■『夕凪の街 桜の国』についての前便つづき。■さて、この研究員のかた、もうひとつ大事な指摘をしている。パンフレットの文章の最後の部分を5段落ほど転載。

 先日、米国のドキュメンタリー映画『ヒロシマナガサキ』(スティーヴン・オカザキ監督)を見る機会があった。そこには、広島と長崎の被爆者はもちろん、広島原爆を投下したB29爆撃機「エノラ・ゲイ」の搭乗員や原爆製造に加担した科学者らの証言も出てくる。
 その中で彼らはこういう。「原爆投下は戦争を終わらせるための使命だと思っていた」とか、「原爆を投下したあと、悪夢なんてみたこともない」とか、「われわれはパンドラの箱を開けた(……)世界はこれから核戦争の可能性とともに生きていくしかない」とか。被爆者への想像力が欠如した彼らの強気の発言に衝撃を受け、同時に憤りを覚えたのは私だけはあるまい。
 原爆の製造と投下に関係したすべてのアメリカ軍関係者、そしてすべてのアメリカ市民がこの映画を見て、死ぬ間際に皆実が原爆を投下した人に皮肉を込めて必死に訴えた言葉をかみしめてもらいたい。
 「ああ、うれしい? 十三年も経ったけど、原爆を落とした人は私を見て、『やったぁ、また一人殺せた!』って、ちゃんと思うてくれとる?」という臨終の言葉を。
 そして「一九四五年八月六日」が何の日か知らない若い諸君にいいたい。機会があったらぜひ広島の平和記念資料館を訪ねてほしいと。皆実やフジミ、京花ら多くの「ものいえぬ人々」が今もそこに眠っているはずだから。
■実はこの映画、パンフレットの最後のみひらきの最終部分には「「夕凪の街 桜の国」製作委員会」には、「読売テレビ」や「読売新聞大阪本社」所属の人物が、個人名で数人ずつ記載されている。■しかも協賛団体となると、読売新聞大阪発刊55周年記念事業・読売テレビ開局50年記念企画映画といった記述でわかるとおり、両者は全面的協賛団体の主軸である。なにしろ双葉社(原作の出版元)創立60周年記念事業と広島テレビ開局45周年記念映画のあいだにはさまれた第2位・3位に位置しているのだから。■そして、そういった記念事業だからこそ、「調査研究本部主任研究員」といった、エラいさんが、パンフレットにご寄稿なさっているのだろうし。

■その『読売新聞』が、つぎのように社説でかいたことは、「おやおや これほど読売が帝国日本を毛嫌いしていたとはしらなかった」で引用した。


 同時に、久間氏は、「勝ちいくさとわかっている時に、原爆まで使う必要があったのかという思いが今でもしている」と付言していた。

 米政権内部でも、敗色濃い日本への原爆投下については、アイゼンハワー元帥(のちの米大統領)が反対するなど慎重論は強かった。久間氏は、米国が非人道的兵器の原爆を使用したことに疑義も呈していたのである。

 そもそも、原爆投下という悲劇を招いた大きな要因は、日本の政治指導者らの終戦工作の失敗にある。仮想敵ソ連に和平仲介を頼む愚策をとって、対ソ交渉に時間を空費し、原爆投下とソ連参戦を招いてしまったのである。
 しかし、野党側は、「米国の主張を代弁するものだ」「『しょうがない』ではすまない」などと感情的な言葉で久間氏の発言を非難するばかりで、冷静に事実に即した議論をしようとしなかった。

 疑問なのは、民主党の小沢代表が、安倍首相との先の党首討論で、原爆を投下したことについて、米国に謝罪を要求するよう迫ったことだ。

 首相は、核武装化を進め、日本の安全を脅かす北朝鮮に「核兵器を使わせないために、米国の核抑止力を必要としている現実もある」として反論した。

 当然のことだ。日本の厳しい安全保障環境を無視した小沢代表の不見識な主張は、政権担当能力を疑わせるだけだ。

 久間氏の後任には、首相補佐官の小池百合子氏が就任する。国防をはじめ、国の責任を全うするためにも、安倍政権はタガを締め直さねばならない。

(2007年7月4日1時51分 読売新聞)

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■要は、?久間氏は、原爆投下が日本の早期降伏という戦略上無意味で非人道的な戦争犯罪だとの認識をしめしていた、という擁護論であり、■?米国に謝罪をもとめるよううながした小沢氏に反論した安倍首相らを全面的に擁護するという、いまどき「勇気」ある主張だ(笑)。■さぞや、読売関係者や愛読者の投票は死票化したことだろう。
■それはともかく、安倍首相らの《核戦略=必要悪》論にたって、久間氏らの「しょうがない」史観を正当化することが、どういった背理をもたらすか論証してみよう。

