■別処珠樹さんの『世界の環境ホット!ニュース』の、2か月もまえの記事。■シリーズ第54回【リンクはハラナ】。

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世界の環境ホットニュース[GEN]641号 07年07月03日
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枯葉剤機密カルテル(第54回)         
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枯葉剤機密カルテル         原田 和明

第54回 第三水俣病(1)

話を三井化学に戻しましょう。今回は三井化学が枯葉剤をつくる過程で、水俣病を発生させていたという疑惑です。1973年6月8日付朝日新聞は「ついに福岡県にも水俣病の疑惑」と題する記事を掲載しています。三井東圧化学(現・三井化学)が枯葉剤関連物質で人体実験をしていたとスクープ(1973.3.27 朝日新聞、第21回で既報)されてわずか二か月あまりのことです。長くなりますが、全文を引用します。


心配されていたことが現実となった。福岡県大牟田市で水俣病と同じ症状の患者がいたという熊本大学医学部の診断。有明海水銀などの重金属汚染による沿岸の健康被害地は熊本県だけではなかった。大牟田での患者発見は1700平方キロに及ぶ有明海全域への汚染の底知れぬ深さと広さを物語っている。死の川と呼ばれて久しい大牟田川とその河口の汚れやネコの狂い死など「ミナマタ」そっくりの環境変化の警鐘に手をこまねいていた公害行政や汚染企業の責任がまたしても健康被害の「人体実験」の犠牲を経て告発された。
工場が吐き出す水と煙で汚れきった大牟田では以前から「原因がわからぬ奇病がある。」という噂があった。が、いつも「事実」が確かめられることなく、いつとはなく忘れられ、消えていった。大牟田川の汚染の歴史は古く、大正年間にさかのぼる。石炭化学工業の発展につれ、付近の地下水から多量のアンモニア亜硫酸が検出され、大正7年には「飲料水不適」の記録がある。

汚染は年を追って深まり、住民が刺激臭ガスに襲われたり、川辺の木の葉が落ちたり、工場が垂れ流したベンゼンに焚き火の火が移って川が燃える事件もあった。これがきっかけで経企庁、久留米大が水質調査をし、亜鉛シアンフェノール芳香族アミンなどのほか、メチル水銀も検出された。

大牟田川は自然流入量が一日2?3千トンなのに対し、工場排水量は20倍以上の6?8万トン。汚染度の目安となるCOD(化学的酸素要求量)は1967年調査で最高 1213ppm 平均 250ppm と 普通の河川の30倍。1972年10月に環境庁が発表した水質汚濁の全国総点検で 大牟田川は 水銀0.57ppm(全国一位)、ヒ素0.174ppm(同2位)、鉛1.37ppm(同3位)。

汚染源について、地元の大学などは三井東圧化学に疑いをかけている。久留米大医学部公衆衛生学教室(山口誠哉主任教授)は1967年4?7月の間、三井東圧化学大牟田工業所の染料工程の無機水銀が排水中和に使ったカーバイト残渣の残留アセチレンガスと反応してメチル水銀となり、派生的に垂れ流されたことをつきとめている。しかし、中毒患者の中川さんは1963年まで大牟田河口産の魚介類を食べ1965年頃発症した、と診断された。つまり、この「有機水銀垂れ流し事件」の前に発症しているわけだ。

この時間差を埋めるものとして (1)工場側は否定しているが1963年以前からメチル水銀を副生する工程があり、排水とともに 工場外に流れ出た。(2)工場外に排出された無機水銀が何らかの反応でメチル化した、などが考えられる。

同社大牟田工業所には 1960年4月から操業を始め、現在も生産を続けている水銀電極を使った電解ソーダ工場がある。カーボン電極(陽極)を使って食塩からナトリウムを分離、ナトリウムを水銀電極(陰極)で合金の形で取り出し、苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)の原料に使っている。この工程でカーボン電極が磨耗、水銀と結合するなどしてメチル水銀になることが原理的に確認されている。

また、垂れ流された無機水銀がメチル化することも各地で確認されている。東大工学部の宇井純氏は大牟田川河口でバクテリアが無機水銀をメチル化する条件がそろっている、と指摘している。そうならば同じ水銀電極法を取り入れている全国の電解ソーダ工場周辺でも同様の潜在患者がいることが予想される。
(引用終わり)


