■別処珠樹さんの『世界の環境ホット!ニュース』の1か月半ちかくまえの記事。■シリーズ第57回【リンクはハラナ】。

【シリーズ記事】「転載:枯葉剤機密カルテル1」「」「」「」「」「」「」「」「」「10」「11」「12」「13」「14」「15」「16-7」「18」「19」「20」「21」「22」「23」「24」「25」「26」「27」「28」「29」「30」「31」「32」「33」「34」「35」「36」「37」「38」「39」「40」「41」「42」「43」「44」「45」「46」「47」「48」「49」「50」「51」「52」「53」「54」「55」「56



■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
世界の環境ホットニュース[GEN] 644号 07年07月29日
【転載歓迎】意見・投稿 → ende23@gmail.com   
枯葉剤機密カルテル(第57回)         
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
枯葉剤機密カルテル       原田 和明

第57回 沖縄枯葉作戦(1)

沖縄には、これまでも枯葉剤が貯蔵されていたという噂はありましたが、確認はできて いません でした。しかし、ついに枯葉剤が沖縄にあった、そして沖縄で散布されていたという証拠文書が発見されました。そこで、今回は第三水俣病のエピソードを中断して、沖縄枯葉作戦の意味を考えます。

証拠書類は、後遺症の補償などを求めた元米兵に対する退役軍人省不服審判委員会の98年1月13日付の決定文で、米領グアム島で どのように枯れ葉剤が使用されたか実態調査を進めているグアム議会議員らが入手したものです。決定文によると、元米兵は61年2月から62年4月まで輸送兵として沖縄に赴任。枯れ葉剤が入ったドラム缶の輸送やドラム缶に枯れ葉剤を注入する作業のほか、北部訓練場内とその周辺の道路脇の雑草除去のために枯葉剤を散布しました。上官は枯れ葉剤の害については説明せず、防護服なども与えられなかったため散布の際、枯葉剤が身体や衣服に付着しました。
元米兵は、このため前立腺がんになったと主張。不服審判委員会の決定は沖縄での枯れ葉剤使用を示す軍の公式書類はないとしましたが、元米兵の証言内容や証拠は「矛盾がなく正当」とし前立腺がんがダイオキシンを浴びたことに起因するのは確実として、補償などの権利を認めたものです。(中日新聞2007年7月9日朝刊)

米軍による枯葉剤の散布、いわゆる枯葉作戦は、ベトナム戦争で実施されましたが、1999 年になって、1968 年に韓国国境付近で行なわれたことが発覚しています。ところが、今回明らかになった沖縄枯葉作戦は、それらのどれよりも早い時期に行なわれていたのです。米軍は何のために沖縄枯葉作戦を実行したのでしょうか?

枯葉剤で被災したと認められた元米兵の沖縄駐在期間は「1961年2月から 62年4月」でした。南ベトナムでの枯葉剤散布は1961年11月からです。ということは、米軍は沖縄で枯葉作戦の予行演習をやっていた可能性があります。米軍は枯葉剤を化学兵器として使用するアイデアをすでにもっていたのですから、「周辺の道路脇の雑草除去」というような日常品的な用途に枯葉剤を消費するとは考えられません

米陸軍は第二次世界大戦後も枯葉剤研究を止めることなく、1万2千種類もの化学薬品をテストし、その中の 約700がニューヨーク州のキャンプ・ドラムやプエルトリコで野外試験にかけられています。そして、沖縄枯葉作戦と重複する1961年7月から62年4月にかけて、かなり多数の化学薬品がベトナムに持ち込まれ、予備試験が行なわれています。同時にタイ、テキサス、プエルトリコでも米軍と契約企業により同じく予備試験が実施されました。(中南元「ダイオキシンファミリー」北斗出版1999)沖縄枯葉作戦も実施時期から考えてその予備試験の一環だったと考えられます。

沖縄枯葉作戦がベトナム枯葉作戦の予備試験ならば、枯葉作戦と同等の濃度で沖縄にも散布されたと考えられます。ベトナムでの散布量は1ヘクタールあたり平均27リットルと言われていますので、北部訓練場の面積7800ヘクタールに対して、満遍なく全体に散布された場合の必要量は 約210キロリットルになります。ベトナムでの実際の散布量は56キロリットル(1962年)、281キロリットル(1963年)ですから(中南元「ダイオキシンファミリー」北斗出版1999)、沖縄にも同程度、数10から100キロリットル程度の枯葉剤が 散布されたのではないかと推測されます。100キロリットルあれば、北部訓練場の1割の面積に数度の散布繰り返し実験ができることになります。