■「共産化阻止のためには国民犠牲も当然ってか?(久間防衛相)」をはじめとして「しょうがない」発言については、何度もかいてきたが、「(いまさら、過去の罪業をせめたところで、おそいのであり=こちらのスキもあったし)しょうがない」という発言は、原爆投下が非人道的な戦争犯罪だということを、結局のところ免罪する論理である。■そして、それは、(1)「連合国による分割統治とか社会主義体制の成立など、国体変革をまぬがれた」という保守派のナショナリズムにそった「不幸中の幸い」論である。■しかもそれは、(2)「本土決戦に突入してしまったばあいに想定される戦死者数とくらべれば、数十万人の犠牲者はいたしかたない」という、根拠のあやしい算術である。■さらにいえば、(3)「北朝鮮や中国という信用ならない隣国が核保有国である以上、毒をもって毒を制すの必要悪として、米国の核の傘やむなし」という論理で、事実上核兵器の非人道性を合理化して、通常兵器による安全保障論と同列の論理にまでひきさげてしまっている。
■いってみれば、安倍首相らが、被爆国として核廃絶にむけて努力していくウンヌンと、再三「原爆の日」に「約束」してきたモンクが、おそらくなんの実質的努力もおこなう意思がないことを、露呈させたのが、今回の一連の経緯なのだが、読売新聞社の論説委員の先生方は、理解していないらしい。■再三確認されてきたとおり、「米国の核の傘のもとにある、反核運動」が説得力をもたないのと同様、「米国の核の傘のもとにある、核拡散防止運動」など説得力0である。■前者は、運動する市民が「核の傘」をいさぎよしとないことがおおいので、おくとしても、後者は特に、「米国の核戦略は事実上追認しながら、後進の反米的核開発途上国にだけきつくあたる」という、いわばロコツな追従外交におちいる。■実際、日本の外務省あたりが国連ほかでくりかえしたきた核拡散防止のとりくみが、米国の世界戦略から自由な領域がひとつでもあったのか、ききたいものだ。■そうである以上、安倍首相にかぎらず、日本政府の「核兵器廃絶にとりくむ」といった「約束」は、かぎりなく無意味なモンクであり、むしろ、偽善的でアリバイ的な官僚コピーというほかあるまい。
■その意味では、いまだに原爆投下に対する謝罪をタブー視する「読売」の姿勢は、みじめな親米保守(改憲とかだけ、いさましいくせに)の反国民的な体質(=米国追従による政治的経済的利害を維持したいとする、利己的な意識)が、あからさまに表出したというべきだろう。

■このように、先日の社説にあらわれた屈折した核兵器観と、この映画を全面的にバックアップすることの矛盾はあきらかだよね。■この主任研究員さん、まずはアメリカ人より、屈折した社内の論説委員の先生方に、この映画の鑑賞と原作の味読をすすめるべきではないか?


■蛇足?:冒頭部分で引用した研究員のかたの文章の最後の部分は、ほとんど無意味な表現だ。■現代日本において1945/08/06という年月日の意味を教科書的にさえしらない層が、戦争のことをかんがえる可能性は0にちかい。そして、そういった層が『夕凪の街 桜の国』を劇場にみにいって、意識的にパンフレットを購入し、こういった文章全体にめをとおすことは、ほぼ0だろう。その ほぼ確率0をのりこえれば、たしかに平和記念資料館にあしをはこぶ可能性はたかい。■しかし、こんなすすめを、パンフレットの最後にかいてその勝算は、いかばかりか?
読売新聞社は、そのホームページで「夕凪の街」を検索するとたった16件(笑)。トップページには、みだしさえみあたらない。これが記念事業の広報ですか?

■蛇足?:協賛団体に、「広島県知事 推奨」「東京都知事 推奨」というものがみうけられる。「広島市・広島市教育委員会 後援」とは、エラく温度差がある。■後者はともかく(笑)、前者との対比は、ちょっと不自然。■ハラナがおもうに、「原爆スラム」のことを、やんわり批判されていることが、ひっかかって、「後援」「特薦」などができなんじゃないかと…。■ここは、国有地で、法的には違法占拠。だから、映画のなかにも「不法占拠禁止 この区域に家屋等を建築するのは違法です。 広島県広島土木事務所」などいったカンバンが、うつっている。■政府の末端機関でしかない県のたちばとはいえ、スラムを退去させた広島県としては、その経緯をさぐられたくないだろう。だから、しぶしぶ、アリバイ的に「推奨」と(笑)。■一方、東京都知事は、「しょうがない」論のおかたでしょうから、東京が舞台なので、こちらもしぶしぶと(笑)。■特攻隊の賛美をするようなおかたが、「生きとってくれて、ありがとうな」といった生命観に同意されるとは、おもえないし。■「オトコはリッパにしんでこい(オンナ/コドモと、おれたち老人は当然いかない)」ですもんね(笑)。
■ついで、安倍首相も、謝罪を要求する意味をみいださないなら、文部科学省が特選にするようなことでは、首尾一貫しませんから、圧力をかけないと(笑)。


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