■『夕凪の街 桜の国』シリーズ前回もとりあげた、公式ブログの「原作はこう読め!」コーナーから一部転載

……
11回目となる今回は、原作の「桜の国」の中でも「桜の国(二)」のP.86にある
石川七波のセリフについて、
投稿いただいたメッセージをご紹介したいと思います。


東子が寝たのを確認してから、七波が一人つぶやくセリフ
『……母さんが38で死んだのが
原爆のせいかどうか、
誰も教えてくれなかったよ

おばあちゃんが80で死んだ時は
原爆のせいなんて言う人はもういなかったよ

なのに凪生もわたしも
いつ原爆のせいで
死んでもおかしくない人間とか
決めつけられたりしてんだろうか』
とても考えさせられました。
被爆者の子供や孫への偏見があるというのを
初めて知ったからです。

そして
偏見はよくないと分かっている一方で
東子の親の立場であれば
同じように考えるのかもしれない
と思ってしまったからです。

自分がすごく嫌になりました。


被爆された方のお子さんやお孫さんたちなど
被爆2世・3世の方々のこうした苦悩を知る機会は
決して多くありません。

この原作を通じて
原爆は、60年以上経った現在の生活にも
影響を残してしまうものなのだ、ということを
初めて知る方も多いのではないのでしょうか。
……

--------------------------------------
■このシーンは、映画にもほぼおなじくもりこまれている。■広島からの夜行バス車内で、父親 旭の「尾行」旅行の「かえり」の便である。
■旭と皆実の母、フジミ自身が、旭と被爆者である京花の結婚に難色をしめすときのセリフは「……あんた被爆者と結婚する気ね?」「何のために疎開さして養子に出したんね? 石川のご両親にどう言うたらえんねん?」「なんでうちは死ねんのかね」「うちはもう知った人が原爆で死ぬんは見とうないよ……」だった。■後半のふたつは、自身が被爆者であるという意味で狭義の当事者としての心情だろうが、前半のふたつは、被爆しなかった層にひろく共有される偏見・差別をひきうけてしまったものだ。■そして、被爆しなかったらしい小学校教員が、学業がふるわない京花をさして、「ピカの毒に当たった」から「足らん」といった差別発言を平気でくりかえし、体罰を正当化していた(もし、被爆によって知的障碍があったのなら、ムリヤリほかの生徒とおなじ計算力などを要求すること自体矛盾しており、論理的に破綻しているのだが、おそらく無能な教員は無自覚)。■そして、そこまで暴力的でなく、むしろ同情的ではあるのだが、フジミも「ちいととろい子」という表現を旭のまえでする。医学的に無知だったろう当時の民衆に、これらの問題に自制をもとめるのは、酷のようにおもえるが、広島大学の学生とおぼしき旭は、全部被爆のせいにしようとする地域の偏見をきっぱりと批判する。■実際、あきらかに聡明とおもわれる皆実は、てさきが不器用でフジミのあとをつぐどころか、全然てつだいもできず、対照的に京花はスジがいいとされているようだから、かのじょが「とろ」かったとはおもえない。貧困ゆえか、せいぜい学習障碍といったところだろう。

■それはともかく、七波の半生をふりかえるつぶやきは、非常に示唆にとむ。■?旭をはじめとして、周囲の人間は、内部被爆などをふくめた原爆症について、ことこまかに七波ら世代にかたっていないこと。■いや、京花のわかい死は、吐血をともなっており、あきらかに内部被爆がうたがわれるのに、死因がふせられていたフシがある。
■?にもかかわらず、東子の両親たちなど、なぜか凪生のゼンソクを被爆二世の遺伝的なもの、ないし内部被爆(たとえば、京花の胎内で)をうたがうなど、異様なほど過敏な反応なこと。■七波・凪生世代が、ほとんど原爆症についてしらされていないとすれば、おなじ団地にすんでいたわけではない住宅地の住人である東子の両親たちが、京花の経歴などをくわしくしるはずがない。■つまりは、「広島出身で、むすこが病弱。しかも本人がなぞの急死をとげた」→「つまり被爆者であり、むすこ世代も被爆の悪影響をうけているはず」→「結婚はゆるさない(自分たちの孫になにかあったら、どうするつもりだ…)」といった連想が、あきらかにみてとれること。■ゼンソクがなおって、成人し、しかも研修医として激務にたえている凪生の現在をしりながら、先入観は全然修正されず、ただ不安と拒否感だけがねづよいこと。

■以上かんがえただけでも、この作品は前編・後編セットでないと、「完結」しない。「映画版『夕凪の街 桜の国』 2」で強調し、コメント欄でも、蛇足よばわりする論評に疑問を呈しておいたが。


●「こうの史代『夕凪の街 桜の国』」「
●「映画版『夕凪の街 桜の国』」「」「