防衛相の「原爆しょうがない」発言が尾を引いている。「投下是認ではない」と被爆者団体に回答したが反発され、九日の長崎市の平和祈念式典には欠席する。発言で浮き彫りになった「投下責任」「違法性」についてあらためて考えてみたい。

 日本政府は、投下直後こそスイス政府を通じ米国に激しく抗議した。しかし講和条約で連合国への賠償請求権を放棄してからは沈黙する。「大戦後、米政府に直接抗議したことは確認されていない」(政府答弁書)し、違法性についても言及していない。

 当初は敗戦ゆえの遠慮があったろう。一九五二年に独立を回復しても、冷戦下で米国側陣営に組み込まれ、政府はその後も安全保障を「日米同盟」に求めている。こうした事情から、さかのぼって投下責任を問えない雰囲気があり、久間発言もその歴史的な屈折を背景に生まれたと思われる。
 しかし「しょうがない」という過去の追認は、ある種の思考停止につながらないだろうか。私たちは投下責任を問い続けることで、核なき未来を展望したい。

 核兵器については国際司法裁判所が九六年に「使用や威嚇は一般的に国際法違反」との勧告的意見を出している。もうひとつ、市民レベルの「原爆投下を裁く国際民衆法廷・広島」が先月出した「判決」もよりどころになろう。

 国内外の国際法専門家による二年がかりの審理で、米政府とトルーマン元大統領らを有罪とし、謝罪などを求めた。市民を無差別に虐殺し、生き残った人にも放射線後遺症や差別の苦痛を与えたことが「人道に対する罪」や「戦争犯罪」に当たるとしたのである。

 米国で原爆というと「パールハーバー(真珠湾の奇襲)」と返す人がいる。米政府の公式見解は今も「原爆が戦争終結を早めた」である。しかし相手を降伏させるためなら何をしても免責される、というものではなかろう。

 「道義」に敏感な米国の市民にこうした考え方を浸透させたい。無視できない世論にまで成長すれば、政府に「罪」を認めさせ、新たな核使用をためらわせる力になる可能性もあろう。

 ただ米国に責任を一方的に問うだけでは説得力があるまい。日本にも「慰安婦」「南京虐殺」など避けて通れぬ問題がある。それを併せて問うてこそ、米市民の共感が得られるはずだ。私たちの足元も直視しなければならない。

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■「しょうがない」発言については、何度もかいた。■「「投下是認ではない」と被爆者団体に回答したが反発され、九日の長崎市の平和祈念式典には欠席する」という事態については、「自業自得」とか、やりすぎだとか、第三者たちは、それぞれのたちばから、かってな論評をくりかえしているだろう。■だが、「失言」による「自業自得」であるとか、「失言」をつるしあげるのは「やりすぎ」といった反応も、いずれもハズしているとおもわれるし、それについての自覚のなさこそ、久間発言の土壌というか、原爆問題の複雑なところだろう。

■?久間氏や周辺、そしてマスメディアの大半は、「失言」として位置づけているようだが、あれは「失言」ではない。何度かかいたとおり、自民党に象徴される、アメリカ追従路線の保守主義が共有する歴史観の必然的産物である。■かりに「失言」だというなら、それは、久間氏が被爆地ナガサキにほどちかいまちにうまれ、長崎市をふくめた長崎県第2区選出の議員であったという点、安倍政権にはげしい逆風がふきつけるなかでの閣僚でありながら、参議院選の直前の発言だったことなどといった、与党自民党にとって ふつごうな政治的結果をよびこむことが当然想定される「不適切」発言だったという点だけだろう。■ある意味、被爆者・関係者の神経をさかなでするとか、国防担当大臣であるといった点とか、本質的な次元での「不適切さ」は、政治家・業界人にとって、どうでもいいのである。■そこには、「従軍慰安婦」問題についての安倍首相の「不適切」発言だとか、沖縄戦での「集団自決」についての教科書記述問題とかと、通底する感覚マヒがある。かれらにとっては、「放送コード」と同様、「まずい発言」をさけさえすれば問題なしといった、「リスク回避」行動の次元にしか位置づけられていないのだ。■その意味では、こういった当事者のことなんぞ、ほとんど勘案していない「失言」意識の文脈を充分把握しながら、スキャンダルとしてあつかったメディアも、「敵失」として内心よろこんで利用しくつしただろう野党も、「おなじあなのムジナ」にすぎない。

■?何度かかいたとおり、アジア諸地域の一部に「自業自得」論があることも事実だし、反戦・反核運動の中核にいひとびとの一部自体が、帝国日本の植民地争奪のツケとして、「軍都ヒロシマ」への原爆投下がもたらされたといった自己批判的な見解もある。■しかし、これも何度かかいたことだが、強制連行された朝鮮人たちをふくめて、無差別大量殺傷をねらった、しかも人体実験的様相がこい計画の事実など、原爆投下が戦争犯罪であることは、明白だ。■それは、「(おわってしまったことなので=とりかえしがつかないので)しょうがない」と、なっとく=合理化してしまっては、被爆者・関係者はたまらないし、すくなくとも「天皇メッセージ」同様、アメリカによる単独支配によって分割統治や共産党躍進がおさえこまれたという、保守派・王党派の政治利害・イデオロギーを無批判に追認することになる。

■それにしても、アメリカという国は、全然反省ができない連中だ。すくなくとも、主流派はね。■「パールハーバー(真珠湾の奇襲)」でおきた人的・物的損害と、ヒロシマ・ナガサキがつりあうって、勘定が、異様だ。■戦死者ほかの想定もあやしい。だって、日本の御前会議は、ソビエト参戦で、おいこまれたんだからね。原爆なんぞ投下しなくたって、何箇月も終戦がおくれるなんてことはありえなかった。■自分たちのやったことの犯罪性を全然直視できない帝国は、いつまではびこるのか?
■こういった帝国に、ポチをつづける政府は、いつまで支持されつづけるのか?


●「原爆投下、市民殺りくが目的 米学者、極秘文書で確認」(『朝日新聞』1983年8月6日)
「天皇メッセージ」一次資料画像ほか
●「首相一転、被爆者と面会 6年ぶり 5日に広島で(中日)
●「長崎原爆の日 人間は何をしているか(中国新聞)

●「トラックバック・ピープル 安倍晋三