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世界の環境ホットニュース[GEN] 642号 07年07月05日
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枯葉剤機密カルテル(第55回)         
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枯葉剤機密カルテル       原田 和明

第55回 第三水俣病(2)

苛性ソーダ塩素を製造する電気分解法にもいくつか種類があり、1915(大正4)年、程谷曹達工場(現・保土谷化学=横浜市、のちに245Tを生産)が隔膜法を、翌年には大阪曹達(現・ダイソー=福岡県北九州市)が水銀法を工業化しています。のちにPCBを工業化した鐘淵化学工業(三井系列)は1938(昭和13)年に両方を併置(鐘淵化学工業社史)、三井化学も恐らく同様に両方を併置していたのではないかと思われます。

その三井化学は戦後、触媒に水銀を使う水銀法に全面的に転換しました。東洋曹達工業(三井化学が株式の51%を保有)も水銀法に転換したのは、戦後まもない1946(昭和21)年でした。(1973.6.8朝日新聞)その水銀が長い間に継続的にかつ大量に排水とともに流出していて、工場周辺住民に水俣病に似た患者がでていたのです。第三水俣病は1973年に初めて「発見」されたわけではありません

1967年3月26日の朝日新聞には「心配な第三の水俣病、大牟田川で水銀を検出」との記事が掲載されています。(以下引用)
産業排水で問題の多い大牟田川の水にかなりの水銀が含まれていることが久留米大医学部公衆衛生学教室の調査でわかった。見つかった水銀のほとんどは無機水銀で、1955年頃から熊本県で集団発生した「水俣病」の原因とみられるメチル水銀とは異質。しかし、水俣病発生当時、東京工業大の清浦雷作教授が発表した水銀含有量を 大牟田川は 10?20倍も上回り、同教室の山口誠哉教授は「化学変化して 有害なものにならない とはいえず、第三の水俣病の懸念もある。」と言っている。同教室では 1966年5月から定期的に大牟田川の水や泥を採取して調べた。水銀のほか、青酸カリ、青化カリ、フェノールなどかなりの量の毒物が見つかった。海苔など有明海の水産物に対する影響も心配される。
(引用終わり)

尋常ではなかった「ミナマタ」の10?20倍もの水銀濃度とは 空恐ろしい話です。67年に第三水俣病の発生が懸念されていたにも関わらず、政府は放置したままでした。大牟田川の水銀調査は1964年の新潟水俣病の発生により、しぶしぶながら着手せざるをえなかったのです。1966年に始まり、さっそく「第三水俣病の懸念もある」というひどい状況にあることが改めて実証されたのでした。三井東圧化学が枯葉剤245Tの原料を製造し始めたのが1967年10月から(1969.7.24 朝日新聞ほか、第2回既報)ですから、予備検討の期間を考慮すると、この時期、1967年の春には「外国から」枯葉剤の原料供給要請がきていたはずです。そのタイミングで水銀流出という 事実が発覚したのですから、三井東圧化学と政府は「水銀の流出を防げないか」、そして「既に流出した無機水銀が有機化していないか」に関心を寄せたはずです。無機水銀が流出しても、有機水銀になっていなければ水俣病事件の再現は防げるからです。

ところが、1968年5月29日の朝日新聞には「福岡県が 厚生省の委託で1967年度に5回実施した大牟田川と その河口海域での調査結果が発表され、『水俣病の原因とされているメチル水銀を検出した。』と同県の亀井光知事と調査を担当した久留米大医学部の山口誠哉教授が明らかにした。」とあります。

メチル水銀が生成する原因も山口は明らかにしています。(1968.9.13朝日新聞)原因は三井東圧化学が採用していた廃水処理システムにありました。同社大牟田工業所では1967年4月から8月までカーバイトかすを使って水銀を処理していました。山口は同じ方式の実験を研究室で行ない、無機水銀がメチル水銀に変化することを確認したのです。さらに、その抽出物をネズミに与えると水俣病そっくりの症状を呈することも確認されました。三井東圧化学にとって最も望まない現実に直面したのです。それで、三井化学は前年(1967年)夏からこの処理方法をやめ、消石灰と活性炭で処理する方法に改めています。そのため、「現在では有機水銀は流れていないと見られている。」(1968.9.13朝日新聞)とのことです。

