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世界の環境ホットニュース[GEN] 645号 07年08月04日
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枯葉剤機密カルテル(第58回)         
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枯葉剤機密カルテル        原田 和明

第58回 沖縄枯葉作戦(2)


この元米兵が沖縄に赴任していた時期は、農林省がPCPを、林野庁が塩素酸ソーダを、水田除草剤だ、山林枯殺剤(殺草剤)だといって多くの被害を無視して散布させていた時期と重なります。(「枯葉剤機密カルテル(16)」GEN601)この時期の出来事を年表で示します。

1951年6月 (朝鮮戦争が勃発)
三井化学(福岡県大牟田市)が枯葉剤の一成分24Dの生産に着手。
1955年9月  24D、245Tの副産物PCPを農薬登録。
1956年春  宇都宮大学でPCPの除草効果を確認する実験を開始。
1960年 PCPの実用化試験を終了(魚毒性大も確認)。
(このころ元米兵、沖縄に着任)
1961年春  PCPの化学肥料への混合を合法化する肥料取締法改正案を上程、
廃案。
1961年11月 肥料取締法改正案の成立(製品化は間に合わず?)。
1962年2月  枯葉剤の製剤工場・三光化学が福岡県荒木町に工場を設立。
(このころ元米兵、沖縄を離任)
1962年春  枯葉剤の副産物PCPを水田へ、塩素酸ソーダを国有林へ散布開始。
1962年7月  有明海、琵琶湖などでPCP流出による大規模な水産被害発生。
1962年11月 林野庁の塩素酸ソーダ散布を国会で追及。
1963年   林野庁、都立大学K先生に「塩素酸ソーダの安全性捏造研究」依頼。
1964年9月  245Tを農薬登録。
林野庁は被害をごまかすために都立大学に「枯殺剤は安全だ」というウソの研究成果を出してもらうよう依頼しています。(「枯葉剤機密カルテル(17)」GEN602)枯殺剤に使われた塩素酸ソーダも枯葉剤製造時に副生するものです。元米兵が沖縄で枯葉剤を扱っていたこの時期は、日本国内では、大量の枯葉剤副産物を処分する必要に迫られていたのです。

これは、枯葉剤の商業生産が日本国内で始まったことを意味します。そして、その処分に日本政府が協力していたのですから、枯葉剤の商業生産は国策だったということです。

したがって、元米兵が運搬、散布した枯葉剤の多くは国産だったのではないかと思われます。だから、米軍が沖縄で枯葉剤を散布していた目的は、日本製の枯葉剤が米国製の枯葉剤と同等の性能(樹木を枯らす)があるかどうかをチェックしていたのではないかと推測されるのです。そして、性能的にはOKだったのでしょう。元米兵が沖縄を離れた頃、三光化学三井化学製枯葉剤の製剤化のための工場を設立しています。

三光化学は、旧海軍の高官が神奈川県寒川町の旧海軍工廠催涙弾マスタードガスを生産していた毒ガス工場)の設備の払い下げを受け、1947年に設立した会社です。そこでは、朝鮮戦争以降、催涙弾を米軍に供給し、その後は防衛庁にも供給しています。(「沖縄の化学兵器(7)」GEN 553)その催涙弾は機動隊に流れて、60年 安保闘争や、ベトナム戦争に 向かうエンタープライズの 佐世保 入港(68年1月)に反対した一般市民、学生に向けて 発射されたのです。そして、催涙剤は水で希釈されていたとはいえ、学生に重傷者を出しています。

太平洋戦争でアメリカから報復攻撃を示唆されるまで赤弾(くしゃみ性毒ガス)を作っていた三井化学、緑弾(催涙弾)や黄弾(マスタードガス)を作っていた旧海軍工廠が母体の三光化学。このコンビは、化学兵器枯葉剤を国産化して米軍に供給するには最強の布陣と言えるでしょう。

米軍はベトナム戦争で様々な化学兵器を使用したことから、それぞれを区別する必要があり、このうち、ダイオキシンを含む枯葉剤は容器の識別色から「オレンジ剤」と呼ばれました。しかし、「オレンジ」という識別コードは単なる偶然なのでしょうが、黄色の混合色、つまり、「赤弾」の三井化学と「黄弾」の三光化学のコンビが製造した化学兵器だから、という意味あいにも受け取れます。

