■「調書がおすきな 草薙厚子先生」の続編。
■先日の『朝日』の社説から。


少年調書流出―逮捕までするとは

 奈良県で母子3人が焼死した事件を題材にした単行本をめぐり、放火した長男を精神鑑定した医師が奈良地検に逮捕された。当時16歳だった長男らの供述調書を単行本の筆者に見せたというのだ。

 問題の単行本は、ほとんどが長男や父親らの供述調書の引用だった。長男と父親が精神的な苦痛を受けたとして告訴していた。その気持ちはよくわかる。

 だが、こうしたプライバシーの保護と表現の自由という二つの価値がぶつかりあう問題には、捜査当局は介入すべきではない。奈良地検が医師や筆者の家宅捜索をしたときに、私たちは社説で、そう主張した。
 刑事罰を科すようなことになれば、この事件にとどまらず、取材や報道に大きな影響を与えかねない。そうした心配はいまも変わらない。

 まして、医師は任意の事情聴取に対し、容疑を認めていた。その間も、勤務先の病院で診療を続けていた。地検は「真相解明に必要」と言うが、逃亡の恐れなどはなく、今回の逮捕だけをとっても、行きすぎだと言わざるをえない。

 医師は昨年10月、精神鑑定の資料として奈良家裁から渡されていた供述調書のコピーなどを3回にわたり、筆者の元少年鑑別所法務教官らに見せた。正当な理由がないのに職務で知った秘密を漏らした、という刑法の秘密漏示の疑いが持たれている。

 調書を見せたのは、筆者から働きかけを受けたからだという。筆者は出版社の社員らと一緒に医師の自宅で、医師が外出した間にカメラで撮影したようだ。

 こうした筆者の側にも、いくつか見逃せない問題がある。

 医師は「そのまま本に調書が引用されるとは思わなかった。撮影されていることも知らなかった」と話しているという。それが事実とすると、取材方法が正しかったか疑問がある。

 もう一つは、供述調書の入手を売り物に、長男や家族のプライバシーに踏み込みすぎたのではないか、ということだ。なぜ凶行に走ったのか。それは同じ年代の子を持つ親の大きな関心だが、もっとプライバシーに配慮すべきだった。

 さらに深刻なのは、取材源を守れなかったことだ。

 ジャーナリストにとって「取材源の秘匿」は鉄則である。供述調書の入手先について、筆者は「死んでも言えない」としているが、調書を引用したことで、いともたやすく地検に情報源を割り出されてしまった。これでは取材に協力してくれる人はいなくなる。

 取材源を守れなかったという落ち度があるとはいえ、このまま医師が起訴されていいわけがない。取材協力者もメディアも萎縮(いしゅく)し、報道の自由、ひいては国民の知る権利が脅かされることになりかねないからだ。さらに筆者が「身分なき共犯」で立件されるようなことになれば、その心配はいっそう大きくなる。

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■?医師の言い分がただしいなら、草薙氏本人がもっとも卑劣な取材をおこなった人物なので、医師を逮捕・立件するなら、草薙氏こそつかまえねば、バランスがとれない。
■?医師の言い分がただしいにしろ、被害者でもない人物にみせるという行為は逸脱。席をはずしているあいだに写真とられたなんてのは、あまりに軽率。神戸の事件で草薙氏がやらかした前歴とか、人品情報とか、なぜ事前にくわしくあらわなかったのか不可解。■いずれにせよ、医師はかなりの責任をおっている。
■?調書がもらされたという事情がわかるような資料のつかいかたをするかぎり、情報源はどうせバレる。「取材源を守れなかった」なんていうけど、土台ムリなはなし。■そして、西山事件とちがって、目的が公益と無関係なんだから、ルール違反がゆるされるはずがない(西山事件は、そこに不倫関係があったとか、どうでもいいだけの公益性があった。だから、比較するだけ失礼。西山さんに非があるとすれば、家族に対してだけだろう)。

■?調書をネタにする以上、少年のプライバシー、父親のプライバシーをまもるようなことが、できるはずがない。■というか、何十年もたって、完全にほとぼりがさめるまで(要は、ごく一部のひとしか、おもいだせないぐらいの未来)、どんなに配慮して情報を一部ふせるとかしても、かれらのことをさしているといった特定はなされてしまい、しかも事件の経緯や犯行の動機などを分析するかぎり、プライバシーをはげしくそこなう結果はさけられない。■「なぜ凶行に走ったのか。それは同じ年代の子を持つ親の大きな関心だ」などといった、あまりに薄弱な根拠で、被害者でもない第三者が「のぞきみ」する欲望をみたす行為を正当化するとは、あきれた。

■?これが、報道の自由とか「しる権利」とかをもちだす、ジャーナリストとやらの本性ってことだろう。なんと、うすぎたないことか。ジャーナリストとやらは、どうしてこうもぬけぬけと、自分たちの取材活動を平然と合理化できるのか? 所詮、カネもうけとか、売名行為のために、大衆の「のぞきみ趣味」に迎合しているだけなのに。■有名なジャーナリストたちが、草薙氏らを擁護しているようだが、ヘドがでるね。柳美里氏のモデル小説同様、あばかれる必然性のない私的事情をさらす「権利」があるといった論理は破綻していることを再確認しよう。■こんな、うすぎたない合理化がともなわないとつづけられないようなジャーナリズムなんて、いらない。