■1年以上まえにかいた「こうの史代『夕凪の街 桜の国』」「こうの史代『夕凪の街 桜の国』2」の続編。

■ようやくみにいった映画版『夕凪の街 桜の国』。ドキュメンタリー映画『蟻の兵隊』をみにいって以来だから、ほぼ1年ぶりだ(笑)。■かなりよかった。マンガよんだひとも、まだのひとも、いくべし!絶対損しないとおもう。

■原作の忠実な再現だと、観客が混乱するということで、意図的に原作にないシーンがはいっていたり、一部重要な論点がカットされているが、原作の本旨は全然こわされていない〔ネタばれになるので、どこかは、かかない。みてから「こうの史代『夕凪の街 桜の国』2」を参考にマンガを熟読してほしい〕。■というか、役者がいい。主役ふたりの石川七波:田中麗奈/平野皆実:麻生久美子が、原作者をおどろかすぐらい、ハマリ役ですばらしいだけでなく、わきをかためる役者もすごい。


■やっぱり、最高の鑑賞法は、マンガ→映画→マンガ→映画と、2セットくりかえすことかな(笑)。
■個人的には、北関東出身のハラナにとっては、少年・青年時代の石川(旧姓 平野)旭を演ずる伊崎充則クン(と、オジサン世代はよびたい)の方言が、ぎこちないけど ほほえましかった。■おじさん夫婦のいえに疎開して被爆をまぬがれ、そのまま養子になってしまうんだけど、平野皆実がなくなる直前に高校三年生の夏休み、最期をみとるシーンから、広島大学らしいところに進学したころまで水戸弁。それが広島の会社につとめつづけることで、東京本社に転勤がきまるころには、広島弁にかわっている(退職者となっている現在の堺正章演ずる石川旭は、出身地域不明に)。

■以前と版がかわったWikipedia「夕凪の街 桜の国」をよみなおして、感じたことを2点。■「こうの史代『夕凪の街 桜の国』2」でもふれた論点。

■?「韓国、フランス、米国で翻訳版が出版され(韓国版のみ、現地の国民感情に配慮し形式的ではあるが「原爆投下は止むを得なかったが?云々」の注意書きが足されている)、ドイツ、台湾でも出版が検討されている」とのことだが、アメリカ人に、これが理解できるのかね? 一部の反省能力のある層を例外として、よむこと自体拒絶するんじゃないか? 「わかっているのは「死ねばいい」と誰かに思われたということ…思われたのに生き延びているということ」という平野皆実のセリフは、原爆を戦略爆撃と人体実験にえらんだ米国への痛烈な皮肉だ。これにたえられるアメリカ人が、それほどおおくいるとはおもえない。

■?第二に、「広島の女性たちも、中国大陸や東南アジアの戦争被害者からすれば「死ねばいい」と、うらまれかねない地政学的位置にくらしていた」とのべはしたが、韓国版の「現地の国民感情に配慮し形式的ではあるが「原爆投下は止むを得なかったが?云々」の注意書き」ってのは、なんなのだろうね? ■いや、植民地支配の被害をかんがえれば、そういった憎悪をいまだにけせない世代がいることはそうだろう。■しかし、60年たっても「ざまあみろ」式の意識に韓国国民がとどまっているなら、かなり問題だ。■それは、ひいては、ヒロシマ・ナガサキで被爆した朝鮮人労働者(というか、準奴隷)の被害に冷淡になるとか、さまざまな問題をかかえる素地になる。
■たとえば、憲法9条にあたるものがなかった韓国は、ベトナム戦争従軍するハメにになったわけだが、ベトナム国民が、たとえば韓国の苦境に際して「自業自得だ」式の意識でかたっても冷静でいられるだろうか? ■もちろん、憲法9条があったがゆえに、米軍の後方支援だけで戦地におもむくことなく、「てをよごさなかった」日本人に、こんな指摘をうけて、おもしろいはずはないが、「止むを得なかった」史観は、早晩卒業すべき大問題であることは事実。■こういった原爆投下の合理化をするかぎり、「国によっては、原爆投下やむなし」論に、すぐにひきずられるからだ。■日本の帝国主義をゆるすのではなく、非戦闘員への攻撃や、戦争犯罪としかいえない核兵器使用については、「国籍がどこであれ、その政体の実態がどうであれ、あってはならない」のだ。■その整理がおわらないうちは、日韓のミゾはうまらないだろう。もちろん、日本がわの歴史認識のあまりの貧困さこそ、さきに解消しなければならないけど、被害者がわの史観が、つねにマシということではない典型例であることも事実。