1968年11月には在沖縄米軍はベトナム戦争で枯葉作戦に使われたと見られる薬剤PCP(ペンタクロロフェノール)を毒劇物輸入業者の沖プライ商事に処分させています。(「枯葉剤機密カルテル(11)」GEN 594)このとき、米軍が払い下げた量は 2万5000ガロン(約95キロリットル)でした。第27回で紹介した「ピンクの薔薇プロジェクト」ではこの10倍、25万5000ガロンの枯葉剤がベトナムで試験のために一辺7キロメートルの正方形のエリアに散布されています。予備試験では 2万5000 ガロンがひとつの単位だったのではないかと考えられます。2万5000ガロンの枯葉剤の散布面積は「ピンクの薔薇プロジェクト」を当てはめると500ヘクタールとなり、北部訓練場の1割弱の面積となります。

第11回では、米軍が PCPを払い下げた理由について、68年1月のテト攻勢(ベトコンの反撃、一時米大使館が占拠された)による米軍の輸送能力低下をあげました。しかし、台湾でPCPの量産体制が整う直前であったことから、PCPについても 沖縄で予備試験を行なう予定だったのかもしれません。2万5000ガロンもの余剰がでたのは、テト攻勢で予備試験が行なえなかったからでしょう。予備試験ができていれば、余った薬剤はわずかのはずですから「周辺の道路脇の雑草除去」にでも使用して使い切ることができたでしょうが、まるまる残ってしまったので、処分に困って業者に払い下げたものと思われます。

さらに、沖縄の場合、その予備試験の目的が問題です。「沖縄」は予備試験の実施例のひとつというだけの位置づけに留まらず、国産枯葉剤と米国製枯葉剤の性能比較が行なわれていたのではないかと考えられるのです。

元米兵が沖縄に赴任してきた頃、日本では、PCPを水田除草剤として大量消費することを目的とした肥料取締法改正案が 1961年4月に上程されています。この当時外販されていたPCPは枯葉剤の副産物だったと考えられます。後にPCPはナパーム弾と併用するアイデアによりダイオキシンの発生源として見直されることとなり、枯葉剤の副産物(廃棄物)から枯葉剤そのものに格上げされたのではないかと推定されます。PCPと枯葉剤の関係を以下に示します。

ベンゼン+塩素 → 塩化ベンゼン類 → 四塩化ベンゼン → 245TCP → 245T (A)
蒸留で分離 ↓
四塩化ベンゼンを除く塩化ベンゼン類 → 塩化フェノール類(PCP もどき) (B)
(BHC もどき)      (本来の PCP は五塩化フェノール)

この式で紛らわしいのは数字の意味が異なる点です。「245TCP」の245は 塩素がついている位置を表していて、塩素の付加数としては3です。一方、「四塩化ベンゼン」の四(4)は 塩素の付加数を 表します。塩素がついている位置は表記していませんが、表記すると「1245」となります。今回は塩素の位置表記と付加数を区別するために、位置表記をアラビア数字、付加数表記を漢数字としました。

上の245T製造工程から、不純物はクロロベンゼン類であり、これを加工して「PCPもどき」とするか、クロロベンゼン類をそのまま「BHCもどき」として処分するかの選択となります。従って、245Tの需要が増せば、それに比例して「BHCもどき」あるいは「PCPもどき」も大量に発生することになり、処分方法としての「BHCおよびPCPの商品化」が必要になります。

三井東圧化学(福岡県大牟田市)の子会社・三光化学では操業開始から1964年までの間は上の反応式の末端にあるPCPとBHCの2種類の農薬を生産していました。そして、その一方のPCPは本来の5塩化フェノールではなく、塩素数の異なる塩化フェノール類の混合物「PCPもどき」であったことがわかっています。(「枯葉剤機密カルテル(14)」GEN599)

-----------------------------------------
■引用記事冒頭の「沖縄には、これまでも枯葉剤が貯蔵されていたという噂はありましたが、確認はできて いません でした。しかし、ついに枯葉剤が沖縄にあった、そして沖縄で散布されていたという証拠文書が発見されました」とは、実は、2つきまえに「沖縄駐留米軍の枯葉剤使用の証拠書類みつかる」という記事で紹介ずみである。

■日本政府が、これらの米軍の策動を全然しらなかったはずがない。農薬の認可とか、ベトナム戦争での後方支援とか、すべての面で、なにがおきているか、官僚・政府首脳部は、充分わかったうえで協力していただろう。■この一貫して、オキナワをはじめとして国民をバカにした姿勢は、アタマがさがるよ。植民地主義は伝染するし、いったん感染すると、ほとんどなおらないようだ。



●「北部訓練場+ダイオキシン散布」関連記事