「隷属から自主へ」の信念 
瀬長氏の獄中ノート発見
『中国新聞』'07/10/9


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 米軍統治下の沖縄で民衆運動の象徴的存在だった元衆院議員の故瀬長亀次郎氏(一九○七?二○○一年)が、米軍の思想弾圧を受け獄中にいた五五年、差し入れの「資本論」や国際法の書物から丹念に抜き書きし感想をしたためた読書ノート二冊が九日までに見つかった。

 手書きの大学ノートに「隷属から自主独立へ」「“独立”なければ“平和”なし」などと当時の信条を書き記し、自らリードした反米闘争と本土復帰運動の裏面を伝えている。生誕百年を機に、遺品を整理していた遺族が発見した。
 表紙には二冊とも「memo」という表題と「瀬長」の署名があり、それぞれ一九五五年四月二十日と同二十五日の日付を記載。前者には資本論を意味する「kapital」と書き添えてあった。

 瀬長氏は土着政党の沖縄人民党(復帰後、共産党に合流)の書記長で立法院(琉球政府独自の議会)の議員だった五四年、米国の防共政策を背景に起きた人民党弾圧事件に遭遇。同党の活動家をかくまった容疑で警察に逮捕され、軍事法廷で懲役二年の有罪判決を受けた。

 獄中ノートを書いたのは宮古島の刑務所に収容されていた時期。後に病気治療のため那覇市の沖縄刑務所(当時)へ移送、五六年に釈放され、同年那覇市長に当選した。

 二女の内村千尋さん(62)=那覇市=によると、瀬長氏は熱心な読書家で、獄中に八十冊以上の書物を取り寄せていた。家族が記録した差し入れ書物のリストには、講和条約や国連憲章の解説書、過去三年の「琉球統計」などの基礎資料のほか、小林秀雄の「ドストエフスキイの生活」も含まれていた。

 内村さんは「父は獄中で姿勢を正して勉強していたのでは。日記にも簡単なメモは付けていたが、ほかにノートを作って勉強していたことにびっくりした」と話す。

 内村さんらは十一月、那覇市で生誕百年記念の写真・資料展を開き、瀬長氏の愛用品や書簡とともにノートも公開する。

 ノートが保管されていた箱には、七○年に戦後沖縄初の衆院議員となり連続七回当選した瀬長氏の「衆議院手帖」約十五冊も。多忙な政治活動のさなか、赤字で「チーちやん男の子が生れた」と内村さんの長男出産を記すなど、家族思いの素顔をのぞかせている。

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「“独立”なければ“平和”なし」って記述の真意はどこにあるのだろう…。米軍支配下からの独立のあとは、ヤマトからも独立すべきとかんがえていたのか…。■ま、日本共産党に合流していたことをみれば、日本国憲法の未来に希望のひかりをみていたのだろうが。



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