■もう 半年もまえの文章だが、重要だとおもうし、ふるくなりようがないので、このヘンで。■「組織にしがみつかなくても」(『風の旅人 編集便り ?放浪のすすめ?』)


 「企業にとって安くて使い勝手のいい働かせ方によって、若者をはじめとする貧困が拡大している」と主張する知識人や政治家が多いが、このような文脈のなかで使われる「企業」というのは、いったい誰なんだろうと、時々思う。

 彼らはターゲットをわかりやすくするために、経営者=企業とみなし、経営者を批判するしかし、私利私欲のために経営を行う一部の経営者を除き、企業全体のために様々な策を弄することが経営責任であると自覚している経営者が多い。その企業全体のなかに無数の社員が所属し、無数の家族の生活がある。すなわち、パートやアルバイトを、安くて使い勝手のいい働かせ方で雇用する意志は、そこに所属する無数の正社員と家族の潜在的願望であるとも言える。自分の給与を削ってパートやアルバイトの待遇を良くするように要求する正社員など皆無だろうから。
 企業が空前の利益をあげているという批判もあるが、その利益を誰か特定の個人が好き勝手に浪費しているわけではなく、企業全体の保身のために、設備投資や運用など資金の使い道を周到に計算している。今好調でも、ちょっとした環境変化や戦略の誤りで凋落の憂き目にあった企業を、この10年で幾つも見てきているから、企業は、これまで以上に慎重に、狡猾になろうとしている。自らが生き残り、そこに所属する社員と家族が路頭に迷うことがないように

 自分たち集団の保身をはかるために、自分たちの周辺に対して露骨なまでの仕打ちを行っているのは、熾烈な国際競争に明け暮れている企業だけではない。テレビや出版など世間的に好待遇と言われる組織も、下請けプロダクションなどを安く買い叩き、そこに属するスタッフを劣悪な生活環境に追い込んでいることは周知の事実だ。

 また、「企業」を批判するインテリ業界でも、同じ構造はある。 不安定な身分の臨時講師の数は多く、彼らの生活を安定させるために、大学教授の身分を享受している偉い人が自分達の給与を減らすことを提言したり、潔く引退して若い人にポストを空けようとすることは極めて稀だろう。

 大企業の社員も、テレビ界や出版界の人も、大学教授も、自分たちのポジションを自分の努力で勝ち取ったと思っている。自分たちの権益は、自分が努力して勝ち取ったものだから当然だと思っている。だから自分の権益は手放さない。そのくせ他人に対しては、「労働者を安くて都合の良い働かせ方をするな!」と批判する。

 そうした主張をする人は、大学教授も、テレビ局のキャスターも、自分のポストを後進に譲ってからにすればいいのにと思う。自分が簡単にそれができないように、他人も簡単にそうはできない。「企業」という抽象的な言葉を使って、それを批判することは誰にでもできる
そうではなく、「企業」で働く正社員に対して、「あなたたちの給与の5分の1をパートの人たち(下請けプロダクション)に分け与えなさい」と言うことは絶望的に難しい。既得権世界のなかのポストに胡座をかきながら、他人にだけそれを要求するのは虫が良すぎる。

 既得権世界のなかでポストを持っている大学教授などが、本当に今日の雇用の在り方に問題意識を持っているならば、自分のポストを手放して新しく会社なりを起こし、新たな正社員雇用を生み出した方が、言葉だけであれこれ言うより、よほど有効だろう。そうすることで、自分が手放した枠と、新しく採用する枠を生み出すことができる。その生き方を見習う人が増えて輪が広がっていけば、今日の状況は少しは改善されるかもしれない

 企業でも大学でも、そうした潔さを持っている人の方が人望も厚く、自ら退くことを宣言しても引き留める人が多いかもしれない。その人がいなくなることで、組織全体の将来の雲行きが怪しくなってしまうほどの人もいるだろう。

 そういう人の場合は、その組織を退いてもすぐに声がかかる。新しく組織を立ち上げる力もある。その逆に、周りから見れば早く退いて欲しいと思う人ほど、その組織から離れてやっていく自信もないため、既得権を手放そうとしないものなのかもしれない。

 企業も大学も官僚も、そのように保身をはかろうとする一人一人の心理が無数に集まったものだ
。そうした組織に正規で所属することが豊かな生活の保証となるという発想で、今日の雇用問題が語られることが多いが、本当にそうなんだろうか。

 正規の雇用=豊かな生活!?と、非正規の雇用=ワーキングプアーの二極構造で私たちの社会を語られてしまうと、その時点で、この社会における人生というものが何とも味気なく色褪せたように思われてくる。

 全ての人が必ずどこかの組織に正規で所属しなければならない社会よりも、組織にしがみつかなくても生きていける人が大勢いる社会の方が、私には魅力的に思える。個人としても、どこか一定の組織でだけ通用する生き方よりも、環境がどう変化しようが生きていける力を身につけることの方が、長期的には理に適っているように思える。

