■一週間まえの記事だが、すばらしいので、転載。

2007年10月22日
軍の強要が記載されていて
何がいけないんでしょう
[ 歴史 ]

そもそもこの沖縄戦集団自決の教科書問題は、62年も前のことに対して軍の強要が無かったということにして、一体全体何をしたかったのでしょう。

不正確なことを生徒に教える訳にはいかない?
そんなわけない
でしょう。
だって、歴史の話に「正確」か否かなんて概念を持ち込むこと自体がナンセンスなんですから。
学校で学ぶ歴史なんて、一部の天変地異のようなものを除けば、昔の人が何を考え何をしたかというものばかり。
根本からして他人が何を考えたかという話
なんですから、そこには主観が入らざるを得ない。
仮に何らかの「客観的」と言える史料があったところで、それは歴史の一断面を表している証拠に過ぎず、今度は何故その史料が作られたのかという点に議論が移るだけのことです。

したがって、この問題でも「命令書」なんて勝手なハードルを作っている人がいますけど、もしそのような「命令書」があったとしたら、今度はその「命令書」が作られた経緯に論点が移るだけであり、今そういう事を言っている人は、おそらくはその命令書の署名者が勝手にやったこととか、そのような命令書が作られた背景も考慮すべき、即ち時代が作らせたとかいったことを言い出すのは火を見るよりも明らかでしょう。
そして、結局は軍が集団自決を命じた訳ではないということにする

で、その後に何がやってくるんです?

これからの日本を背負う若い世代に沖縄の非戦闘員は勝手に集団自決した、軍の強要はなかったと教え込んで、そこに何のメリットがあるんです?
あるいは軍の強要があったと教えたら、何のデメリットがあるんです?


まあ、実生活にはほとんど影響ないですね。

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にも関わらず、こういうことに拘るのは、結局は昔の日本軍や政府に利害関係のある人々が、自分の過去の行動を美化したい、正当化したいという動機によるものとしか評しようが無いでしょう。

当時の部隊の指揮官が自分の行動の正当性を訴え、逆に軍の強要があったと言った人を訴えるなんてことをやってます。
まあ訴えるのはその人の権利ですけど、自分が責任を負っていた地域の住民が集団自決したっていうのに、自分が命じたんじゃないと言い張ることに何の意味があるんです? 軍隊ってのは住民を守るのも任務でしょ。それが全うできていないんですから、自分が殺したも同じと考えるのが普通なんじゃないんですかね?

それをこのようなことを訴えるというのは、この元指揮官にはそのような自分の仕事に対するプライドってものが全くないのか、この人が自分の仕事の中身を認識する上でより重要なのは住民の命ではなく、自分が正しいと評されることだったのか、どちらかってことでしょう。

そんな私情を、我々が汲み取らなければならない道理は全くございませんな。
だいたい、別にそれで罪に問われたわけでも何でもないのに、自分達の訴えに「冤罪」なんて言葉を掲げるなんて、本当の「冤罪」を晴らそうとしている人々に対して失礼この上なしでしょう。

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もちろん、この問題で記述の削除に反対した人々も、突き詰めればその動機は私情によりもの。
その点ではどっちもどっち。

ただ、記述の削除に反対した人々の多くが自分達の心がいかに傷つけられたかと訴えているのに対して、記述の削除に賛成している人々はだいたい「不正確な記述云々」だの何だのと、あたかもその教科書で学ぶ生徒のことを考えての行動であるかのように装う。

ま、胡散臭いのは明らかに後者
ですね。



最終更新日 2007年10月23日 00時09分00秒

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■実に正論。すばらしい!!
■「慰安婦の証言は信用ならない」「沖縄戦のいき証人の証言には文書史料がのこっていない」「南京大虐殺は物的証拠があがっていない」…。等々、いいたてるひとびと≒「歴史教科書は、政府側が正史として公認した、史学界の完全合意点だけをかくべきだ」論者たちは、写経しましょうね。■そんなに異論のでない教科書しかかかせないといいはるなら「聖徳太子虚構説」がとかれる以上、聖徳太子は削除しないといけませんよね。聖徳太子が実在したという、確固たる物証をあげられるかたが、いるんでしょうか?■ま、聖徳太子なんてのは、「実生活にはほとんど影響ない」どころか、不必要な歴史知識です。
■沖縄戦でなくったひとびとについての、地元のひとびとの歴史イメージ。沖縄に旅行・所用でいくばあい、おさえておくべき素養です。


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●ウィキペディア「大山誠一