■「誠実な右派ナショナリストは、あせっていることだろう」のつづきといえばつづきだが、基本的には「教育現象」や「国家・ナショナリズム論」でなく、あえて「軍事」に分類してきた「検閲機関としての文部科学省」シリーズの番外編。■『朝日』の記事から。

沖縄戦で首相
「学校で教えていかなければならない」

2007年10月04日20時39分

 福田首相は4日、衆参両院の代表質問で、沖縄戦で日本軍が住民に「集団自決」を強制したとの記述が教科書検定で削除された問題で、「(検定意見は)軍の関与を否定するものではない」と答弁した。そして、沖縄戦についても「これからも学校教育でしっかりと教えていかなければならない」と明言した。沖縄県民や記述削除に批判を強める野党に一定の配慮をしたとみられる。
 首相は「06年度の教科書検定は、沖縄の集団自決に関する記述について軍の関与を否定するものではなく、集団自決された沖縄の住民のすべてに対して自決の軍命令が下されたか否かを断定できない、という考えに基づいてなされたと承知している」と述べた。そのうえで「沖縄県民の思いを重く受け止め、文部科学省でしっかりと検討している」と述べ、教科書会社から訂正申請があった場合には「真摯(しんし)に対応する」とする同省の姿勢に理解を示した。さらに首相は「沖縄戦は住民を巻き込んだ悲惨な戦いであり、これからも学校教育においてしっかり教えていかなければならない」と強調した。

 一方、民主党は4日、「検定結果の中立・公正性に疑義が生じている。速やかに審議会において再度検討する」とする、検定やり直しを求める国会決議案をまとめた。民主党単独で提出するが、他の与野党に対しても賛同を求める考えだ。

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■こういった安倍前首相とは対照的な姿勢を『朝日』あたりは強調していきたんだろう。■しかし、左派にたたなくても、リベラル派であれば、この程度の優等生的「模範解答」ですまそうとする答弁の偽善性を問題にすべきだろう。

■「沖縄戦は住民を巻き込んだ悲惨な戦いであり、これからも学校教育においてしっかり教えていかなければならない」。安倍前首相や麻生氏あたりなら、ここまでいわないだけ、だいぶマシといった評価はできるだろう。かなり低レベルな要求水準としてね。
■?「戦争は政治の失敗」というのが持論らしいが、沖縄戦は最終的には御前会議がよしとした「捨石作戦」だった。「政治の失敗」どころか「狂気の戦略」と「鬼畜の政治」といったところか…。■「本土決戦」という、狂気の沙汰自体が、最高決定機関として「くるっている」というほかないが、そのための「捨石」として、単なる軍民の犠牲作戦を考案した連中も鬼畜なら、それを容認した連中は最低というほかなかろう。
■?「戦争は政治の失敗」というのが持論なら、当然その失敗は、善後策としての「政治」によって最大限うめあわせるほかなかろう。■でもって、沖縄戦の指揮官の最高幹部のひとりで、比較的なまっとうな神経をもっていた海軍将校は、沖縄戦に協力した島民の恩義に最大限むくいてほしいと打電して自決していった。■しかし、日本政府がおこなったのは、アメリカ軍政のもとにくみふせられた琉球列島がサンフランシスコ講和条約によって、米軍基地としてそのまま援用されていくという、無慈悲な展開だった。■要は、自分たちが対米追従外交のもとにありつづけること(安保体制)=被爆国が核武装国家を用心棒にするという破廉恥と、「国際社会に復帰する平和国家」といった欺瞞のための「いけにえ」こそ、琉球列島の戦後史=戦後日本(「再生日本」)外交の基盤なのだった。■こういった、「米国の核の傘にまもれた平和憲法」という欺瞞=偽善の象徴こそ昭和天皇ヒロヒトであり、そのホンネが「天皇メッセージ」であることは、いうまでもない。それが、複雑にからみあうイデオロギー的・政治利害上の諸矛盾のただなかにあったとはいえ(新藤榮一分割された領土』)、天皇ヒロヒトは、ヤマトのために琉球をさしだすことを苦渋の選択としてイヤイヤのべたのではなかったはずだ。でなければ沖縄戦の事実上の終結=現地守備隊の組織的抵抗の終了(6月下旬)に、ひややかな反応しかしめさなかったはずがあるまい。ヒロヒトにとって、沖縄は所詮「いけにえ」の地にすぎなかったのであり、しかし、その政治的意味に多少は自覚があったからこそ、戦後二度と渡沖できなかったのだろう。