 どうせ現状を変える努力をするならば、その方向で考えた方がいいと思う。
 インターネットの急速な発達によって、組織を持たなかったり既存勢力とのコネやパイプの無い人間のチャンスは拡大し、本人の意欲と方法次第という状況は間違いなく出現しているわけで、時代は確実にそうした方向に流れているように思う

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■うーんと、いろいろいいたいことはあるんだろうけど、かいているうちに、ご本人が、「標的」をみうしなって、破綻してしまっているとおもう。■あと、「自由で能力のある個人のゆるい離合集散によって社会がくみあがったら…」といった、マルクスらの夢想を現代化したような楽観主義もすけてみえる。■少々イジワルにみえるかもしれないが、重要な論点が未整理のまま、なげだされているとおもうので、ていねいにみていこう。

■?企業のおおくが単なる私益の追求ではなく、社員と家族のために、以前より一層ズルがしこく、パート・アルバイト層の搾取、下請けプロダクションや臨時講師の搾取にはしっているのであり、その意味では、ええかっこしいの(正義の味方づらした)メディアや大学人たちは、その一部にすぎない以上、説得力がない。←実に正論(笑)。■「「大学の自治」という幻影」でもかいたけど、現在そこそこの所得を保証された常勤身分は、充分既得権。

■?だから、「自分の権益は手放さない。そのくせ他人に対しては、「労働者を安くて都合の良い働かせ方をするな!」と批判する。
 そうした主張をする人は、大学教授も、テレビ局のキャスターも、自分のポストを後進に譲ってからにすればいいのにと思う。自分が簡単にそれができないように、他人も簡単にそうはできない。「企業」という抽象的な言葉を使って、それを批判することは誰にでもできる
」というのは、まさに正論。

■?だが、「周りから見れば早く退いて欲しいと思う人ほど、その組織から離れてやっていく自信もないため、既得権を手放そうとしないものなのかもしれない。
 企業も大学も官僚も、そのように保身をはかろうとする一人一人の心理が無数に集まったものだ
」といった、みもふたもない構造がわかっているなら、「「労働者を安くて都合の良い働かせ方をするな!」と批判」などせずに、沈黙している層を批判しないよね。■つまり、「安楽イスにすわった安全圏から、偽善的な正論はくなよ!」という批判はもっともであると同時に、そういった「偽善的正論」をのみこんで保身にはしる層のことは、うてないってことだ。

■?こういった、「でていってほしくないひとほどにげ、でていってほしいひとほどいすわる」という、みもふたもない組織原理=悪循環に対して、「本当に今日の雇用の在り方に問題意識を持っているならば、自分のポストを手放して新しく会社なりを起こし、新たな正社員雇用を生み出した方が、言葉だけであれこれ言うより、よほど有効だろう。そうすることで、自分が手放した枠と、新しく採用する枠を生み出すことができる。その生き方を見習う人が増えて輪が広がっていけば、今日の状況は少しは改善されるかもしれない」といった願望をのべても、なにもかわらない。

■?それと、「インターネットの急速な発達によって、組織を持たなかったり既存勢力とのコネやパイプの無い人間のチャンスは拡大し、本人の意欲と方法次第という状況は間違いなく出現しているわけで、時代は確実にそうした方向に流れているように思う」って展望は、ホントかね? ■いや、ネット・ビジネスで、うまくやっている層は実在する。また、以前とはちがった可能性がひろがったことも事実だろう。しかし、すくなくとも、しりあいには、そういった成功者がみあたらない。ま、無能な人物しかいない人脈といわれれれば、それまでだが…。

■?ましてや「正規の雇用=豊かな生活!?と、非正規の雇用=ワーキングプアーの二極構造で私たちの社会を語られてしまうと、その時点で、この社会における人生というものが何とも味気なく色褪せたように思われてくる」といった、感情論をはかれると当惑する。■要は、「その組織から離れてやっていく自信」がなかったような層、不安におののくことなく、また強制されることもなく、「自分達の給与を減らすことを提言したり、潔く引退して若い人にポストを空けようとすること」が可能なシステムづくりだよね。「ワークシェアリング」って、ヨーロッパではある程度実効性をもったシステムを、日本列島がうけいれられるか?

■そういったシステムづくりができないのなら、冷厳で機械的な競争原理を導入するほかなかろう。■スポーツ選手にたとえるなら、レッスン・プロでもCMプロでもなく、賞金だけでいきていく究極のツアー・プロみたいな感じか? これは、プロ野球のような過去実績からの年俸制とか、過去からの戦績も加味される大相撲の給金制よりも、きびしい論理だ。■具体的には、出来高払い制の営業職・ディーラーみたいな地位・報酬制度が基本になるという世界。これは、キツいよ。教育現場なら、予備校講師みたいに履修希望者によって年俸がきまるとか、医師や弁護士だって、保証されきた1件あたりの報酬が完全な需給関係で変動する(過当競争がおきれば、際限なくおちこんでいく…)って、アリ地獄状態だ。
■いや、「自分たちの世界ではあたりまえだ」って層は いるだろうけど、それにたえられる層っては、大多数ってことには ならないとおもう。


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