■きょうは、これまでも何度かあつかった「体育の日」である。■とりあえず、『朝日』の「体育の日」特集記事を転載。


子どもの運動能力、低下が鈍る 
「運動少ない生活定着」

2007年10月08日06時31分

 子どもの走る、跳ぶなどの運動能力は20年前と比べて大きく下がったが、この10年間に限ると低下傾向がかなり鈍化していることが、文部科学省が7日公表した体力・運動能力調査で明らかになった。専門家は「運動が少ないライフスタイルが定着し、これ以上は下がらないとも考えられる」とみている。

9歳児の運動能力の変化

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 調査は64年度から毎年実施しており、今回(06年度分)は6?79歳の7万1200人分の回答を得た。運動能力のピークだったとされる86年から20年たつため、文科省は10年ごとの変化に注目して分析した。

 その結果、青少年(6?19歳)の走る(50メートル走、持久走)、跳ぶ(立ち幅跳び)、投げる(ソフトボール、ハンドボール投げ)など基礎的な運動能力はいずれも長期低下傾向にある。だが、項目によっては低下傾向が緩んだり、見られなくなったりしている。
 例えば、9歳児の立ち幅跳びを86年度から10年間隔で比べると、男子が155.29センチ→149.31センチ→146.61センチ、女子が147.04センチ→140.94センチ→138.23センチと推移。ここ10年の低下は緩やかだ。同じような傾向は持久走などでもみられる。

 また、同じ9歳児の50メートル走は男子が9.41秒→9.69秒→9.67秒、女子が9.74秒→9.94秒→9.98秒となっており、この10年間は「低下傾向とはいえない」状態だ。ソフトボール投げなども同様という。

 調査に協力した順天堂大の内藤久士准教授(運動生理学)は「子どもたちに運動の少ないライフスタイルが定着し、昔と比べて運動習慣が少なくなっているが、運動量はゼロになるわけではない。現在は、これ以上は大きく下がらない状態になっている可能性がある。80年代後半から急激な低下が指摘され、様々な取り組みが低下傾向を鈍らせるところまで来たとも考えられる」と話す。

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■つぎも、おなじく『朝日』の社説。


体育の日―こどもの体力は遊びから
 走る、跳ぶ、投げる。どれもスポーツの土台となる力だ。

 文部科学省が調べたところ、こどもの体力や運動能力はピークの86年度に比べると大きく落ちている。今回の分析では低下傾向に歯止めがかかる兆しも見えてきたが、ひと安心とはいえない。

 たとえばこどもの骨折は、10年ほど前の約1.5倍に増えた。転んでも手をついて体を守れない、受け身がとれない子がいる。内臓に脂肪を蓄えたメタボリック症候群の子も目立つ。

 何より心配なのは、遊びながら体をつくっていく機会や場所が減っていることだ。厚生労働省の調査で、こどもが遊ぶ場所としてあげるのは、自分の家か友だちの家が圧倒的だ。

 無理もない。道路が舗装され、空き地が消えた。小川もコンクリートでふたをされて久しい。児童公園はあっても、多くは木登りやキャッチボール、ボール遊びは禁止されている。

 こどもは遊び回るなかで体の機能を発達させていく。体力や運動能力の低下は遊び場の減少を反映しているのだ。

 冒険遊び場「のざわテットーひろば」は東京都世田谷区の住宅街にある。マンションが建つはずだったが、こどもたちに一部を開放してもらった。

 土の山を掘ってトンネルをつくる。木によじ登る。組んだ足場から飛び降りる。ホースで水をかけあう。土だんごをつくって、ぶつけっこをしたくなる。そんな場所だ。

 ここでは原則としてどんな遊びも自由だ。泥だらけにして、しかられることもない。危ないか、危なくないか。それもこどもが自分で判断する。

 こうした遊び場がいま、全国に大小約230カ所ある。10年間でざっと4倍。ささやかだが確実に増えている。

 「冒険遊び場」のほかにも、自然体験や農業体験を通して体を使わせる試みが広がっている。大学のなかには、遊びのリーダーを育てるコースを設けるところも出てきた。こうした機会づくりや人づくりを加速させたい。