■?以上のような巨視的な政治的構図が、微視的・具体的には、どのような惨劇となったかは、再三再四、沖縄の県史・市町村字史等がききとり調査をはじめとして記録化し、また『琉球新報』や『沖縄タイムス』など地元紙が毎年のように5月・6月の特集記事の軸にすえてきたものだ。■日本史教科書にかかれている記述など、その総量の何千分の1にしかすぎないし、質的には比較するだけナンセンスなものだ。■そして、それらの一応過不足なく網羅的に教科書化したのが、新城俊昭高等学校琉球・沖縄史』だが、それらにまじめにまなぼうという教科書執筆者はいないようだ(ましこ・ひでのり『イデオロギーとしての「日本」』)。

■?日本軍の暴力性を極力過小評価というか矮小化・消去したいとねがっているらしい、一部の右派ナショナリストたちが、以上のような沖縄県民の大半(一定以上の年齢なら大部分)がしっている沖縄戦の実相について、福田首相がみな基本をおさえているというなら、うえにあげたような程度の発言にとどまるのは、不可解だ。■文部科学省の姿勢、教科書検定の実態にくちをはさみたくなるのは当然のはずだからね。沖縄県民は何十年もその理不尽さに我慢してきただけだし。



●Googleニュース検索結果「集団自決」
「天皇メッセージ」一次資料画像ほか["天皇メッセージ"(沖縄公文書館)]
●「天皇の政治活動」[2005年06月02日(木)]

【シリーズ記事】
●「検閲機関としての文部科学省(「集団自決」記述)
●「検閲機関としての文部科学省(「集団自決」記述)2
●「検閲機関としての文部科学省(「集団自決」記述)3」 
●「検閲機関としての文部科学省(「集団自決」記述)4
●「文科省が削除要求 「集団自決」修正(沖縄タイムス)=検閲機関としての文部科学省5
●「全軍が自決強要しなければ、教科書にかかせないか?=検閲機関としての文部科学省6
●「「集団自決」検定 調査官「つくる会」と関係(琉球新報)=検閲機関としての文部科学省7
●「やっぱり「集団自決」記述削除の犯人は文科省官僚=検閲機関としての文部科学省8
●「アベ政権は沖縄県民ではなく日本軍を守る(なごなぐ雑記)=検閲機関としての文部科学省9
●「県議会「集団自決」意見書可決(沖縄タイムス)=検閲機関としての文部科学省10
●「【慰霊の日】に合掌する(なごなぐ雑記)=検閲機関としての文部科学省11
●「62年前に見た集団自決の現場 「軍曹が命じた」(朝日)=検閲機関としての文部科学省12
●「慙愧に耐えない(なごなぐ雑記)=検閲機関としての文部科学省13
●「沖縄県議会、また「自決強制」削除批判=検閲機関としての文部科学省14
●「「集団自決」修正/全国地理研も決議(沖縄タイムス)=検閲機関としての文部科学省15
●「「南京」検定も国主導/職員、反証文献出版にお礼(沖縄タイムス)=検閲機関としての文部科学省16
●「文科相「検定の経緯精査」/意見変更可能性も(沖縄タイムス)=検閲機関としての文部科学省17
●「検定撤回求める議決、沖縄以外でも 集団自決教科書削除(朝日)=検閲機関としての文部科学省18
●「“集団自決”修正、文科相「教科書各社の申請あれば対応」(読売)=検閲機関としての文部科学省19