「尼僧」はア行じゃないだろう……
ネット時代で非識字率増加と聞くが
亀井 貴也(2007-10-14 10:00)

 いつも通っているレンタルビデオ屋。

 数カ月前の2階から1階へのビデオテープ大移動、1階から2階へのコミック大移動に続き、ばらばらになったビデオテープの並び順を五十音順に並べ替える作業を行ったようで、まあ捜しやすくなった。

 しかし、ア行を見ていくと『尼僧物語』、『尼僧の恋』がある。


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「尼僧」は「にそう」ですよ、お兄ちゃん!(写真はイメージ、撮影:OhmyNews) 

 『あまそう』じゃないって(笑)。

 ネット時代になり、画像依存が強まり、漢字を読めない非識字率が増えてきたと聴いているけれども、アルバイトのお兄ちゃん、しっかりしてくれよ。

……
■「尼僧」が日常的な語でないことは たしか。「尼(あま)」という、大衆的語感では「和語」化した漢字表記と「よびな」は一般的かもしれないが。「比丘尼(びくに)」なんて仏教用語よりは、ずっとマシにしろ、「ニソー」なんて、日常生活中 みみできいたことがあるひとが、いるんだろうか?
■だいたい、瀬戸内寂聴〔せとうち・じゃくちょー〕氏のような、マスメディアなどにも よくでてくる有名人以外で、女性の坊さん、まちなかで、そんなにみかけるか? ■フェミニズムの意図しない結果なのか、高学歴女性が大量に参入して僧侶の相当部分をしめるとかいう台湾などはともかくとして、現代日本の大半の地域で、「あまさん」がごく普通にみかけられる空間なんてすくないだろう。ましてや、「ニソー」なんていかにも漢語的な音よみの一般的な日常空間が、あるはずもない。


■「ネット時代になり、画像依存が強まり、漢字を読めない非識字率が増えてきた」といった、ありがちな「俗流若者論」。その根拠となっている、「尼僧」を「あまそう」と「誤読」することの背景は、このようにかんがえてくると、意外におくぶかいような気がする。

■?日常的に「あまさん」にでくわすような空間がみぢかになく、当然「ニソー」なんて非日常的な呼称を普通名詞として体験したことのない層が、人口の圧倒的多数であるという、厳然たる事実が推定できる。
■?それは事実上、「尼僧」といった漢字語を受験体制をふくめた学校文化として、非日常的にみにつける機会が豊富だったかという、経済階層・文化階層上の格差が反映しているはずだ。
■?であるとすれば、「ネット時代になり、画像依存が強まり、漢字を読めない非識字率が増えてきた」といった「俗流若者論」的な擬似社会言動論で解釈することの有害性は、かなりたかい。■なぜなら、現象の因果関係を完全にとりちがえた俗論であり、あたかも近年激増した「文化的退廃」「文化的欠落」現象などといった誤解をはびこらせるからだ。現象の原因をハズしている以上、「公教育での漢字指導など、基礎学力の充実にちからをそそぐべき」といった、まとはずれな論調へとむすびつくのは確実だ。
■?もともと、「尼」という漢字表記に「ニ」と音読できる指標など なにもない。■つまり、このレンタルビデオ店の わかい店員さんの文化資本をウンヌンするというのは、日本語漢字表記の機能不全を直視しない議論であり、今後、こういった「教養ある年長者間での『常識』」にもたれかかったシステムは、そこここで、ほころびをみせるだろうと予測される。


■?近未来に、日系アジア人女性を福祉労働力不足の補充として活用するといった政策が実行されるとき、非漢字文化圏からの移民はもちろん、漢字文化圏からの流入でも、類似した問題は続出するだろう。■日系ブラジル人への識字調査の結果では、ほとんどの定住者たちが漢字文化に不適応というか、ほとんどよめないまま 日常をしのいでいることがしられている。■漢字表記がよめなくてもなんとかなる職種だけに限定して雇用するのが現場のやりくりなんだろうが、看護師・介護師など医療・福祉の最前線で、マニュアルや「申し送りメモ」が、漢字ぬきでホントにやりくりできるのか、医療・福祉関係者は真剣にかんがえるべき時期にきているとおもう。■漢字にはそこそこ自信をもちあわせたアジア出身の看護師が、自信があだとなって、漢字の誤読から医療ミスなんて、ぞっとするような事態がおきないように、本気で準備をはじめるべきだろう。■もともと、失敗学的な意味で、ある程度のミスが想定されるといった次元ではなく、システム自体が「誤読」の要因だらけという、致命的問題をかかえているのであり、ちょっとした「ヒヤリ・ハット」事例を事後的に反省してシステム改善していけばいいなんて問題じゃないからだ。

■?たとえば優等生しか採用されないだろう図書館司書あたりに、「尼僧」を「ニ…」に配列できない層が採用されることはないだろう。■しかし、検索データベースのうちこみ作業が、ミスなくおこなわれていないことがあきらかなように、漢字表記は、文化資本の大衆的向上なんて、できもしない夢想のうえにもたれかかった、砂上の楼閣なんだとおもう〔「やっぱりおこっていた漢字人名の入力ミス(年金記録問題)」〕。