映画版夕凪の街 桜の国』の批評シリーズが、ここまでつづくとは、自分でもびっくり(笑)。しかし、さすがにもう、個人的なこまごましたチェック以外にはネタぎれになってきた。
■今回「おちぼひろい」的に数点きづいたことをかいて、一応シメにしよう。■今回も、前回同様、原作と映画版の差異をとりあげる。

■広島からの夜行バスで東京についた早朝。凪生と東子をひきあわせるたあと、たちさろうとした七波が、凪生の鈍感さにキレたシーン。■映画では公園内に放置されていたサッカーボールを七波がけって凪生の後頭部を直撃となるが、原作では、たまたま松ぼっくり(松かさ)をみつけた七波が後頭部めがけてストライクをなげることになっていた。■ハラナは、この改編の意図が全然わからない。
■公園は、七波たちが以前くらしていた西武鉄道新宿線 新井薬師前駅ちかくの「水の塔公園」(新青梅街道をはさんで哲学堂公園とむかいの野方配水塔内)。■園内の松の木からおちただろう松かさを、野球少女だった七波がたまたまてにとった。さろうとした直後、数メートル先にいる、気のきかない凪生に、いかりをぶつけるために、「このばか」と、おもわずなげつけたわけだが、これは原作の「桜の国」(一)(二)双方が、「夕凪の街」と一転してコメディに転換しているからこそ、うまれたシーンだ。■しかし、この「オトコまさり」ともいうべき七波の行動は、まさに、少年野球にまじってあせにまみれた野球少女時代のなごりとして、実に自然なのだ。
■映画のなかでも、七波は野球少女としてえがかれており、母親にならってピアニスト志望の 「おじょうさま」である東子と対照的にえがかれている。石川という苗字から「ゴエモン(石川五右衛門由来)」とよばれていたのも、同級生の悪童たちからオンナあつかいされていない活発な性格をあらわしている(最初おもいつきでなづけたのが、同級生の女の子であるにせよね)。■だから、女性性が前面にでない、田中麗奈という配役は絶妙なのだが、サッカーボールをけるという改編の必然性はない。


シリーズ第5回でもふれたとおり、疎開先であった水戸ぐらしのオジ夫婦の養子となった、旭(七波のちち)は、広島大らしい大学に進学したあと、生みの親であるフジミと同居し、広島で就職し、東京への転勤を機に後半生をおくることになるが、広島への進学後、水戸の話題はかきけされる。■そして、象徴的なのは、旭の野球ずきの影響で七波も野球に熱中したということだけでなく、七波も広島カープの熱烈なファンだという点。北関東にそだったハラナは、ちかっていいが、北関東出身者で広島カープファンというのは、かなり変人である(笑)。阪神ファンや中日ファンは いてもね(笑)。■ましてや、西武線沿線にそだって、西武ライオンズファンでも巨人ファンでもないというのは、かなりの かわりもの。
■これは、ひきとりにきたフジミ・皆実らにしたがわず、養子となることをえらんだ(広島は、壊滅的に破壊された恐怖の地点であり、幼少期の友人のほとんどがしんだ トラウマの地でもあったから)旭だが、皆実の死去と広島への進学を機に、かれは「広島の人」になりきっていく。水戸弁がぬけていくことに象徴的にあらわれているように。■だから、西武線沿線にくらしながら、西武ライオンズでも、読売ジャイアンツでもなく、カープファンである七波とは、二代つづいた、すじがねいりのものなのだ。■少年野球チームの悪童たちのほとんどが、ライオンズファンかジャイアンツファンだったろうなかで、実に特異な存在としてね。
■映画は、その特異性をさりげなく原作からひきつぎながら、松かさをなげつける七波という、もと野球少女というキャラを否定してしまう。なんの必然性もなくね。■いかりのスピードボールをなげつけたあと、ためいきをつきながら「まったく…」と、くちばしる七波が、みぎかたをおさえるのは、「もと少女」として、コントロールはさすがでも、たぶん中学進学後10年はキャッチボールもしていなかっただろう七波の かたの現状を象徴していたのだ。ウォーミングアップなしに全力投球してしまって、少々いためた感じだね。■これら、原作者のこまかな描写を、「メンドくさいから、サッカーボールで代理」ってのは、かなりタイマンではないか? 監督さん。


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