■差別意識・劣等感を、マゾヒズムという形式におとしこむことで作品化したSF「家畜人ヤプー」は、「白人」女性を頂点に、奴隷身分の「黒人」女性>「黒人」男性、……、「品種改良」された家畜である メスの「ヤプー」>オスの「ヤプー」という、生命存在の序列を維持した時空が舞台となっている。■このグロテスクなばかりの、サディスティックかつマゾヒスティックな舞台装置は、もちろん遠藤周作の第一作「アデンまで」にみられるような「白人」女性への劣等感や、谷崎潤一郎の「春琴抄」「痴人の愛」にみられるようなマゾヒズムと、通底するものといえるだろう*。

* これをムリに「卒業」しようとすると、「ゴルゴ13」の主人公「デューク東郷」のように、異様な異性愛者というキャラクターになってしまう(笑)。

■そういった、「白人」コンプレクスはともかくとして、「家畜人ヤプー」が差別意識をあつかいながら、いわゆる「差別文書」という単純な糾弾をうけることなく、「戦後最大の奇書」といった評価をうけたのは、「女性崇拝」という美意識をマゾヒズムとして作品化したからのほかならない。■そして、それは谷崎の「春琴抄」「痴人の愛」などと同様、卑屈としかいいようのない献身ぶりの象徴として、女主人専用の家畜という極限形となったわけだ。* 

* 谷崎自身は、実生活上でマゾヒズム的な献身をまっとうしたようだが。

■しかし、こういった「ちやほや」ぶりは、上野千鶴子氏ほかフェミニストが指摘するとおり、「崇拝」という形式をとった、無自覚な「女性嫌悪」とみた方が妥当だろう。対等な友愛関係であるなら、マゾヒスティックな献身は、ありえないからだ。■「女性崇拝」という美意識は、ネジれた「女性嫌悪」「女性差別」であり、本人がその自覚をもてない水準にまで、差別・嫌悪が抑圧されているとみるべきだと。
■その意味では、職場やサークルなどで、「かわいい子」を「ちやほや」するオトコどもは、無自覚な女性差別をくりかえしてきたというべきだ。特定の女性だけを「ちやほや」することが、「セクハラ」と認識されようとされまいと。■「お局様」といった表現がロコツにしめしているとおり、「ちやほや」の対象は 年次ごとにドンドンきりかわっていき、「ちやほや」されなくなる「まがりかど」が いずれやってくるという構造自体が、差別なのである。■男性社員・部員が、こういった目にあうというのを、きいたことがないことをみて、その非対称性はあきらかだろう。

■こういった非対称性は、つぎのような傑作な空間と比較すると、ますますコメディのたぐいのネタにしていいか、あやしくなってくるだろう。■つまり「加齢=経年劣化」という、女性が性的対象として「モノ化」されてきた文化の異様なさまである。
■社会学者、「きし」氏の日記から〔強調部分は、ハラナ〕。

…ある筋から聞いた話ですが、いま社交ダンス教室で不倫する団塊カップルがめちゃめちゃ多いとのことで。いやもう50歳とか60歳とかでも平気で不倫しまくってるらしい。会社勤めも子育ても終わってあとは死ぬだけ、となれば、意地でも最後にもう一花咲かせたくなるのが人ってものみたいですな。いろいろディテール聞いたけど書けないけど。なんか奥さんが社交ダンスに通う旦那さんのタンス開けたらバイアグラが隠してあったとか(笑)。社交ダンスって男が少ないからおっさんでもモテるみたいですよ。で、たまに若いオトコが入ってきたりすると、いっせいに古くからいるおっさんがいじめにかかるとか。新人OLとお局様とまったく同じ
……



■「若いオトコ」というのが何歳ぐらいで、「古くからいるおっさん」というのが何歳ぐらいなのか、わからない。■まあ、常識的に20代後半と50?60代だとしよう。こりゃぁ、かなりグロテスクでないかい? 20代の前半と後半の「せめぎあい」とか、30代のあせり・やっかみとかは、かなり「かわいい」ものだとおもうぞ。

■もちろん、自分のむすめ・めい にあたるような わかい女性に ちょっかいをだそうともくろんだりする「おっさん」たちとはちがって、基本的に同世代の異性と ちょっとだけドキドキするという非日常をたのしむ おじさまがたは、かなり健全だとはおもう〔「不倫」ウンヌンは「自己責任」の領域だ〕。
■だが、それこそ自分のむすこ・おい にあたるような わかい男性に やきもちをやくってのは、グロテスクすぎる(笑)。■だって、50?60代の女性たちが、そういった行動をとるか、かんがえてみればいい。いくら「ちやほやされなくなって何十年…」という、あきらめ感が、中高年女性たちには定着しているって、いってもだよ。
■もちろん、50?60代の女性たちが 自分のむすこ・おい にあたるような わかい男性を「ちやほや」するのは、うつくしくない、って批評もありえるだろう。しかし、氷川きよしブームをはじめとして、おばさまがたの「王子愛護運動」は、それこそ、かわいいもんじゃないか(笑)。■すくなくとも、自分のむすめ・めい にあたるような わかい女性に ちょっかいをだそうともくろんだりする「おっさん」たちがウンヌンできるようなスジあいではない。「おっさん」たちの スケベな動機は、単純な「王女愛護運動」ではなくて、不純な動機がしばしば介在し、しかもそれは、うえでのべたような無自覚な「女性嫌悪」にねざした「女性差別」の一貫としての「ちやほや」でしかないことがおおいからね。

■いずれにせよ、ある空間で、男女比が極端にかたよっているというのは、異性愛が自明視されている文脈が支配的である以上、よろしくないようだ。要は「市場原理」がきかなくなるということだね。■「男女比が極端にかたよっている空間にいきたがる」。「年齢分布が極端にかたよっている空間にいきたがる」。「自分のことをしらない人物ばかりの空間にいきたがる」。……こういった人種も、そのかくされた動機、無自覚な動機に、要注意かも(笑)。