■安倍政権の象徴的な人物のひとりであった久間氏。またまた、名物の一言居士ぶりを発揮。■『長崎新聞』から。

久間氏「不愉快な思いさせた」 
県庁で謝罪会見

 自民党の久間章生元防衛相(衆院長崎2区選出)は十三日、県庁で記者会見し、防衛相辞任につながった六月の原爆「しょうがない」発言について、「被爆者やご遺族らに大変不愉快な思いをさせたことを深くおわびしたい」とあらためて陳謝した。

 その上で発言の真意について「原爆を容認するものではない。許せないという気持ちは今も持っている」と述べた。被爆者団体への直接の謝罪は「結局、お会いするのは団体のトップになり、そうした方々は政治的な言動をされる。今のところ考えていない」とした。

 会見を受け、久間元防衛相の辞任直前、直接抗議した田上長崎市長は、「直接おわびしたいという思いの表れ」と一定の理解を示し、「被爆県選出の国会議員として核兵器廃絶に力を尽くしてほしい」と話した。

 一方、長崎原爆遺族会の下平作江会長は「今更謝られても心に響かない」。県被爆者手帳友の会の井原東洋一会長は「自民党の要職に就いて活動するため、とげを抜きたかったのでは」と冷ややか。被爆者団体のトップを「政治的な言動をする」とした発言に「なぜ長崎まで来て被爆者の感情を逆なでするのか」と批判した。
■個人レベルはともかく、被爆者団体の反応は当然だろう。かれも、「空気よめない」政治家の典型例。いくら、自分と親族に被爆者がいなくたって、長崎市を選挙区にふくんでいる以上、主義主張・信念とは別次元での政治的配慮ってものが普通はたらくはずなのに、それが作動しない。■これは、ガンコというより、アホなのかも。

■ま、ともかく、石原慎太郎氏をはじめとした「失言マシーン」の十八番「誤解(不快感)をあたえる失言をしたので、その次元でだけあやまりたい(まちがったことは、いってない)」路線で、そのヘンは、「想定内」なんだが。

■着目すべきは、かれの被爆者団体とあわない「正当性」の論理。「そうした方々は政治的な言動をされる」って、その「政治的な言動」ってのは、どういうつもりでえらんだのかね? ■あなた政治家でしょうが。あなたの家庭内での発言、事務所内でのうちうちの発言など以外は、全部「政治的な言動」じゃないの?
■このリクツがとおるなら、?「政治家以外で政治的な言動をする連中は、あやしい人物なので、接触したくない」ってことか、?「わるい意味での『政治的な言動』をする人物とは、接触したくない」ってことになるだろう。■しかし、政治家ってのは、時間のゆるすかぎり、そして生命の危険を感じたりしないかぎり、選挙民や利害関係団体とあって、はなしをきくってのが、しごとだよね。■なんで、あわないという根拠になるわけ?

■これは、沖縄の利害を当然代表して論陣をはる『沖縄タイムス』や『琉球新報』あたりの論調が、日本政府にとってジャマくさいので、「保守系の国会議員や学者から「沖縄の心がマインドコントロールされている」「二つの新聞は普通の新聞でない」」といった、それこそ普通とはおもえない非難がでたりするのと、通底しているとおもう。■保守系の政治家にとっては、政官財の利害と衝突する批判的な見解は、「政治的な言動」という、自己矛盾そのものの排除が当然らしい。実際は あなたがた自身が、日々「政治的な言動」ほかをもって 日本列島の政治経済的磁場をとりしきっているわけでしょ? この自己矛盾への鈍感こそ、「普通」でないとおもうんだが…。
■というか、かれら保守政治家にとっては、「政治的な言動」は、われわれが「ガスぬき」として容赦する範囲内でしかゆるさん、というのがホンネかもね。■ききたくない「政治的な言動」は、全部無視するし、必要とあらば、ウェブ上の記事は削除させるし、店頭の本・雑誌類も回収ないし買占めて、「かわいい選挙民の目をよごさせない」と(笑)。
■かれらのとっての「政治的な言動」とは、おそらく、議会制民主主義が機能しているという欺瞞を演出するために必要とおもわれる、一定限度内の批判的発言を「容認」し、実際の政治的判断からは完全に排除するか、自分たちのつごうで取捨選択して、てがらにするための素材でしなかさそうだ。
■だから、自分たちの「失言」騒動だって、自分の責任は、単に「不適切」な表現をつかった点にだけあって、さわぎすぎるメディアやブログは、「不適切」にさわいでいる「外野」ってことなんだろう。




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