琉球新報(2007.7.9夕刊)によると、枯葉剤が沖縄にあり、しかも散布されていたことに対し、「地元住民や環境保護団体からは散布に対する反発とともに『どの場所でどのくらい使用したのか、事実関係をはっきりすべきだ』と、県による立ち入り調査の実施や、情報公開を求める声が上がった」とのことです。

しかし、日本政府は米政府または米軍に事実関係の照会などできるはずがありません。もともと米国従属姿勢である上に、この件に関しては、おそらく、国産の枯葉剤が使われた可能性があるわけですから。

ちなみに、PCP流出事件のときの政府の対応は次のようなものでした。(「沖縄の化学兵器(12)」GEN559)

小平芳平(公明党)

米軍は一体何のためにこのような大量の除草剤に使われているPCPを沖繩へ持ち込んだのか。安保体制下においては日本のどこへでもこういうものを持ちこむことができるのかどうか。それができるならば、このような重大事故が次から次へ発生す可能性が沖繩にも本土にも残されているということになるのですが、いかがでしょう。」

と政府に詰め寄りました。

防衛庁長官・江崎真澄は「毒ガス(化学兵器)ではない、基地内の 除草に使った」と答弁しましたが、基地が縮小されたわけでもないのになぜ百トンもの除草剤が不要になったのかと重ねて質問されると、今度は木材防腐剤にも使ったと聞いていると答弁、誰から説明を受けたのかと聞かれると、大体の見当だと答え、小平に「防衛庁長官はデタラメを言っているだけだ」と一蹴されています

PCPが枯葉剤関連物質であって、日本政府も加担していたとなると、江崎の答弁も、うべなるかな、ともいえる対応です。

沖縄タイムスは2007年7月10日の社説で

「(枯葉剤散布によって)今なお続く健康被害、環境被害の深刻さは、二十世紀の国家犯罪ともいえる様相を呈している。北部訓練場ではかつて、ダムの湖水面を利用した訓練が行われているが、枯れ葉剤の散布が行われたとすれば由々しい問題だ。ダイオキシン残留の可能性がないかどうかを含め、早急に事実関係を調査すべきである。
記録文書がないから確認できないというだけでは住民の不安は解消されない。基地を提供している政府と、当事者である米軍の誠実な対応を求めたい。」


と述べています。

しかし、政府が沖縄で枯葉剤が散布されていたことを認めるとは思えませんし、沖縄枯葉作戦に国産枯葉剤が使われていたとなると、記録文書があっても出せるはずがありません。日本政府と米軍に「誠実な対応」など望むべくもありません。
案の定、米軍は、防衛施設庁と外務省の問い合わせに対し、13日までに枯葉剤使用を裏付ける資料はなかったと回答。両省庁はこの回答を受け入れ、米軍側に対し北部訓練場での土壌調査、水質調査を求めませんでした。(2007.7.15琉球新報)さらに、防衛施設局・桝賀政浩施設企画課長は照屋寛徳衆院議員らの申入れに対し、沖縄での枯葉剤使用・貯蔵の根拠はないと説明した上で、「県企業局のデータがあるので、それ以上の調査をする気はない」と、政府による実態調査を拒否
しました。(2007.7.25琉球新報)

それでも、事実に迫る方法がないわけではありません。まずグアム議会議員らが入手したという当該文書を入手するとともに、元米兵にもインタビューして散布エリアと散布量を特定することは可能でしょう。幸い、沖縄県は2004年とその翌年に、基地排水水質等監視調査を行なっており、北部訓練場周辺、東村の新川川(あらかわがわ)の水、及び底質を調べていて(2007.7.12 沖縄タイムス夕刊)、40年以上も前の事件とはいえ、ダイオキシンが検出されています。ダイオキシンは毒性の異なる複数の類似化合物の総称で、その組成パターンからダイオキシンの発生源が枯葉剤由来か、そうでないかがある程度特定できます。その上で改めて政府を追求することはできないでしょうか。

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■沖縄以外の国会議員は、自分たちがオキナワを差別していないといいはる以上、この作業をするほかなかろう。■そうしないかぎり(権限とネットワークなど資源は豊富にもちあわせている)、かれらは明白にオキナワに安保体制のシワよせを放置する差別者であると断定してよかろう。

■これらの問題は、もちろん、45年まえのことではない。現代の問題である。