この疑惑は「第三水俣病」と呼ばれました。そして、同日の紙面に山口県徳山湾にも水俣湾を上回る大量の水銀が流入していることが報じられ、記事の最後にあるように「全国の電解ソーダ工場周辺でも同様の潜在患者がいる」可能性が示唆されたのです。(1973.6.8朝日新聞)水銀汚染工場の未回収水銀量は、東洋曹達工業(現・東ソー)南陽 工場(新 南陽市=現・周南市)で 201トン、徳山曹達(現・トクヤマ)徳山工場(徳山市=現・周南市)で 307トンにのぼり、徳山湾沿いの両工場での 未回収量合計は508トンにもなります。海への流出量については、東洋曹達工業が「未回収分の1%」、徳山曹達は「約4トン」と弁明していますが、残りはどこへいったのか行方不明のままです。有機水銀と無機水銀の違いはあるものの、宇井純が指摘しているようにバクテリアの作用で有機水銀が生成されるとなると、悲惨な 水俣病を 発生させたチッソ水俣工場の水銀未回収量が430トンと推定されていますので、それを上回る徳山湾で「第四水俣病」の発生が懸念されたのは当然のことでしょう。

三井東圧化学大牟田工業所からの水銀排出量は同社の推定では 4トンと主張していますが、過去の記録に不備があり、わかっていません。(1973.11.9 参院公害対策 及び 環境保全特別委員会)中曽根康弘通産相は「至急、実態調査をしたい。」(1973.6.8朝日新聞)と初めて聞いたかのように語っていますが、少なくとも5年前には知っていて放置していたのですから 今回も時間稼ぎの調査かと思われました。当の三井東圧化学も緊急対策会議を開いて、「国や県の調査結果を待って、その指導に従っていく。」(田代総務部長)との態度を表明するに留まっています(1973.6.8朝日新聞夕刊)注目すべきは亀井光福岡県知事の発言です。「大変なショックだ。実情を調べるとともに、原因と見られる三井東圧化学大牟田工業所には水銀使用をやめさせるよう強力に指導する。」と初めて水銀の使用禁止に言及しています。この発言はやがてすべての電解ソーダ工場に適用されたのです

汚染は当然ながら、もっとも近くで水銀に曝露されている工員にも広がっています。呉羽化学錦工場(福島県いわき市)では、水銀法電解工場で働く系列会社の社員の毛髪から913ppm(一般人は5ppm前後、新潟水俣病患者でも50ppm前後)、尿中からは1リットルあたり 224μg(一般人は20μg 以下)が検出されています。(1973.6.27朝日新聞)当人は「体のふしぶしが痛み、仕事がつらく、憂鬱な毎日だ。私の仕事は電解槽の掃除ひとつをとっても、水銀が露出している中を、ジャポジャポ歩いている状態で、毎日水銀の中で暮らしているといってよい。」と語っており、このような労働環境の工場は全国にかなりあると紹介されています。

ところで、海の汚染はこれらの工場だけにとどまりません。海を汚され、生活権を脅かされた全国各地の漁民は怒りを爆発させ、汚染工場の正門に漁民が背骨の曲がった魚を吊るして座り込むといった抗議行動が全国で繰り広がられました。(1973.6.19朝日新聞)

しかし、この騒動もやがて鎮静化していきます。熊本大学医学部・原田正純助教授から「水俣病と同一症状の疑いがある」と診断された大牟田市在住の男性(58歳=上の記事の「中川さん」)は、九州大学医学部・黒岩義五郎教授らの精密検査を受けた結果、「水俣病によるものであるといえないとの結論に達した」と診断されたのです。(1973.7.2 朝日新聞)その理由として、(1)毛髪水銀量が一般国民と変わらない、(2)視野狭窄は別の原因、(3)運動失調もない、ことを挙げています。

これに対し、原田は「私としては、もっと時間をかけて患者を診たかった。水俣病の重症患者でも十年たつと毛髪水銀量は普通の人と同じになる。だから(現在の)毛髪水銀量が少なかったのは、諸症状が過去の発症なので別の話だ。しかし、今の段階では大牟田の患者は水銀中毒ではないと認めざるをえない。」と語っています。原田はこの判定会議に呼ばれ、「水俣病とは無関係」とする声明にサインしていますが、そのコメントには、政治に押し切られる科学の限界に対する無念さが滲んでいるように感じられます。実は、精密検査を担当した黒岩も、一月前に中川さんを既に診察していて、そのときは「水俣病患者の可能性が高い」と診断していました。(1973.6.9朝日新聞)


