■別処珠樹さんの『世界の環境ホット!ニュース』の 先日の記事。■シリーズ第60回【リンクはハラナ】。

【シリーズ記事】「転載:枯葉剤機密カルテル1」「」「」「」「」「」「」「」「」「10」「11」「12」「13」「14」「15」「16-7」「18」「19」「20」「21」「22」「23」「24」「25」「26」「27」「28」「29」「30」「31」「32」「33」「34」「35」「36」「37」「38」「39」「40」「41」「42」「43」「44」「45」「46」「47」「48」「49」「50」「51」「52」「53」「54」「55」「56」「57」「58」「59



■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
世界の環境ホットニュース[GEN] 647号 07年09月14日
【転載歓迎】意見・投稿 → ende23@gmail.com   
枯葉剤機密カルテル(第60回)         
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
枯葉剤機密カルテル         原田 和明

第60回 ポスト枯葉作戦(2)

「隔膜法導入の誤り」は通産省も認めています。

三井物産三井東圧化学東洋曹達工業など5社が、資本金1千億円を出資してイラン化学開発という合弁会社を設立し、イランに一大石油コンビナートを建設することになったのですが、その中の苛性ソーダ・塩素製造工場に、日本では禁止となった「完全循環方式の水銀法」が採用されていました。(1977.2.6 朝日新聞)

製法転換を推進した環境庁は「水銀法電解の輸出は初耳だ。国内でダメなものが外国ならいいというのはおかしい・・・」と疑問を呈していますが、通産省基礎産業局長・天谷直弘は「禁止措置がとられる前に契約していたし、何度かイラン側に問い合わせたが、それでよいとのことなので、例外的に認めた。契約を覆すことは国際信義の上からもできない。技術的に確立しているのは水銀法しかなく、イラン側もそれを承知の上での契約だったから認めるしかなかった。」と答えています。
朝日新聞は国内で禁止となった水銀法の輸出を、企業の倫理問題として捉えていますが、大量の水銀を垂れ流していた<従来の水銀法>と、水銀をほとんど排水中に出さない<完全循環方式の水銀法>の区別がついていないことからくる混乱にすぎません。

通産省・天谷が語っているように、完全循環方式の水銀法は当時「技術的に確立」していた唯一の苛性ソーダと塩素の製造方法だったのです。通産省はなぜ「水銀汚染対策推進会議」(1973.6.14 朝日新聞夕刊)でそのことを主張しなかったのでしょうか? 環境庁は それを知らずに 隔膜法導入を決定したのでしょうか?
環境庁は 1971年7月に発足したばかりの新しい省庁ですので、職員は通産省、厚生省などからの出向で運営されている寄り会い所帯でした。従って、出身省庁の意向に逆らって独自の政策を打ち出せたとは考えられません。通産省の意向も当然反映されていたはずです。

製法転換に対する通産省のクレームもスケジュールに対してであって、隔膜法採用そのものに反対していたわけではありません。(1973.7.13 朝日新聞)通産省はなぜ「隔膜法の問題点が明らかになるまで拙速に製法転換を進めるべきではない。」と主張しなかったのでしょうか? 通産省も環境庁も1973年の<隔膜法>への転換を表明した段階では、完全循環方式の水銀法の採用で新たな水銀漏洩対策は十分であるかどうかを検討することなく、隔膜法の採用だけを決めていたのではないかと思われます。その上で、通産省はソーダ業界向けに形ばかりのクレームをつけてみせたのではないかと思われます。

通産省は、75年9月末での<水銀法>と<隔膜法>の生産割合を 半々にするとの日本ソーダ工業会の取り決め(1973.6.28 朝日新聞)を前倒しさせて、61年末に、<水銀法>1:<隔膜法>2とする方針を固めています。しかしながら、工場建設を請け負うプラントメーカーに工事能力があるかどうかの見通しもはっきりしていませんでした。(1973.8.16 朝日新聞)

また、環境庁が導入を進めた隔膜法はアメリカが主流で、ほとんどの日本企業は技術検討の暇もないままアメリカから不完全な隔膜法を技術導入せざるをえませんでした。(鐘淵化学工業社史)水銀問題を5年以上も放置しておきながら、通産省は、完全循環方式(水銀法)では 対策として不十分なのか? 隔膜法は代替技術となりうるのか? といった基本的な課題を 検討することなく、さらにはプラントメーカーに工事能力があるかどうかの見極めもなく、製法転換の計画だけを前倒しにしたのはなぜでしょう。海上封鎖など実力行使にでた漁民の怒りが理由ということになっていますが、漁民の怒りを「口実」に使っているようにも見えます。

ところで、イランへの水銀法電気分解の輸出に、なぜ三井物産が登場するのでしょうか? 新たな水銀汚染源と見られていた国内の水銀法電解ソーダ工場の3分の2は、三井物産と、同社造船部が戦時中に分社化した三井造船の技術を購入したもので、三井物産はいわば国内水銀法電気分解の元祖だったのです。そして、第三、第四の水俣病を発生させた、水銀汚染の元凶でもあるのです。