 気になるのは、こどもの体力にも「格差」がみえることだ。

 スポーツ少年団や水泳教室など、スポーツに取り組む場は増えている。そこに通う子はいいが、問題はそういう場から離れているこどもたちだ。小学校に入る前から差が生まれているという。

 学校に上がると体育などによって差は多少縮まるが、学年が進むにつれて再び開く傾向が強いそうだ。授業では、できる、できないがはっきり出る。できないと恥ずかしい。それが積み重なって体育嫌い、スポーツ嫌いが生まれる。そうなってからでは遅い。

 思い切り遊んで体を使うことの楽しさを知り、自然に体力をつけていく。スポーツの多くは、そもそも遊びから始まっている。原点の遊びに返ることから、こどもの体力づくりを進めたい。

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■放っておいても コドモがかってにあそんで、その結果として「体育」になってしまうという、おそらく人類史に普遍的な自生的秩序を、日本列島の都市化
〔過疎化と「せなかあわせ」の〕が破壊していることは事実だろう。それは、過疎地で公共交通機関が衰微することで一層進行中の自動車依存社会と まさに「せなかあわせ」で進行中の病理といえる。■はしりまわらない都市部のコドモと、あるかない いなかのオトナという、異様でイビツな列島ができあがった。

■しかし、それと同時に、つぎのような指摘もつけくわえておく必要があるだろう。■?筋力や運動能力の平均値低下が、同時に体力全体の低下を意味するかどうかは、微妙なところだ。■?とりわけ、平均値の低下が一定の水準でいたった結果、「これ以上は下がらない」といった事態にいたるのはごくあたりまえで
〔SFじゃないんだから〕、それで安心するのも、不安がるのも、問題の本質をとらえそこねているだろう。■?平均値の低下は『朝日』の社説もふれているとおり、カラダを積極的にうごかす環境とそうでない環境の格差を反映させられない。その意味で、あまり意味のない単純計算でしかない。
■何度か「食育イデオロギー」などとからめて「体育イデオロギー」を批判的に検討してきたが、もともと この手の論調は、しばしば「洗練された富国強兵論」と「せなかあわせ」なのであり、女性差別・高齢者差別・障碍者差別などと連続性があることを、わすれないでおこう。


■以前「新自由主義のもと、経済格差が健康格差として、巨大なリスク要因となりそうな問題性を、社会疫学のたちばから警告を発するイチロー・カワチ/ブルース・P. ケネディ 『不平等が健康を損なう』」という本を紹介した。■「食育」キャンペーンで大合唱となっている「早起き・朝食」のすすめだが、意識的にか無自覚的にか経済階層などの経済的諸要因を度外視した擬似相関が前提になっている。■そのひそみにならうなら、アメリカ同様、肥満の分布の経済格差があるだろうことと並行して、児童の運動能力の階層格差が拡大化している可能性がある。■調査するとすれば、平均値の単純な低下傾向などの確認ではなくて経済格差との相関関係だろうし、必要なのは、統計数値への単純な運動キャンペーンといった反応ではなくて、階層とからんだ教育格差、スポーツ環境・食文化環境の異動にかかわる綿密な面接調査などだろう。
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■そういった政治性への繊細さをかいた調査は、所詮は新自由主義的な 単純化された社会ダーウィニズムの横行に親和的であり、でてきた「能力差」などを事後的に、先天性・後天性の両面から肯定する論理を強化し、父母や教育者などの献身を要求するイデオロギーとして機能しそうだ。■いわく「努力してあそばせる機会を提供しない保護者は失格」「校庭や遊具の充実、からだづくりの機会提供に努力しない教育者は失格」といった、あらたな「富国強兵」論的総動員体制へとね。

■富国強兵論とは無関係で、障碍児もふくめた からだづくりをめざした「トロプス」などの方向性と対極的な体育イデオロギーには、警戒的にいかないと。

●『ジャパンマシニスト社