さて、福岡県大牟田市の第三水俣病と「枯葉剤国産化」という国策の関係を明らかにする前に、「有機塩素化合物」である枯葉剤と、「有機水銀」中毒である水俣病がなぜ関係あるのかから話を始めます。

枯葉剤は、有機塩素化合物ですから、その生産には塩素が必要です。塩素は食塩の電気分解で作られる苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)の副産物なのです。三井化学はもともと、電気分解法苛性ソーダ工場を稼動させていました。そして、苛性ソーダを爆薬の原料に、塩素をくしゃみ性毒ガス赤弾)の原料に利用していました。塩素は戦後こそ塩化ビニル樹脂(塩ビ)の普及や水道水殺菌で大量に消費されていますが、それまでは、毒ガス以外に需要がほとんどありませんでした。そのため、国内の苛性ソーダ工場では塩素が副生しないアンモニア法を採用していたのです。

三井化学は戦前から塩素を生産していたからこそ、毒ガス「赤弾」の生産が可能で、毒ガス工場の事故を隠蔽するために起きたのが大牟田爆発赤痢事件(43?45回で既報)だったというわけです。そして、戦後も三井化学は毒ガス製造の経験をいかして、朝鮮戦争勃発以降、枯葉剤の生産を請け負ったとみられます。苛性ソーダを利用した爆薬製造は朝鮮戦争の停戦で頓挫していますが(三井東圧化学社史)、苛性ソーダや塩素の用途はたくさんあるので、その後も水銀法での苛性ソーダ、塩素の生産は続けています。この間、水俣病の悲惨さは全国に知れ渡り、新潟でも第二の水俣病が発生しました。その陰で電解ソーダ工場による水銀汚染が広がっていたのです。それでも、日本政府にも三井東圧化学にも水銀の流出を抑制しようとした形跡はみられません。それどころか、水銀汚染が発覚しないようにするためか、調査を先送りした挙句、問題が発覚して国会で与野党議員から追求されても、厚生省は法律を盾に裁量権を最大限に活用して工場廃水の規制強化を拒否しています。三井東圧化学と水銀、あるいは水俣病類似患者の発生の歴史を遡ってみましょう。

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■?第51回でも紹介したとおり、軍事オタクの評論家は、「「金持ち喧嘩せず」が真実です」などと、「アメリカの軍需経済と軍事政策」までも全否定する暴論を展開しているが、日本軍ぐらいショボくたって、ちゃんと軍需産業は 国策にへばりついてきた。■連中は土建業と同様、これら軍需が公共事業の一種だって、ちゃんとかぎわけてくらいついている。もちろん平時は、軍需生産の民生化によって売り上げを確保するって、基本構造ね。

■?ふたつの水俣病は有名になり、認定基準って決定的な問題はかかえているが、それなりの補償はなされてきた。■しかし、大牟田・徳山・いわきは、企業城下町ってこともあって、なにごともなかったかのように、水銀中毒の患者が放置されてきたということだろう。■「水俣病発生地域」という記述にも外国の例はあがっても、大牟田・徳山・いわきは、ウィキペディアの項目執筆者たちの関心から、はずれてしまっている。
■いずれにせよ、このての公害に共通しているのは、厚顔無恥な企業、無責任な政府と自治体、そして御用学者と沈黙させられる良心派という基本構造。■このての企業・行政組織・大学に所属しているひとびとは、はずかしくないのかね?

■?中曽根というオッサンは、この日記でも再三ご登場だが、防衛庁長官当時は、きびしい質問をうけて、ひっくりかえっているぐらいだし、ロクでもない策動に再三かかわっている人物だ。■いまや引退した重鎮といった位置だが、これこそ自民党的体質を典型的に象徴しているよね。アメリカにとって微調整しかみとめないサンフランシスコ体制に異をとなえて右派に人気とりするくせに、すぐこしくだけで、アメリカに追従しそこから利益をひきだすことを現実路線として、変節をなんともおもわない層といった意味でもね。