「水銀汚染の元凶」三井物産と三井造船は「隔膜法への製法転換」にいち早く対応していました。両社は1973年10月に共同出資で「クロリンエンジニアズ社」を設立。同時にアメリカのダイヤモンド・シャムロック社から苛性ソーダ製造プロセス(隔膜法)を技術導入、早くも年内に旭硝子から隔膜法プラントを受注、以後19プラントを受注しています。(クロリンエンジニアズ社のHP「沿革」より)

鐘淵化学工業社史には「第三、第四水俣病説は 同年11月9日には、事実無根であることが最終的に報告され、さしもの水銀パニックも沈静化に向かったが、水銀法転換の政府決定は 翌10日に 正式決定された。」とありますから、水銀汚染はなかったことにして、三井物産や三井東圧化学などの責任は不問にしておきながら、三井物産がお膳立てしていた隔膜法への製法転換だけは予定通り実施するという両社だけに極めて都合のよい政策がとられています。

電解ソーダ業界の総力をあげて完成した完全循環式水銀法をやめて、問題の多い隔膜法に転換せよとの政府決定がなされた理由がここにありました。

隔膜法の導入元となったアメリカ企業はいずれも枯葉剤メーカーでした。米国枯葉剤メーカーにとっても時代遅れの技術が売れるのですから話しにのらない手はありません。しかも、三井傘下の三井東圧化学が米国枯葉剤メーカーの下請けをやっていたのですから、隔膜法の商談はトントン拍子に進んだことでしょう。

水銀汚染の 元凶だった 三井物産と三井造船は、過半数の日本企業にダイヤモンド・シャムロック社の隔膜法を納めています。(クロリン社ホームページ)。旭硝子北九州工場もダイヤモンド・シャムロック社から(1974.3.29 朝日新聞)、鐘淵化学工業はフッカー社からの技術導入(鐘淵化学工業社史)です。ダイヤモンド・シャムロック社もフッカー社も、ベトナム帰還兵とその家族から枯葉剤訴訟(第38回、GEN624号 既報)を起こされた被告企業であり、フッカー社は枯葉作戦が本格化する直前、枯葉剤中のダイオキシン濃度の調整を議論したダウ本社の秘密会議(第26回既報)に招待された会社のひとつです。

つまり、国内のソーダ会社は不完全な<水銀法>技術を三井物産から買わされ、水銀を大量に流出させた挙句、自助努力で<完全循環方式>を完成させたにも関わらず、政府の「製法転換」方針に従って、再び三井物産から「枯葉剤メーカー製で時代遅れの隔膜法」購入を余儀なくされたのです。それだけに留まらず、三井物産は国内ソーダ会社が開発した<完全循環方式>をイランに転売までしていたのです。

米国枯葉剤メーカーはベトナム戦争後に余った枯葉剤を南米で使用していましたが(第42回、GEN628号)、日本では、三井東圧化学が 林野庁幹部の天下り先確保をエサに国有林への枯葉剤散布を強行しただけでなく、三井物産は自ら開発した欠陥水銀法のために全国で水銀汚染を引き起こしておきながら、米国枯葉剤メーカーから隔膜法を導入、イランには改良水銀法(完全循環方式)を輸出して一儲けを企てるなど、戦時も平時も、政府と一体となって利益追求に勤しんでいたのです。

<隔膜法>への製法転換を環境庁から出させたのは、当時の環境庁長官が田中角栄内閣の副総理・三木武夫だったからではないかと思われます。三木は、日本型福祉社会の実現、平和外交、自動車排ガス規制の推進など、世論の求めや時代を先取りした政策を 次々に研究・提言していて(Wikipedia)、国民の間でもクリーンなイメージをもたれていましたから、この点を通産官僚や三井物産、三井東圧化学にうまく利用されたとも考えられます。

通産省・天谷直弘は 衆院予算委 第四分科会で「苛性ソーダの製法転換を昭和53(1978)年度までに全面転換するのは極めて困難」と述べ、期限延長に言及したのはイランへの水銀法輸出が報道された1月後(1977.3.13朝日新聞)で、環境庁も同意(1977.5.22 朝日新聞)してからは水銀法転換工事は中断、国内の全生産能力の37%に相当する水銀法設備はそのまま稼動を続け、水銀法が全廃されたのは、イオン交換膜法が開発された後の1984年度末のことでした。(1979.9.14 朝日新聞)

三木武夫は、その後のロッキード事件で失脚した田中角栄の次に、首相となりましたが、自民党主流派による倒閣運動「三木おろし」の末、1976年末に首相の座を追われています。通産省と 環境庁は 三木退陣を待って「隔膜法への転換」をとりやめたのでした。

------------------------------------
■いまの環境省も、小池氏などような珍妙な大臣がでるなど、おかしな姿勢がたくさんあるが、この当時「出向で運営されている寄り会い所帯」というのは、ちょっとうっかりしていた。■それにしても、梶田孝道さんがのべたとおり、省庁が業界の利害調整組織であり、学問体系が企業など強者の論理を合理化するために制度化していく(『テクノクラシーと社会運動』)というのは、ますます有効な視座だね。
■環境問題が、こういった くだらん経緯で迷走するとしたら、市民はおそろしくって、たまらない。■つねづねのべてきたとおり、政府・自治体や企業自体が巨大なリスク要因だよね。■法治国家の正当性の究極の根拠は、ここにあるとおもうけど、なにしろ「密室」で、コソコソやるものだから、メディアや研究者がみおとしたら、アウト。