ということは、1967年の春には三井東圧化学は大牟田川の有機水銀汚染の原因が自社の工場廃水にあるとの認識をもっていたことになります。そして、対策のひとつとしてカーバイトかすを使ってみたものの、結果は裏目に出たのです。

さて、1968年9月13日の朝日新聞記事で気になることが2つあります。ひとつは、「カーバイトかすを使った廃水処理」は無機水銀の排水を隠蔽するための策略だったのではないかということです。記事の結論は「現在では有機水銀は流れていないと見られる」となっていて、水銀汚染がなくなったような印象をうけますが、環境中に放出された無機水銀が底質の泥で有機化することは1967年にスウェーデンの Jensen らが証明(喜多村正次「水銀」講談社サイエンティフィック 1976)していたのですから、この記事の結論は「カーバイトかすを使った廃水処理は行なっていないが、工場からの無機水銀の排出は続いており、海底の泥などで有機化する可能性は残されている。」でなければなりません。山口がその論文を知らないはずはありません。三井東圧化学がわずか4か月で中止した「カーバイトかすによる廃水処理」は、「現在では有機水銀は流れていない」との結論を引き出すための工作だった疑いがあります。何よりカーバイトかすに水銀を吸着させるという試みは 既に1958年9月からチッソ水俣工場で実施済みであり、まったく効果がなかったことも 1959年の4月には判明していたのですから、三井東圧化学は知っていてやったとも考えられます。久留米大医学部は三井東圧化学の隠蔽工作に利用されていたか、加担していたとみられます。というのは、三井東圧化学がカーバイトかすで水銀を処理していた期間はわずか4か月あまりのことですから、同社の協力なしに久留米大が「同じ方式」の実験をすることは不可能です。水俣病事件では熊本大学医学部がチッソで何が作られているかさえ教えてもらえず、原因究明に苦労したのですから。久留米大は実験結果を逐一、三井東圧化学に報告していたと考えられます。

ところで、久留米大の調査は厚生省の委託事業(厚生省が福岡県に委託し、その福岡県から久留米大に依頼=1968.5.29朝日新聞)でした。しかし、厚生省は久留米大の調査結果にまったく関心を示しませんでした。惨憺たる汚染実態に、厚生省は見なかったことにして逃げ回っています。久留米大の調査結果について、厚生省環境衛生局長・松尾正雄は、国会で当初「報告は届いていない」と答え、野党から「福岡県議会に提出されている報告書がスポンサーである厚生省にきてないのはおかしい。」と追及されると「それは福岡県がやったデータではないか。山口教授からはときどき連絡をいただいている程度」と白々しい答弁をしています。(1967.12.2参院産業公害及び交通対策特別委員会)

三井東圧化学が「外国の引き合いで」枯葉剤245Tの中間製品245TCPの生産を始めたのは1967年10月ですから(1969.7.24朝日新聞ほか、第2回既報)、カーバイトかすを使った廃水処理実験を始めた頃は、枯葉剤の予備検討も始めていたのではないかと推測されます。塩素は枯葉剤製造に重要な原料であるにも関わらず、塩素の製造工程で水銀が流出し、しかもその後に有機水銀に変化することが確認されたのですから、隠蔽工作でもして隠す以外に「枯葉剤国産化」を推進する方策はなかったのでしょう

