■おととい(になってしまった)の国会の代表質問(福田首相の所信表明演説への)をラジオできいていたら、「柏崎刈羽原子力発電所」を、福田首相は「かしわざきかりは……」とよみあげた。「刈羽村」にまたがる原発であるという事実はもちろんのこと、それが「かりわむら」という行政区画(地名)であるといった事実もたしかめなかった〔というか、説明にあたっただろう官僚もノーマークな領域?〕ことが、露呈したということか?
■「よみまちがい」に 異様にこまかいツッコミをいれているとおもわれそうだが、ことは、そんな次元にない深刻なものかもしれない。■?すくなくとも、福田首相が戦時中の疎開以外基本的に東京っ子だったにしても、選挙区のある群馬の隣県にかなりうといという事実。■?であるがゆえに、むしろ一層注意をはらうべきだったろう、もともと やっかいな固有名詞(漢字表記地名の「よみ」)を確認しなかったという事実だ。
■再三のべきたとおり、福田首相のミスは、基本的には日本の固有名詞の構造的矛盾の産物だ。「刈羽」を「かりわ」とよめとせまる方にムリがあるわけで、それは「羽田」を「はた」とよめとせまるのと同様のムリがある。■しかし、「かりう」だってでかねない固有名詞だからこそ〔アクロバティックな「よみ」が存在しないとおもわれているだろう「角田」は「かくた/だ」「つのだ」「すみた/だ」などがあるのだし〕、なお一層注意をはらうべき漢字表記だったことは、否定できない。

■いってみれば、こういった「よみまちがい」は、大衆が漢字表記などの構造的矛盾の犠牲者として はじをかくのとは、当然ことなった検討がなされねばならないのではないか?ということだ。
■いくら、日本の民度・品位を象徴するはずかしい首相だったとはいえ、森喜朗もと首相が「IT革命(アイティーかくめい)のことをイット革命と述べた」という事件は、単なる政治家の文化資本の問題とかではなく、■?“Information Technology”といった英語表現を、イニシャル2モジ略語で当然のように流通させていいのかという言語政策上の次元の配慮と、■?同時に、国内外の重要課題について最先端の情報が集中して、その処理・決断を即座にせまられかねない最高権力者が、これら新語や重要な固有名詞に鈍感でいいかである。
■したがって、「柏崎刈羽」を適切に伝統的現地主義にそえなかった首相は、森もと首相と同様、まさに両義的な存在として有用であるとおもわれる。■とりわけ、世代的に当時第一級の学歴(たとえば、日比谷高校→東京大学法学部)ではなかった(麻布高校→早稲田大学政治経済学部)とはいえ、おそらく現役国会議員のなかでトップ層に位置する文化資本をそなえているだろう福田首相が、ときに特定の層の憤激をかいかねない固有名詞という地雷原に、さしたる配慮をはらわなかったという現実は、結構意味深長におもえる。■?「そういった特権的な知性にあっても、しばしばミスをおかしかねない固有名詞の漢字表記という日本列島の文化的伝統の機能不全、そして■?だからこそ一層、当事者の配慮・配慮の濃淡が「かたるにおちてしまう」という意味で、カタカナ語やアルファベット略字以上に、ものがたるデータがおくぶかい…等々と。


■いじわるな推測をするなら、しばらく政局の激動はなさそうだと たかをくくっていた
〔総裁選に急にでようとしたときに、中期的な政策展望をだせなかった福田氏が、麻生氏らポスト安倍をねらっていたわけでないことは、あきらかだろう〕福田氏は、官房長官時代には細心の注意をはらっていた国内外のニュースへのめくばりをおこたっていたのではないか? ■だから、官僚は「当然『かしわざきかりわ』ってよめるよな…」と無意識に計算し、なにもふれなかったが、福田氏は与党の要職=激務から解放されて、緊張感がとけていたのではないか?


■以前ものべたとおり、日本の政治家ほど知的に庶民的で、諸外国のような突出した水準を全然要求されない
〔たとえば、理科系をのぞけばほとんど博士号保持者がいない国会議員であるとか、東大法学部出身で官僚経験者であるとか、アメリカでMBAをとってきたぐらいで、突出した存在になりえるといった低水準ぶりなど〕ことは、実は大した問題ではないし、かりに学習障碍などをかかえていたところで、それを周囲がカバーできるのなら、それで何も問題ないことはもちろんだ。だから、文化資本やら情報処理能力など、通俗的な知性を問題視して、政治家としての適格性をウンヌンしたり、それをあげつらってパロディ化するなどは、品性下劣であるばかりでなく、障碍者差別など弱者への配慮ができない層によるイジメといってさしつかえない〔「権力批判としてのパロディと差別意識」〕。むしろ問題は、専門家の底力を誤解して過小評価し、こバカにしたまま「道具」視できるとカンちがいした連中とか、反論不能なデータ・論理をつきつけられても一向に自分たちの政治的利害や「信念」とやらにしがみつづけられる、知的柔軟性の欠如・厚顔無恥ぶりこそ問題なのだ。
■しかし、そうではあっても、知性をウリとしている政治家が、構造的うっかりミスをおかしたとすれば、その注意力・配慮のムラが、「かたるにおちる」構図をかたちづくってしまう。■ひごろ、ボロをださない緻密さをほこればほこるほど、つまらないポカとみえるミスは、実は深刻な政治性をおびてしまう。■福田首相が、「刈羽村」という選挙区からとおくない隣県の一村に無関心だったということは、選挙区自体も国政参画のための道具でしかないというホンネの間接的証拠とみることができるし、所詮空襲をさけて一時疎開しただけで、とことん東京っ子にすぎないエリート一族にそだった人士にとって、危険な巨大迷惑施設を経済的・地理的劣位ゆえにおしつけられた地域の複雑な心情など、実はどうでもいいという政治経済的構図の象徴にみえる。■福田首相および側近たちは、こういった「邪推」に明快に反論できるだろうか?

■くりかえしになるが、漢字表記という、日本の「かきことば」文化は、いじわるな差別化装置ではあるが、こういった政治経済エリートの意識のありようをうかがううえでは、非常に便利だという、皮肉な機能もたしかめられたのではないか?


【日記内関連過去記事】
●「安倍晋三擁護派は、なぜ学歴問題にこだわるか=増補版Wikipedia:安倍晋三2
●「転送:柏崎刈羽原発停止を求める坂本龍一さんたちによる呼びかけ


【日記外関連記事】
●「昭和/平成の参勤交代」『Kimura Masaji Blog』