もうひとつは報道のタイミングです。「三井東圧化学の工場廃水でも水俣病」と報道(1968.9.13朝日新聞)された直後の9月26日、厚生省は、「水俣病はチッソ水俣工場のアセトアルデヒド製造工程で生成したメチル水銀が原因であった」という公式見解を発表しています。この「水俣病公害認定」について通説では、この4ヶ月前にチッソ水俣工場が問題のアセトアルデヒド工場を操業停止したので、つまり、公害認定しても企業が困らない状況になったから、政府がやっと水俣病を公害と認定したのだと言われています。しかし、「三井東圧化学の電解ソーダ製造工程でも水俣病発生」の報道の直後というタイミングでの「公害認定」は、「アセトアルデヒド製造工程以外では水俣病とは認定しない。」との政府の意思表明 とも受け取れるのです。そして、ベトナムからアメリカが 撤退を完了(1973.3末)するまで、政府は三井東圧化学大牟田工業所の水銀法電解ソーダ製造工程にまったく手をつけようとはしませんでした。
三井東圧化学と日本政府の前に、ベトナム戦争のエスカレーションという願ってもないビジネスチャンスと、水俣病の再来という悪夢とが同時に立ちはだかったのです。そして、政府は第三、第四の水俣病発生を放置する道を選んだのでした。

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■構図は、最後の2文に象徴されているだろう。■軍事同盟をはじめとした国防体制死守の政府が「公共事業」として軍需産業に発注することで、軍産複合体というユチャク体制が維持される。■「有事」がおさまれば、「特需」は消滅するが、「平時」の「後方」むけの補充需要はつづくし、「新技術」が開発されれば「機種変更」などもおこなわれるだろう。■それでうまらない「需要」の分は、民需むけに転換すると。「有事」の際には即応できるような技術の継承をおこないつつである。
■でもって、これら「国防」というなの「公共事業」のまえには、国民は事実上不在である。かれらは税金をおさめてだまっておればいいのであって、たまたまふきだした公害等にはたえねばならないと。■「有事」の際の飢餓や無差別爆撃などによる犠牲同様、「平時」にも犠牲はつきものだとばかりに。数千万人の安全を確保するためには、数十人?数百人程度の死者、数千人?数堪忍の被害者・被災者がでても、必要悪だというのが、かれらのホンネだろう。


【12:55追記】

■「軍産複合体」とか「軍事ケインズ主義」というとらえかたには異論がだされるだろう。■日本列島での企業活動の大部分は民需であり、軍需産業のしめる比率などちいさい、だろうとか、政府や財界は一枚岩ではなく、さまざまな利害が複雑に競合・対立しあっていて、マルクス主義者たちが陰謀論でうたがうような「鉄のトライアングル」などは、妄想のたぐいだとかね。■しかし、「枯葉剤機密カルテル第51回 在日アメリカ軍依存体質」や「枯葉剤機密カルテル第53回 大統領暗殺」でとりあげられたような構造を否定できる体制派の御仁がいるのかね? ■いるのなら、とくと おはなしをきいてみたい。

■結局確認できることは、?「公共事業」としての「軍需」を予算化する政府が実在する。■?そういった「軍需」をあてにした「業界」「特定企業」が実在する。■?そういった政治的構造を合理化(「白書」「報告書」などの作文と、法案の起草)する官僚と、「御用学者」と、それらの発言をタレながす「ちょうちん記事」という、イデオロギー装置が実在する。■?そして、これら「舞台ウラ」をのぞかれたくないのは、政官財のおエラいさんたちだけでなく、企業城下町の従業員や関連企業、商店街でもあったりする。ってところか?


■現に、水俣病周辺はもちろん、近年のフェロシルト問題、最近の新潟県中越沖地震と原発リスクだって、事態を過小評価しようとした先生方がすくなからずいた〔理系方面〕。■そして、普天間飛行場移転問題をグチャグチャに混乱させた「島田懇談会」だって同質だろう〔文科系?〕。■かれらは、関係者が沈黙し本質がふせられた構造のなか、ひたすらコーティング(美化)にはしる。■メディアがそれを「あとおし」する。
■その意味で、60年ちょっとまえに崩壊したはずの総力戦体制という構図は、実は本質的にかわっていない。非常に洗練されていて、オーウェル『1984年』みたいにロコツに情報統制がなされているって、きづけないぐらいに、じょうずにね。


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